2014年08月27日

私の、見知らぬ名古屋 その1「橘宗一(たちばなむねかず)少年の墓所」


父の法要のために名古屋に帰省した折に、
見知らぬ名古屋を訪ねてみた。

名古屋城のすぐ下で生まれ育った私にとって
栄町よりも向こうの東の丘陵地帯は、未知の場所が多い。
高校が東の丘陵地帯にあったので、
帰りに猫が洞池の辺を歩いた事はよくあったが、
いまだ知らない所ばかりかもしれない。


IMGP3471.JPG


名古屋の東側は、西側と違い、東京の山の手のような山あり谷ありの丘陵地帯。
東京の山の手が一本筋が違うと全く街の様相が異なるように、
そこもちょっと脇に入ると全く別の世界が広がる不思議な空間だった。
ここは名古屋なのだろうか?
私の知っている名古屋とは全く違う風景がそこにはあった。

きっかけは、
最近もらったある人からの手紙に「橘宗一少年」という文字を見たことだった。

遠い記憶の底から呼び起こされるように、その名前は静かに私の中に甦ってきた。
大逆事件?いやちがう、大杉栄と伊藤野枝だ、、、
関東大震災時に、後に満映を牛耳る甘粕正彦を初めとした憲兵に
虐殺された大杉栄、伊藤野枝、
たまたまアメリカから帰国していた大杉の甥、橘宗一、当時未だ7歳(満6歳)。

名古屋で彼の墓が発見されたということは、
遠い昔未だ名古屋に居た頃に、報道されたのを記憶している。
しかし、まだ若かった私は「虐殺」という言葉におののき、
そのことを深く考えようともせず、橘少年の墓に特に興味を持たなかった。


3.11以降の、昨今の世相の中で、
その方から「橘宗一」という名前が記された手紙を貰わなかったら、
名古屋を故郷として愛していながらも、
この墓に参じ祈る事もなかったかもしれない。


それにしても雑司ヶ谷霊園のように有名な方の墓のマップがあるわけでもない
日泰寺墓所で、その場所は分るだろうか?と、案じた。
調べてみると、日泰寺墓所は覚王山の日泰寺あるのではなく、
少し離れた自由が丘に近い辺にあるようだ。
自由が丘なら、本当に高校に通った道の近くなのに、
今日まで全く知らずにいたのだから、
知らないということの浅はかさを改めて痛感する。

Googleマップで見る限り、日泰寺墓所は相当に広い。
あの名古屋の夏の盛りに見つけられるものだろうか。

さらにネットで調べてみて、
「古書の森日記」のこの記事に辿り着いた
→ http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/51698110.html

言うまでもなく「古書の森日記」は、
惜しくも数年前に亡くなった黒岩比佐子さんのサイトだ。
彼女の遺著『パンとペン』は、
大逆事件から治安維持法という長い冬の時代をしぶとく生き抜いた
堺利彦の生き様を膨大な資料を蒐集して甦らせた労作だ。
(黒岩さんとお話する機会を持てなかったのは、私の最も惜しむことの一つだ)
この記事にある橘少年の墓所の写真、
この向こうに映り込んでいる寺院のような建物、これが場所を特定する決め手となった。


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橘宗一の墓石に刻まれた文字 

Mr.M.Tachibana/Born in Portrland Oro /12th 4 1917.U.S.A
吾人は/須らく愛に生べ志/愛は神なればなり/橘宗一

筆者注
「Oro」はたぶんオレゴン州の意味か、オレゴン州の現在の略称は「OR」。

「吾人は須らく愛に生べし」(私たちはぜひとも愛に生きなければならない)
というきっぱりとした呼びかけは、神への篤い思いを感じさせる。
この墓前に跪き祈りを捧げると、その思いが静かに伝わってくる。
丘からの風が緩やかに吹いてくる。


しかし、墓石の裏面を見ると、
あの有名な一句に出くわす。

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「大杉栄、野枝と共に 犬どもに虐殺さる」


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裏面の銘文
宗一(八才)ハ/再渡日中東/京大震災ノ/サイ大正十二年/(一九二三年)九月十六/
日夜大杉栄/野枝ト共ニ犬/共ニ虐殺サル
Build at 12th 4 1927. by S.Tachibana
那でし子を/夜半の嵐に/た折られて/あやめもわか奴/毛のとなり希理/橘惣三郎

筆者注
宗一は数え年でも七歳のはずだがなぜか「八歳」と記されている。
橘惣三郎は橘宗一の父、その詠んだ歌は、
「なでし子を夜半(よわ)の嵐に手折られてあやめもわかぬものとなりけり」と読める。
「なでし子」は、花の「なでしこ」と「愛する子」との掛詞。
「あやめもわかぬ」は、「はっきりと分らない」それほどの酷い状態だったということと、
宗一の母(大杉栄の妹)の名前「あやめ」との掛詞。


「吾人は須らく愛に生べ志」と刻んだその裏に
「犬どもに虐殺さる」、
さらに「あやめもわかぬものとなりけり」と、
「愛でし子」が「あやめもわかぬ」程の「モノ」となって帰ってきたと、
刻印せざるを得なかった思いの無念。

表のあの神の愛への思いがあればこそ、
この裏面の言葉が深く胸に迫ってくる。



「神思うことばのうらに虐殺と刻みし父の思いや如何」


墓前にはかわいい人形が手向けられていた。
僅かな慰めである。
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「橘宗一少年」を思い出させてくれた手紙の主と
黒岩さんに導かれて、ここに来ることができた。
その恩寵を深く胸に刻み、橘宗一少年に別れを告げた。

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黒岩比佐子さんのブログにも引用されていた
佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』の抜粋が一部読めるサイト
→ http://d.hatena.ne.jp/karatedou/touch/20110914

毎年9月15日に開かれている「橘宗一少年墓前祭」(このサイトは2009年のもの)
→ http://irregularrhythmasylum.blogspot.jp/2009/08/blog-post_29.html

橘少年の墓が発見された経緯が記されているサイト
→ http://saluton.asablo.jp/blog/2007/09/16/1801366








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posted by 星跡堂主人 at 21:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 名古屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第7回雑司が谷ぞうさんぽ「鎌倉街道から高田富士へ」

6月末に実施した
第7回雑司が谷ぞうさんぽ「鎌倉街道から高田富士へ」の内容と写真が
「雑司が谷ぞうさんぽ」のサイトにアップされております。
御覧下さいませ。
→ http://michikusa-walk.seesaa.net/article/400702874.html

「雑司が谷ぞうさんぽ」は、3.11の後、
改めて、雑司が谷地域の歴史とその良さを実地に歩いてみて
発見していこうとと、始まった「まちあるき」の会です。
posted by 星跡堂主人 at 13:47| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑司が谷 雑司ヶ谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

『カルミナ・ブラーナ』 校訂原典版とカール・オルフ作曲版歌詞の照合、及び若干の注釈


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1803年にミュンヘン郊外の Beuern にあるベネディクト派の教会 Kloster Benediktbeuern で発見された”Codex Buranaus” (Beuern 写本、羊皮紙に書かれたこの写本の原文は11〜13世紀のものと推定されている)を、
校訂テキスト化した校本『カルミナ・ブラーナ』(日本語訳『全訳 カルミナ・ブラーナ ベネジクトボイエルン歌集』永野藤夫訳による)と、
カール・オルフ作曲の『カルミナ・ブラーナ』に使用されている歌詞の部分とを、照合しました。
また、必要に応じ注釈を付け加え、新国立バレエで上演されたデビッド・ビントレー振付の『カルミナ・ブラーナ』(1995年にバーミンガム・ロイヤルバレエ団で初演)にも言及しました。

『カルミナ・ブラーナ』の初めての出版は、1847年の以下の本、
Johann Andreas Schneller
 ”Carmina Burana : lateinische und deutsche Lieder und Gedichte einer Handschrift des 13. Jahrhunderts aus Benedictbeuern ”
→ http://ow.ly/vWRZ2  (Bayerische Staatsbibliothek digital)
→ http://ow.ly/wrk9b  (HathiTrust’s digital library)
この本では、カール・オルフ作曲版と同じように、
冒頭に「運命の輪」の挿絵入りで”O Fortuna”が配されています。

その後、テキストクリティークを経て1979年に校本として、
”Carmina Burana. die lieder der benediktbeuren Handschrift” が出版され、
日本語全訳本も主にそれに基づいています。
その一部が読めるサイト 
→ http://www.hs-augsburg.de/~harsch/germanica/Chronologie/13Jh/CarminaBurana/bur_card.html


オルフの『カルミナ・ブラーナ』に関しては、以下のサイトの翻訳に準拠し、
→ http://carminaburana.web.fc2.com/index.html
新国立バレエ『カルミナ・ブラーナ』のパンフレットの翻訳と異同がある場合は示しました。(但しタイトルの部分のみ、新国立パンフレットは英訳からの重訳と思われます。)

オルフ版の歌詞の典拠と思われる
『カルミナ・ブラーナ』校訂原典のCB(Codex Buranaus)番号を示し、
それに該当する詩の、日本語訳本『全訳 カルミナ・ブラーナ ベネジクトボイエルン歌集』のページを明示しました。

以下======================================




carminaBuranaBild1.jpg


「 FORTUNA IMPERATRIX MUNDI 」 
「フォルトナ、世界の支配者 」 
新国立バレエ団上演パンフレット(以下「新国立版」)「運命、世界の王妃よ」
章タイトルは、作曲者のオルフが原典の300余りの詩歌から選集したものを、章としてまとめたタイトルなので、当然、原典写本にも活字出版本にもない。
「 FORTUNA IMPERATRIX MUNDI 」という詞自体も原典にはない。
ただ、ローマ帝政期においては「Fortuna Panthea」(万物の親神フォルトナ)と呼ばれ皇帝の守護神にまで祀りあげられていた。

シリアで発見された2世紀頃の「Fortuna Panthea」の像
→ https://www.deutsche-digitale-bibliothek.de/item/6NRC4SP4DS2XIJ5JRBLXON7NBCWZANXP

また、以下の地図は、フォルトナ像が描かれた古代ローマ時代の地図を、中世西欧でそのままコピーされたもの。
WeberPeutingAntioch.jpg


どちらの像にも、冠があり、そのイメージが中世西欧にも伝わる。
以下の図像は、有名な『カルミナ・ブラーナ』の挿絵(これは原典写本のもの)
img_0.jpeg


1847年に『カルミナ・ブラーナ』が活字出版された際、
「SERIA」の部分の冒頭に
オルフが用いた第1曲目「O Fortuna」の歌詞と、このフォルトナの絵が共に印刷されていた。
image.jpeg

作曲者オルフには、このフォルトナのイメージが強くあったはずで、
こうしたことから、
古代ローマ時代の万物を統べる神フォルトナとして、
「 FORTUNA IMPERATRIX MUNDI 」というタイトルを
オルフは冒頭に付けたのかもしれない。


このタイトル、
新国立版は”IMPERATRIX”(英訳は”EMPRESS”)を何故か「王妃」と訳している。直訳的にするなら「皇后」とすべきで「王妃」では誤訳ではないか。「皇后」と「王妃」とでは全く身分が異なる。


1  O Fortuna 「おお、フォルトナよ」(ラテン語)  
新国立版「おお、運命よ」
CB17 「月のような運命」(小タイトルは翻訳者が便宜上付けたものと思われる。)『全訳 カルミナ・ブラーナ』(以下『全訳』と略)P.22

2  Fortune plango vulnera 「私はフォルトナの傷を嘆く」(ラテン語)  
新国立版「運命は傷つける」
CB16 「運命の輪」 『全訳』P.21
盲目のフォルトナが廻す車輪から転落していく有名な人々の図
Rueda de la Fortuna-Royal 20 C IV.jpg

14世紀フィレンツェの詩人Giovanni Boccaccio の
”De Casibus Virorum Illustrium (On the Fates of Famous Men)”の挿絵



「 PRIMO VERE 」「早春に 」 
新国立版「春に」
この「 PRIMO VERE 」はタイトルもまさにそのまま、
ボッティチェリ(Sandro Botticelli)の「 Primavera」(15世紀末)の世界。
こうした章を作った作曲家オルフは明らかに、『カルミナ・ブラーナ』の原典よりも後のルネサンス期をイメージしている。
しかし、それは既に13世紀の原典『カルミナ・ブラーナ』の詩の中に、ルネサンス期を彷彿とさせる自由な精神が内包されていた(グレコ・ローマンの神話や新プラトン主義など)ということでもある。
新国立バレエで振付のデヴィッド・ビントレーが、このパート冒頭で妊婦を登場させるのも、西風ゼフィロスに孕まされた森の女神クローリスの姿、
さらには、この絵では特にお腹が大きく描かれ「豊穣」を示すヴィーナスその人の姿にも思える。

3  Veris leta facies 「春の楽しい顔は」(ラテン語)  
新国立版「うつくしき春」
CB138 「愛のあこがれ」(一、二、四、五) 『全訳』P.204

4  Omnia sol temperat「 太陽は万物を整える」(ラテン語)  
新国立版「太陽はすべてをいたわる」
CB.136 「あの娘が恋しい」(一、二、三) 『全訳』P.202

5  Ecce gratum 「見よ、好ましい」(ラテン語)  
新国立版「春の訪れ」
CB.143 「恋の褒美を」(一、二、三) 『全訳』P.208
詩の末尾にある「パリス」はギリシア神話「パリスの審判」のパリスのことで、彼がヴィーナスを選び、「ヘレナ」を得る事がトロイ戦争の原因となる。「ヘレナ」は「24」の詩句に登場する。



「 UF DEM ANGER 」  「草地の上で 」 
新国立版「草の上で」

6  (Tanz) ーー歌詞はありません。 
新国立版「踊り」

7  Floret silva nobilis 「高貴な森は華やぐ」 (ラテン語、中高ドイツ語) 
新国立版「気高き森」
CB.149 「彼はいずこ」 『全訳』P.214

8  Chramer, gip die varwe mir 「小間物屋 さん私に色紅 をください」(中高ドイツ語) 
新国立版「店の人よ、私に紅を下さい」
CB.16* 補遺「大受難劇」中の35行目〜52行目のマリア・マグダレナの台詞  『全訳』P.345
「マリア・マグダレナ」は言うまでもなく、キリストの復活を最初に見た「罪の女」(娼婦、一説にはキリストの妻とも)のこと。イエスの体にその長い髪で香油を塗った逸話があるため、香油壷を持ち長く伸びた髪で描かれる事が多い。
訳注に、
この台詞部分はラテン語ではなく中高ドイツ語で、
「世俗的な部分の拡大は、一般の趣向にもよる。」とある。


9  Reie 「輪舞」(中高ドイツ語) 
新国立版も同じ
CB.167a、 「あの娘を想えば」(七) 『全訳』P.233
CB.174a1,2「なんとご美人」(四、五)『全訳』P.239

10  Were diu werlt alle min 「世界がすべて私のものであったとしても」(中高ドイツ語) 
新国立版「世界が我が物となるとも」
CB.145a 「ミュースが歌と来る」(七) 『全訳』P.211
全訳本は、このパートを、女性を主語にして以下の様に訳している。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
海から河まで
全世界が妾のものになるなら
  あきらめてもいいわ
イギリスの王様を
  この腕に抱くのをね
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


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「 IN TABERNA 」  「酒場で 」  
新国立版「居酒屋にて」

11  Estuans interius 「内に燃えあがる」(ラテン語)  
新国立版「怒りに、心収まらず」
CB.191 「吟遊詩人の告白」(一〜五) 『全訳』P.257

12  Olim lacus colueram 「かつて、私は湖水にすんでいた」(ラテン語)  
新国立版「焙られた白鳥の歌」
CB.130 「焼き白鳥の歌」 『全訳』P.195

13  Ego sum abbas Cucaniensis 「我はクカニアの大修道院長よ」(ラテン語)  
新国立版「予は大僧正様」
CB.222 「我こそ院長」 『全訳』P.293
原文ラテン語は”abbas”「修道院長」なので、新国立版が何故に「大僧正」(大司教、Archiepiscopus)と訳しているのか疑問。両者は全く別の身分。
『全訳』は「ワフナ、ワフナ」の部分を「人殺し、人殺し」と訳している。

14  In taberna quando sumus 「酒場に我らがいる時は」 (ラテン語)  
新国立版「われら、居酒屋にあっては」
CB.196 「酒の歌」 『全訳』P.267




「 COUR D' AMOURS 」  「愛の誘い 」 
新国立版「求愛」

15  Amor volat undique「 キューピッドは至るところを飛び回る」(ラテン語)   
新国立版「愛の神はいづこにも飛び来り」
CB.87 「恋は赤くて青い」(四) 『全訳』P.130

16  Dies, nox et omnia 「昼も夜も、そしてすべてのものが」(ラテン語、古フランス語)  
新国立版「昼、夜そしてあらゆるものが」
CB.118 「長の追放」(四、五、七) 『全訳』P.182

17  Stetit puella 「少女がたっていた」(ラテン語) 
新国立版「赤い胴着の乙女が立っていた」
CB.177 「赤い服着た娘」(一、二) 『全訳』P.241
このパート続きは以下の様
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
娘が 木の下に立って 
葉に 恋人の名を書く
するとウェヌスが来る
  大きな恋(カーリタース)
    気高い恋(ミンネ)を
   娘は男にあげる
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

18  Circa mea pectora 「私のこころの周りには」(ラテン語、中高ドイツ語)   
新国立版「私の心はため息みつ」
CB.180 「恋文」(五、六、七) 『全訳』P.244

19  Si puer cum puellula 「 若し、少年が少女とともに」(ラテン語) 
新国立版「若者と乙女がいたら」
CB.183 「若者と乙女が」(一、二) 『全訳』P.248

20  Veni, veni, venias 「来い、来い、来ておくれ」(ラテン語) 
新国立版「おいで、おいで」
CB.174 「なんとご美人」 『全訳』P.239

21  In truitina mentis dubia 「心の迷う秤のなかで」(ラテン語) 
新国立版「ゆれ動く、わが心」
CB.70(十二a、b) 「恋のみそかごと」 『全訳』P.105
CB.70「恋のみそかごと」は、男女の対話詩で、
その対話詩の最後の章句として、23の「この上なく甘美に」の詩句が配されている。

フォルトナは、「2」で示したように、運命の車輪を操り人々を絶頂から転落へと追い落とす。
しかし一方でその車輪を廻すのは彼女自身ではなく、彼女には意思はなく、
彼女自身も車輪とともに廻っているのだという解釈も存在した。
(「 FORTUNA IMPERATRIX MUNDI 」で示した 『カルミナ・ブラーナ』原典写本の挿絵でも、フォルトナの身体が車軸と一体化しているように見える。)
その場合、車輪を廻すのは全能の神である。
フォルトナはその神の意志の現れに過ぎないとする。
ローマの女神だったフォルトナが、庶民の間ではキリスト教時代にも生き残り続けたので、キリスト教神学と「運命の女神」フォルトナへの信仰を折衷させる苦肉の解釈ともいえる。

Rueda de la Fortuna-1482.jpg

Lorenzo Spirito Gualtieri ”La Rueda de la Fortuna” 1482年(ペルージャLibro delle Sorti )
フォルトナの身体が車輪の中に収まり、車軸と重なっている。フォルトナ自身も車輪の回転とともに廻り続ける事になるだろう。
 
22  empus es iocundum 「楽しみの時だ」(ラテン語) 
新国立版「楽しい季節」
CB.179(一、四、七、五、八) 「みんな花ざかり」 『全訳』P.243

23  Dulcissime 「この上なく甘美に」(ラテン語) 
新国立版「私のいとしい人」
CB.70(十五) 「恋のみそかごと」 『全訳』P.106
『全訳』はこのパートを以下の様に男性を主語に訳している。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  「わたしのいとしい娘よ、
 わたしは身も心もささげる」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「 BLANZIFLOR ET HELENA 」  「ブランジフロールとヘレナ 」

24  Ave formosissima 「ああ、この上なく美しい人よ」(ラテン語) 
新国立版「たたえよ美しきものよ」
CB.77(八) 「恋の対話」 『全訳』P.116
このパート訳注には「アヴェ・マリアを思わせる節。」とある。
「1」で見たようにフォルトナはしばしば戴冠している。しかしキリスト教の図像で戴冠している女性は一般には聖母である。それ故に、フォルトナのイメージはしばしば聖母マリアとも重なるようになっていく。
スコットランドの英雄ウォーリスを讃えた物語詩集『ウォーリス』(15世紀)中に見える詩の一節、

「わたしは彼女がいかなる女王であるのか、
 運命の女神であるのか、気高きマリア様であるのか、わかりません
 彼女の放つ輝によると、
 おそらくはこの世を創造された主なる神のご母堂のようです」
              
       (引用は『中世文学における運命の女神』1993、
       原書は”The Goddess Fortuna in Mediaeval Literature",1927 )

また
丸いもの(車輪)の上に立つ女、月のイメージを抱く女、
さらには巌を住処とするフォルトナのイメージは、
「無原罪の宿り」の聖母のイメージとも重なっている。
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スペインの画家ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo)の数ある同テーマの一作、1650年作。

愛の女神「ヴィーナス」との繋がりは、運命の女神が恋愛をも支配するという解釈が12世紀の『アベラールとエロイーズ』あたりから生まれ、運命の女神こそが恋愛を成就させたり終わらせたりするように考えられた。
ヴィーナスが車輪を廻したり、フォルトナが愛を支配したりして、ヴィーナスとフォルトナのイメージが相互的な重なり深化していった。

1390年に成立したJohn Gowerによる”Confessio Amantis”中にある詩の一節、
「もし運命によって支配されている
 天秤というものがありますなら、
 教わりましたとおりに、私は
 愛がその天秤を手にしていると信じるのです」
                        (引用は、前掲書)


校訂原典では、このCB.77の前にCB.76「ヴィーナス寺もうで」という詩があり、その詩を読むと「ヴィーナス寺」とは娼婦館の意味と解せる。
また、
「 BLANZIFLOR」は、11〜14世紀にかけて西欧で流行した、ムスリムの娘 Blanchefleurと騎士Floris(イングランドではBlanchefleurがキリスト教徒でFlorisがムスリムにとあべこべになっている)の恋愛物語 ”Floris and Blancheflour” に基づく。




「 FORTUNA IMPERATRIX MUNDI 」 
「フォルトナ、世界の支配者 」
新国立版「おお、運命よ」

25  O Fortuna 「おお、フォルトナよ」(ラテン語) 
新国立版「おお、運命よ」
CB.17 「月のような運命」 『全訳』P.22

==========================================以上



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posted by 星跡堂主人 at 15:19| 東京 ☀| Comment(2) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月28日

新国立バレエ団『カルミナ・ブラーナ』レヴュー


Fortuna con balanza.jpg

La Fortuna carrying a balanced scale with two books, symbols of evil and goodness of this goddess. Boccaccio, De casibus『名人列伝』 (1450-1475)


私は、『カルミナ・ブラーナ』という曲が余り好きではない。
特に冒頭の感情を掻立てる一撃が。
それはたぶん、私の中の内面にあるものに深く作用するからこその嫌悪であった。
なので、新国立バレエの今まで2度の公演を見ていない。
今回、初めてこれを見た。
4月26日、27日 於 新国立劇場大劇場
「フォルトゥナ」役は、湯川麻美子と米沢唯。

新国立バレエ『カルミナ・ブラーナ』
公演概要
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/carmina_faster/index.html
主なキャスト
http://ow.ly/wdYct
振付家のデビット・ビントレーは、『カルミナ・ブラーナ』の時代設定を「現代」に置き換え
オルフの原曲にある主要な3場を
「愛」を象徴する「ダンスホール」
「欲望」を象徴する「ナイトクラブ」
「性愛」を象徴する「売春宿」
 に設定したと述べている。
→ http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/carmina_faster/introduction/index.html
しかし、私には、
『カルミナ・ブラーナ』の歌詞はそんな単純な置き換える事を拒否しているように思える。
もっと時代横断的な解釈をした方が、この作品の意味がより深まるのではと感じている。

そもそも『カルミナ・ブラーナ』の原詩は11〜13世紀なのだから、
中世の終わりからルネサンスを経た近代、さらには現代にかけての物語と捉えた方が、すんなり腑に落ちる。

『カルミナ・ブラーナ』の原語歌詞と訳詞は、このサイトを参照した。
→ http://carminaburana.web.fc2.com/index.html


プロローグ 「 FORTUNA IMPERATRIX MUNDI 」 

第1曲 ”O Fortuna”「おお、フォルトナよ」
冒頭のソロでどう踊るかは、この作品全体を支配する。
『カルミナ・ブラーナ』の様に冒頭の一曲が強烈なインパクトを持っている作品では、特にそうなる。
湯川麻美子は、既に新国立初演時からこの場のフォルトゥナを踊っており定評を得ている。
流石に、ある種の”気”を感じさせる、強い踊りだった。
別のキャストの米沢唯に比べると、ステップの幅も取り、全体に強く大きく踊っていた。
これは、まさに世界を支配する「運命の女神」だ。

一方、
今回が初役の米沢唯は、身体のラインを明確に出し、
湯川が大きく円を描いているのに対して
こちらはもっと鋭角的で直線的に踊っている。
それは米沢のダンスの特徴でもあるが、そう動く事で、
フォルトゥナの動きが天から糸で吊られた操り人形のようにさえ見えてくる。
これは彼女がよりバレエ・クラシック的に踊ったからなのかもしれない。
だから湯川の様に全てを統べる女神には見えない。

フォルトゥナさえも、実は「運命」というなにものかに、
この強烈なオルフの音楽に、踊らされているようにさえ見える。
これは米沢の「解釈」だったのではないかと、私は思う。
「運命の女神」に、特別な意思はない、
彼女は単に、「運命」と名付けられた得体の知れないものの表象でしかないのだと、、、

つづく
第2曲 ”Fortune plango vulnera”” 「私はフォルトナの傷を嘆く」 で
神学生たちが闇の中で踊る。
ここで唱われている「髪」を、
邦訳『全訳カルミナ・ブラーナ」は、フォルトゥナの前髪はあるが後頭は禿げている
(「機運の神」としてチャンスはやってきた時に掴まないと、
後からでは捉えられないという象徴)
と、訳しているが、
新国立バレエ団のパンフレットの訳などは、
 「黒髪豊かな若者も 
    時がくれば失う その黒髪を」
と、  
「少年老いやすく」「花の命は短くて」というイメージで訳している。

ビントレー版『カルミナ・ブラーナ』作品全体でのここのダンスとしては、
「運命の輪」によってうるわしい青春(春)はとても短い、
だからこそ、
修道院から世俗へと、若き抑え難き思いを外へと、向かわせているように見える。
若者の熱い血潮をさえ、感じる。
ふと、
 「青春はうるわし
     されど逃れゆく、
   楽しみてあれ、
     明日は定めなき故」

ルネッサンス期にボッティチェリの庇護者だった
ロレンツォ・イル・マニーフィコの愛誦句を思い起こす。



第1部 「PRIMO VERE 」「 UF DEM ANGER 」

第3曲 ”Veris leta facies”「春の楽しい顔は」 で、 
おなかの大きな女たちが出てくる。
これにはちょっと驚いた。
タイトルもそうだが、
これは明らかにボッティチェリの「La Primavera」の世界に思えるからだ。
誰もが知っている名画には、解釈が多様にあるようだが、
西風ゼフュロスが風を吹きかけ森の女神クロリスを目覚めさせ(又は孕ませている)
花々(フローラ)の春を呼び寄せていることは、確かだろう。
さらに、中央のヴィーナスは、おなかが膨らんで同じボッティチェリの「Nascita di Venere」が「天上のヴィーナス」に対して「世俗のヴィーナス」とされ、その体型は明らかに違う。
春の豊穣が、性を介して多産に結ぶ。

キリスト教中世世界に、
グレコ・ローマンの神話を復興し、より世俗的人間的な世界を導く。
これは「ルネサンス」のことだろう。
歌詞にもフローラ、ヴィーナスが出てくるから、
振付のビントレーは、ボッティチェリとルネサンスを意識して提示したのは間違いない。


第8曲 ”Chramer, gip die varwe mir" 「お店屋さん私に紅をください」 では、
第1の神学生が娼婦たちと様々な遊びを戯れるが、手で双眼鏡の仕草をして遠くを見る真似をする。それを女たちが同じように真似をする「何が見えるのか知らん」と。
双眼鏡で遠くの何かを見る、これはまさにルネサンスが産んだ近代の「視る」という行為だ。
遠くの何かを見たいということと、異性を求めるということがここでは重ね合わされる。
そして
 ”Wol dir, werit, daz du bist    ようこそ、世界よ, お前は
  also freudenriche!         かくも喜ばしい ”

と、恋し、視る、事が「世界」との喜ばしき遭遇を導く。
「恋愛」は、単に異性を求めること以上の、世界への欲望を開花させる。

この場の最後は男女の総踊りとなり、
あの、第10曲 ”Were diu werlt alle min" 「世界が全て私のものであったとしても」

"Were diu werlt alle min   世界が全て私のものであったとしても
von deme mere unze an den Rin ーー 海からライン川まで
des wolt ih mih darben,       そのためには、無しですまそう
daz diu chunegin von Engellant    それによって、イングラントの王妃を
lege an minen armen. Hei !       私の腕に横たえるためには. ヘイ ! "

となる。
「視ること/視られること」が「恋愛」を産み、さらにより遠くを視ること、
視線は遠い異国へと向かう。
これが、
中世修道院の暗い一室(フラ・アンジェリコのフレスコ画で有名なサン・マルコ修道院の僧坊などを想起されたし)で神と対話していた者たちが
解放された先の、「近代」という時代なのだ。


この場を踊った第1の神学生は、菅野英雄と奥村康祐だった。
菅野は体のラインが本当に美しい。それが春の気分を出していた。
「恋する女」役はさいとう美帆、アイリッシュダンスのステップが軽快で気持ちいい。
奥村の相手役は、小野絢子。奥村のうぶで若い青年の雰囲気と小野はとても合う。
二人でのダンスの部分も清純な若い人の恋を思わせる。
この二人は、思った以上に相性が良いのではないか?
今後もっと組んで欲しいと思った。


第2部「 IN TABERNA 」 

第11曲 ” Estuans interius" 「内に燃え上がる」 は、男性のソロ
歌詞は、儚い存在である自身を持て余す苦悩からヴィーナスへの思いを述べ、

 ”mortuus in anima    魂において死に
  curam gero cutis.  私は関心を肌に向ける”

と語る。
ダンスもその苦悩を純粋に示し、第2の神学生が踊る。
もの凄い勢いで思いを炸裂させ踊っていたのが八幡顕光、
一方、福田圭吾は、もう少しゆったりと音楽と歌詞を踊っていた。
この二人は同じ役を踊る事が多いが、今回もそれぞれの個性が際立つ。
こういうダンサーを二人持っていることは、素晴らしいと思う。

この神学生の欲望の先は
「ローストスワン」に向けられる。
『カルミナ・ブラーナ』の原典を書いていた放浪僧たちは、美食の歌を書く事も多かった。
ここででは、人間の原初的欲望である食べる事と性が重ね合わされる。
本島美和と長田佳世はともに、新国立バレエ団きっての美脚の持ち主なので、
この役はぴったりだが、特に踊る訳でもないのでちょっともったいないか。
もっと踊る振りにできないか?
ジョージ・グロスの風刺画をビントレーがモデルとしたと云う「食いしん坊たち」は着ぐるみなので限界があるだろうが、もう少し滑稽で悪辣な動きをデフォルメしてほしかった。

第一部から「街の男たち」が出ていて、ここでも活躍するが、
如何にもヤンキー風のチンピラという感じで良かった。
世俗の一般の若い男たちなのだろうが、今現在の日本では既に「昭和」の男達とも云われるだろう。
今日では、もっと異なる男たちのイメージ、
たとえば、背後のウォールに巨大な旭日旗を描いて
(他の落書きでも良いが、こんな俗な所にある壁があんな綺麗なままはあり得ない)、
「怖雄流斗那 上等!」って書いたらどうかしらん、、(^o^)
きっと、よりリアルになるのではないだろうか。
オルフの音楽の向こうにある「ナチズム」を想起するためにも、
そうした演出は効果的だと思う。



第3部「 COUR D' AMOURS 」 

第15曲 ”Amor volât undique”「キューピットは至るところを飛び回る」 で、 
第3の神学生が、娼婦の館に迷い込む。
その男につづいて、舞台下手から大きなサングラスをかけた紅い服の女が徐に現れる。
(「フォルトゥナ」なのだが、冒頭の目隠しはサングラスに代わり、真っ黒な衣装は赤い、
なので「フォルトゥナ」には見えない。)
ここの歌詞は

  ”Siqua sine socio,    仲間の居ない彼女には
  caret omni gaudio;  すべての悦びに欠けている
  tenet noctis infima  彼女は闇の底を持ち続ける
  sub intimo       最も奥底に
  cordis in custodia:  心の暗所に”

最後に、アムールの声である児童合唱(新国立バレエ団では女声)が
”fit res amarissima. 事態はもっとも辛いものとなる” と付け足す。

次の16曲 ”Tua pulchra facies"「あなたの美しい顔は」 で
第3の神学生がフォルトゥナに恋情を告白しながら、徐々に服を脱いで裸になっていく。

  ” me fay planszer milies,      私を1000回も悲しませ
   pectus habet glacies.     心は氷をもっている
   a remender          癒しによって
   statim vivus fierem        私は直ぐに、元気になる
   per un baser.          一つのキスによって ”

静かに徐々に欲望が現れる。
これに呼応するように、第17曲 ”Stetit puella" 「少女が立ていた」 で
   ”Stetit puella  少女がたっていた
rufa tunica;  赤いチュニカを着て”

赤いチュニカの女(フォルトゥナ、もうサングラスはしていない)が肢体をくねらせて踊る。
この部分の歌詞は、原典では、オルフの採用した部分の後に以下のように続く、
  ” 娘が 木の下に立って 
   葉に 恋人の名を書く
   するとウェヌスが来る
   大きな恋(カーリタース)
    気高い恋(ミンネ)を
    娘は男にあげる ”

つづいて、男声が求めるが如く、唱い始める、
第18曲 ”Circa mea pectora" 「私のこころの周りには」

  ” Vellet deus, vellent dii   神よかなえてください。神々よかなえて下さい。
   quod mente proposui:   私がこころに決めたことを
   ut eius virginea      ーーかの処女の
   reserassem vincula. Ah   鎖をはずすという  ああ
   Vellet deus, vellent dii   神よかなえてください。神々よかなえて下さい。
   quod mente proposui:   私がこころに決めたことを ”

二人は絡み合って踊る、神学生が求めるのを、赤い女(フォルトゥナ)が攻撃的にやっつける。
(女声ソロはただ「Ah~~」とだけ声を添える、合唱は「Manda liet, manda liet」と囃す)
合唱が周りから囃し立てるが、この状態は変わらない。
このパートの、バーミンガムロイヤルバレエ団(Céline Gittens and Tyrone Singleton )
リハーサル映像
→ http://vimeo.com/25409046

19”Si puer cum puellula” 「若し、少年が少女とともに 」で
更に男が動物的に求める、
20”Veni, veni, venias” 「来い、来い、来ておくれ」では
周囲の男女も絡み踊る。

その後、突如、曲想が変わり、
第21曲 ” In truitina mentis dubia" 「心の迷う秤のなかで」  
この曲は、全曲中最も美しいが、そこで最も美しいパ・ド・ドゥが踊られる。

湯川は、ここでも基本的にはフォルトゥナのままだが、
(これは相手がゲストだったせいかもしれない。初演時の山本隆之とだったら違ったのだろうか、、)
米沢は、ただのひとりの女(どちらかと言うと少女に見えるが)として踊っているように見えた。
今までに見た福岡雄大とのパ・ド・ドゥのどの踊りよりも、
美しくうっとりするものだった。
この二人は、こんな幻想的な踊りも出来るのかと、初めて感じた。

 ” In truitina mentis dubia     心の迷う秤のなかで
  fluctuant contraria        揺れ動く。 ー−相反する 
  lascivus amor et pudicitia.     放縦な愛と純潔が
  Sed eligo quod video,       しかし、私は私が見るものを選び  
  collum iugo prebeo:        頚をくびきに差し伸べ
  ad iugum tamen suave transeo.   甘いくびきへと進む ”

たぶん、米沢の解釈では、ここでは「フォルトゥナ」ではく、
恋するひとりの女なのだろう。
この詩句は、原典では、男が女に言い寄り、女が応えるという対話詩だが、
この部分は女の迷う心情を表している。
男の愛情を受け入れるかどうか、ひとりの女としての迷いが原詩にもある。
ただしかし、「浮いたり沈んだりする秤」が、
運命の車輪を廻す不安定な存在である「フォルトゥナ」の象徴とも読める。
常に背後にフォルトゥナが居ることは、
米沢のように踊っても同様だろう。
どの面をより強調するか、それがダンサーそれぞれの個性に基づいた解釈になる。
湯川の個性からは、フォルトゥナの面を強調するのはすんなりと腑に落ちる。

第22曲 ”empus es iocundum"「楽しみの時だ」 では、
男女に分かれて、フォルトゥナと神学生が戦うのだが、
まるで子どもたちが「はないちもんめ」を楽しんでいるのようにさえ見える。


第23曲 ”Dulcissime” 「この上なく甘美に」

  ” Dulcissime        この上なく甘美
   ah totam tibi subdo me !   ああ、貴方にすべての私をささげる ! ”

この曲の歌詞は、実は原典では、第21曲と同じ詩「恋のみそかごと」に依っている。
この長い詩の一番最後の句が、この第23曲の部分に当たる。
長い迷いの末に、女は気持ちを固めたのか、、、

第24曲「Ave formosissima"「 ああ、この上なく美しい人よ」 で
聖母、ヴィーナス、ヘレナ、などの女性たちを崇め、
赤い女は、神学生に愛を捧げられ、高々とリフトされる。

しかし、
その直後、音楽がまた一変し(第25曲 ”O Fortuna”「おお、フォルトナよ」)、
フォルトゥナのテーマに変わる。
女は、神学生の手を振るほどき、その「本性」を顕わにする。

知らぬ間に、背後には、多くのフォルトゥナが出現する。
新国立バレエのパンフレットでは「フォルトゥナのクローン」とあるが、、
「クローン」にするには、男性ダンサーも踊っているのは何故だろうか?
(「クローン」であるなら、生き写しでなくてはならないので
『ラ・バヤデール』の影の王国のコールのようにすべきだろう。)
背後の、
フォルトゥナ化した男性ダンサーは、さっきまで「街のチンピラ」として踊っていた男たちだ。
多くの人たちが、フォルトゥナの、運命の力の畏れを抱き、
彼女を「運命の女神」として祀り踊っているように思えた。
だから、
ここでのフォルトゥナは、闇の中から目隠しをして現れた冒頭のフォルトゥナとは、明らかに違う。
踊りの振付は同じでも、
フォルトゥナは、人々の欲望とその喪失という情念を得て、「神」になったのだ。

私たちは、この『カルミナ・ブラーナ』一曲を通じて、
フォルトゥナとその運命に操られる人々を見てきた、
そして、その操られる人々を付き従えて、
今、フォルトゥナは、さらに大きくなり、踊っている。

最後の場面、3人の神学生たちは、その中には入る事無く、
舞台奥へと消えていく。
振付家のビントレーは、「彼らは地獄へ堕ちた」とインタヴューで述べているが、
本当にそうだろうか?
神学生から堕落し「神」にも見捨てられ、
今また「運命の女神」にも見捨てられた、
しかし、その音楽に踊らさせ、背景に消えていく。
本当は、フォルトゥナの「クローン」と化して、
オルフの強烈な音楽とともに踊る方が、楽で心地よいのではないか。
共には踊らず、背景に消えていった、彼らは、地獄に堕ちたかもしれないが、
未だ、「蜘蛛の糸」に出会える可能性は残されているのではないだろうか。


レヴュー 了

以下も、参照されたし。
「新国立バレエ 『カルミナ・ブラーナ』プレヴュー  Ballet ”Carmina Burana” Ballet of New National Theatre Tokyo」 http://zoushigaya.seesaa.net/article/395080610.html

「『カルミナ・ブラーナ』 校訂原典版とカール・オルフ作曲版歌詞の照合、及び若干の注釈」
http://zoushigaya.seesaa.net/article/396075540.html



Rueda de la Fortuna.jpg

La Ruota della Fortuna. Francesco Petrarca, "De remediis utriusque fortunae" 『順逆両方への対処法』(Paris, 1503)






















posted by 星跡堂主人 at 16:29| 東京 ☁| Comment(1) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月19日

新国立バレエ 『カルミナ・ブラーナ』プレヴュー  Ballet ”Carmina Burana” Ballet of New National Theatre Tokyo


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2014年4月19日〜4月27日まで
新国立バレエ団で上演されるバレエ『カルミナ・ブラーナ』は、
カール・オルフの世俗カンタータ『カルミナ・ブラーナ』に
デビッド・ビントレーが振り付けた作品。
初演は、1995年9月27日、バーミンガム・ピポドローム、
ビントレーがバーミンガム・ロイヤルバレエの芸術監督になった歳である。

新国立バレエ団では、
2005年10月29日〜11月6日
2010年5月1日〜5日
に続いて、三度目の上演。
抜粋映像→ https://www.youtube.com/watch?v=9ePu2GEqXlc#t=49
ビントレー作品は、オルフの音楽を冒頭からカットすることなく全曲使用している。
但し、通常使われる児童合唱は、バーミンガムでは聖歌隊が唱ったらしいが、
新国立劇場の上演では入っていない。

因に、オルフの『カルミナ・ブラーナ』日本初演は
1955年5月14日 日比谷公会堂でのNHK交響楽団演奏会
→ http://ml.naxos.jp/work/2476208


作曲者のカール・オルフは、この作品を、
1847年に活字出版された以下の本に基づいて作曲したとされている。
Johann Andreas Schneller
 ”Carmina Burana : lateinische und deutsche Lieder und Gedichte einer Handschrift des 13. Jahrhunderts aus Benedictbeuern ”
→ http://ow.ly/vWRZ2
P.264以降がインデクスになっている。

”Carmina Burana” とは、
「 Beuern(ボイヤ(レ)ンの)歌」( ”Beuern”は古くは”Bura”と呼ばれたらしい)という謂いのラテン語に当たる。
この標題は、
1803年にミュンヘン郊外の Beuern にあるベネディクト派の教会 Kloster Benediktbeuern で
中世の詩歌320編(数え方に依っては250くらい)が Johann Christoph von Aretin によって発見されたことに基づいている。
この教会は、ドイツバロック様式の真珠ともよぶべき美しい佇まいである。
Kloster Benediktbeuern→ http://www.kloster-benediktbeuern.de


bur_cama.jpg

発見された原典にある森を描いた美しい挿絵、紙ではなく羊のなめし皮に書かれている。


所が、その後、発見者が秘蔵していた為に世に出るのは遅れる。
1844年などに Jacob Grimm により一部が出版されたが、
大部の出版は、1847年の先に示した本まで待たねばならなかった。

原典の詩は、
主にラテン語で書かれ、他に
古い、フランス語、プロヴァンス語、イタリア語、中高ドイツ語、
さらにはそれらがミックスされたマカロニック・スタイルで書かれている。

時代は、1230年頃の写本と推測されるので、
11世紀〜13世紀前半のものとされているが、
これらは纏まった本ではなく断片集であり
元来は、”Codex Buranaus” (Beuern 写本)と呼ばれていた。
現在この原資料は、
Bayerische Staats Bibliothek(バイエルン州立図書館)に保存されているらしいが、
残念ながら、ネットでは公開されていない。

Deutsche national Bibliothek (ドイツ国立図書館)のサイトで一部、楽譜の部分がネットで見られる。
→ http://www.dnb.de/EN/DBSM/Ausstellungen/Rueckschau/handschrNotation.html?cms_notFirst=true&cms_docId=49508



作者は、ゴリアルドゥス(goliardus)、ゴリアール(goliard)と称される
(一説には「大食漢」とか「言動の放縦なもの」を意味する"gula" が語源とも、
12世紀フランスのピエール・アラベールへの批判語としての”golias” が広まったとも)
「放浪僧」(clerici vagabundi)の人々とされている。
「放浪」と呼ばれているが決して卑賤な者ではなく、
ラテン語を操っているのだから知識人階層であり、
そのカトリック知識人達が、
世俗的な一般庶民(異民族、異文化、異言語)に接触するところで
美食、好色、風刺などの詩が生まれたのだろう。
ちょうど、
日本の中世に雅俗混淆、和漢混交の文化や文体が形成された事と似ているのかもしれないし、
今風に云えば、「クレオール」文化とも言えるか。


原典、”Codex Buranaus” については、このサイト(英語)に詳しい
→ http://www.athenapub.com/14carmina.htm

このサイトの解説に依れば、大まかに4つの類型に整理されている。
”Carmina moralia” satirical or moralizing lyrics (風刺的で道徳的な詩)
”Carmina veris et amoris” songs celebrating springtime and love (春や愛を言祝ぐ歌)
”Carmina lusorum et potato rum” gambling and drinking songs , including goliardic verse 
(賭博や酒の歌、”Goliard”( 放浪学僧)の詩も含む)
”Carmina divine”  poems with religious content (神を言祝ぐ詩、復活祭の受難劇詩など)

個々の「詩」には、”CB”(Codex Buranaus)何番という、整理番号が付されている。

カール・オルフが自作『カルミナ・ブラーナ』に選んだ歌詞の詩のCB番号
(英訳歌詞)
→ http://www.poetryintranslation.com/PITBR/Latin/CarminaBurana.htm#_Toc195085570

オルフ『カルミナ・ブラーナ』の全曲構成
→ http://www.classical.net/music/comp.lst/works/orff-cb/carmlyr.php
オルフは、
冒頭の2曲を ”Fortuna Imperatrix Mundi” 「フォルトゥナ 世界の皇后」としてまとめているが、
”Imperatrix Mundi”(世界の皇后)とは、どこから出てきた言葉なのだろうか?
原典には確認出来ない。
2曲目”Fortune plango vulnera” (CB16)の最後の詩句”Hecubam reginam”「女王へクバ」は、トロイアの女王「ヘカベ」のことと思われる。
ヘカペは災いを齎すと予言された我が子パリスを、
殺す事が出来ずにトロイアの滅亡という運命の流転に晒される。

オルフの『カルミナ・ブラーナ』全曲のラテン語歌詞と日本語訳
→ http://carminaburana.web.fc2.com/index.html



オルフの『カルミナ・ブラーナ』の構成は以下のようだから、
上記の原典の分類にある程度沿っていると言える。

序   フォルトゥナ、世界の皇后(「支配者」の謂いか)
第1部 浅き春に 野の上で
第2部 酒場にて
第3部 愛の誘惑 白き花とヘレナ
終曲  フォルトゥナ、世界の皇后



1930年になって Alfons Hilka と Otto Schumannが、
言語学者の Wilhelm Mayers の研究に基づいて
”Carmina Burana; mit Benutzung der Vorarbeiten Wilhelm Meyers” を執筆して研究がより深まる。
→ http://ow.ly/vWV5Z

オルフも、この研究成果も取り入れて作曲したのではないかとも推測される。
この出版の6年後の1935〜6年にかけてオルフは、『カルミナ・ブラーナ』を作曲、翌1937年7月にフランクフルト・オペラで初演しているからだ。

Frankfurt_opera.jpg

この画像は1900年当時のフランクフルト・オペラ劇場
(戦災で被災しましたが、現在は再建され、その美しい姿を取り戻しています)
現在のHP→ http://www.alteoper.de





さて、言うまでもなく、1930年代のドイツを語る時に、
ヒトラーのナチスを避ける事は出来ない。
1936年と言えば、あのベルリン五輪の歳であり、
レニ・リーフェンシュタールによる映画『民族の祭典』が
肉体美の極地を、当時の最新技術であるスローモーションなどを駆使し表現した。
この映画では出てこないが、オルフはベルリン五輪の開会式のために
「ベルリン・オリンピック輪舞」を作曲し、
あのマリー・ヴィグマンが振付し踊った。
(開会式の総合振付はルドルフ・フォン・ラバンがしている)


私は、オルフの「O Fortuna」に始まるこの曲が以前から好きになれなかった。
余りにも時代がかっていて、大げさな音楽、リズムの繰り返しによる感情の煽動、
この曲がナチ時代に作られた事を知らずとも、そこにある怪しい影を感じた。

オルフ自身はナチとは距離を置いていたらしいが、
当時の時代の雰囲気からこの曲が逃れているとは思えない。
「原始的」と称されていることもあるようだが、
それこそ、ナチが大衆煽動に用いた神話的なイメージ。
20世紀前半の音楽は、ストラヴィンスキーでもそうだが、
古代や中世に回帰する。それがトレンドだったとも言えるが、
この曲は、ストラヴィンスキーのモダニズムとは明らかに異なるだろう。


たとえば、第10曲目にこういう歌詞を使うことは、どうだったのか?
→ http://carminaburana.web.fc2.com/yu-text-10.html
この詩が載っている1847年活字本のページ
→ http://reader.digitale-sammlungen.de/de/fs1/object/display/bsb10737557_00202.html

これは勿論、単純ではなく両義的でもあり、複雑だが、
この部分は歌詞がラテン語ではなく古いドイツ語であり、
ベルサイユ体制を打破しようとしていたナチ支配下のドイツの聴衆はどう聴いたのだろうか?

丸焼けの白鳥(「ローストスワン」とカタカナ表記されると、
私にはどうしても「失われた白鳥」だと思えてしまうが、、)、
ここで使われるテナーの裏声は中世的なカウンターテナーというよりも
1920年代のキャバレーのイメージを彷彿とさせる。

酒場にての歌詞も、どれも単純ではない暗喩が含まれるだろうが、
それに付けられた音楽はどう評価されるべきか。。。


時代背景に詳しく言及しているサイト、
とても参考になるので、一部を引用しあげておく。
「カルミナ・ブラーナ が語りかけること  野口幹夫」
→ http://kozu5.my.coocan.jp/KozuHomePage1/public_html/hiroba-05/04.12.13nogu1.html
「まさにオルフのカルミナ・ブラーナはこの時代に生まれた。
だからそのキーワードの第一は『解放』なのである。この曲の全体
に流れる生命力、強烈なリズムのかもし出す原始的なエネルギーは、
すべての束縛からの解放を求めるその時代のドイツ社会から溢れ出
るものだった。もちろん社会の状況だけで音楽を説明できるもので
はないが、音楽家は社会とは無縁ではいられない。」

「カルミナ・ブラーナが語りかけること その2」ではさらに追求がされている。
→ http://kozu5.my.coocan.jp/KozuHomePage1/public_html/hiroba-05/04.12.17nogu2.html




ただ、一方で、
『カルミナ・ブラーナ』という曲が、
その基層にある中世と繋がっていることも確かだろう。

フォルトゥナは、
元々は、ギリシャ神話のテュケー ( Tyche ) を起源に持つ一方で
ギリシア神話における「運命の三女神」モイライ( Moirai )で、
クロートー、ラケシス、アトロポスの三神、
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さらには、
北欧神話の三女神ノルン ( norn )
長女ウルズ、次女ヴェルザンディ、三女スクルド、
運命を編むものとしての「ウルズ」にもその起源を持つなど、多様性がある。

建前はキリスト教一神教でありながら
欧州の図像イメージは、
しばしば土着とグレコ・ローマンとの錯綜としてイメージされ、
この女神もそうなのだろう。
具体的には、糸で運命の車輪を回すイメージ
それが少し下ると、運命は盲目であると目隠しをする。

Rueda de la Fortuna-Royal 20 C IV.jpg


フォルトゥナ、運命の女神が
西洋でどのように形象化されたのかの変遷がよく分かるサイト
→ http://tantoshombrestantassentencias.blogspot.jp

中世の音楽として再現された『カルミナ・ブラーナ』
”O fortuna velut luna” の部分
→ https://www.youtube.com/watch?v=1WIxUoIIlB8&list=HL1397493027

”O varium fortune lubricum”部分の別の演奏
→ https://www.youtube.com/watch?v=tJ1Y9jKJNmc

どちらも、近代のカール・オルフの音楽のイメージとは全く異なる。





時代が下り19世紀の世紀末になれば、
フォルトゥナは、ラファエロ前派の
ロセッティやバーンジョーンズなどの「運命の女」へと変貌する。
かつては畏怖された運命の女神が、ここでは神から女へと重心を移し、
その女に翻弄されることを怖れつつも喜びとするような男たちが出現する。
「恋愛」や「性」が社会文化的に全面に出てきたからでもあるが、
この倒錯が世紀末近代の特徴となる。


バーンジョーンズ.jpg


「運命の輪」や目隠しされた「運命の女神」のイメージは、
ビントレーの振り付けた『カルミナ・ブラーナ』にも活かされるが、、
そこで出てくるフォルトゥナは、
酒場やローストスワンなどが描かれて、さらに神学生が恋に落ちるという物語を経ているからか、
「女神」というよりも、「恋愛」で男を擒にする世紀末的な「運命の女」により近いかもしれない。


しかし、世紀末近代と中世、どちらかだけではない多様性がそこにはあり、
または、近代を通しての中世というべき二重絵があり、
破戒僧の恍惚、逃れようのない運命付けられた地獄への堕落、
中世と近代とを併せ持つ多様性や両義性が、
”Codex Buranaus” からオルフが音楽化し、
ビントレーがダンスとして振り付けた
『カルミナ・ブラーナ』という作品には内包されてあり、
その交錯を、踊る者も見る者も味わうことになるだろう。

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オルフの『カルミナ・ブラーナ』は、
こうした変遷の先に生まれた。
ナチズムの大衆煽動と世紀末のイメージ、
ある種のどうしようもなさからの解放、
だが、そこに解放があるのかしらん?

そこにある種の「解放」を感じてはいけないのではないか。
そうではない、いつまでもの両義性の宙づりのまま、
そこに立ち止まれるか、あの強烈なトゥッティの終幕に
挑まねばなるまい。

それとも、ある種のパロディーとして笑い飛ばす、
そうした余裕があっても、いいのかもしない。

アプローチは、きっとダンサーそれぞれであり、
見る人、それぞれであろう。



音楽は最初に回帰して、輪廻というフォルトナの前に
命を生きざるを得ないボンプたる人間は小さく弱い、、、





===========================================
振付家デビット・ビントレーのインタヴュー
『カルミナ・ブラーナ』初演時について語るデビット・ビントレー
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/carmina_faster/introduction/index.html
『カルミナ・ブラーナ』についてデビット・ビントレーが語っているページ
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/10000025.html

2013年4月のアトランタバレエ公演のプレヴュー記事
「“Carmina Burana” takes a walk on the wild side to temptation」
“He thinks he’s found the Virgin Mary only to find out that she’s the Whore of Babylon,” Bintley says.”
などと語っていて興味深い。
http://www.artsatl.com/2013/04/preview-atlanta-ballet-takes-walk-wild-side-lush-lavish-carmina-burana/#sthash.M1E0IG55.dpuf



本文中表示以外の参考文献

1979年に刊行された校訂テキスト
”Carmina Burana ca. 1230”  G. Bernt A. Hilka O. Schumann München 1979
http://www.hs-augsburg.de/~harsch/Chronologia/Lspost13/CarminaBurana/bur_car0.html

Carmina Burana : die Lieder der Benediktbeurer Handschrift Zweisprachige Ausgabe
(dtv, 2063) Deutscher Taschenbuch Verlag, 1979, c1974
所蔵大学図書館→ http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA11702400#ref

上記テキストに基づいた和訳本と思われるが未見
『全訳カルミナ・ブラーナ−ベネディクトボイエルン歌集−』 永野藤夫訳 -- 筑摩書房 -- 1990


「ヨーロッパ中世詩歌『カルミナ・ブラーナ』をめぐる人 文地理学的考察 : 現代合唱曲としての復活」
川西孝男  人文地理学会 2012年大会発表論題・配布資料 
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/161907/1/jinbunchiri_2012.pdf

「ヴィグマンとクルト・ヨース」 及川廣信
http://scorpio-oik.blogspot.jp/2007/10/blog-post.html

「放浪学僧の歌―中世ラテン俗謡集 」 瀬谷幸男
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4888964130/silva-22

「『ゴリアス司教』もの」 ブログ「思索の森ーヨーロッパ中世史・中世思想史」
http://www.medieviste.org/?p=6726





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Titre : ”Recueil de dessins ou cartons, avec devises, destinés à servir de modèles pour tapisseries ou pour peintures sur verre”
Date d'édition : 1501-1600
Bibliothèque nationale de France
→ http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b8426260f/f1.image







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