2015年10月29日

Les Contes d'Hoffmann 『ホフマン物語』  上演史



Laboccetta.jpg

"The Lost Reflection"  Mario LABOCCETTA による挿絵(1932年)


Les Contes d'Hoffmann 上演史

Les Contes d'Hoffmann (『ホフマン物語』)は、1851年のパリ・オデオン座で戯曲として上演されて以来、オペラ、映画、バレエ、コンテンポラリーダンスと、様々な形態で舞台化されてきました。
明日10月30日からは、新国立劇場バレエ団がピーター・ダレル版のバレエを上演します。

主に、オッフェンバックのオペラが中心になりますが、管見に入る限りで、
その上演史をまとめてみました。


1851/03/21  Les Contes fantasiques d'Hoffmann (戯曲版)
Theatre de Odeon,Paris で初演される。
脚本は Jules Barbier Michael Carré
1幕 Prologue
2幕 Opympia from “DerSundmann” (1816)
3幕 Antonia from”Rath Krespel”(1819) ("Councillor Krespel", also known in English as "The Cremona Violin")
4 幕 Giulietta from "Abenteuer in der Silvester nachat" (1814) "Das verlorene Spiegelbild" ("The Lost Reflection") from Die Abenteuer der Sylvester-Nacht (The Adventures of New Year's Eve), 1814.
5幕 Epilogue

1880-10-05  Jacques Offenbach Opera Les Contes d'Hoffmann 作曲途中で死去。

1881/02/10  Opéra-Comique,Paris で Les Contes d'Hoffmann 初演。
Ernest Guiraud が未完部分を補い、ディアローグをレチタティーヴォへ変更など。
しかし、オペラコミックの支配人 Leon Carvaille はニクラウス=ミューズ役のパートを大幅にカットし、
4幕のジュリエッタ部分も全てカット代わりに"Baracrolle" をオフェンバックの別の作品『ラインの妖精』
(”Les Fées du Rhin”, “Rheinnixen”)から挿入
その他、オッフェンバックがホフマンの小説から引用したと思われる箇所。
≪chanson de Kleinzach≫ (acte I) qui brosse le portrait du héros grotesque d'un roman court de E. T. A. Hoffmann: Le Petit Zachée surnommé Cinabre ou Petit Zacharie, surnommé Cinabre (Klein Zaches, genannt Zinnober, 1818)

Le personnage de Pittichinaccio est, lui, puisé dans la nouvelle Signor Formica (in Les Frères de Saint-Sérapion, 4e partie).

Enfin Hoffmann consacra un chapitre des Fantaisies à la manière de Callot (1re partie, 1813) au Don Juan de Mozart, dans lequel la cantatrice qui interprète Donna Anna meurt d'avoir trop chanté, ce qui renvoie au rôle interprété par la cantatrice Stella (actes I et V) mais aussi à la mort d'Antonia (acte III).

1881/12/07  Ringtheatre,Wien で初演するも、翌日劇場は火災に見舞われ何百人も死ぬ。
「アントニア」の幕のミラクルのせいだという流言が流布し、レパートリーから外れる。
(しかし、オペラコミック版は4幕を殆ど削ったはずだが、、、
ミラクルは残ったのか? E.Guiraud が4幕ジュリエッタの幕を復活させていたという説もあり)

1887 オペラコミックが火災に遭い、オーケストラ譜などが焼失。
この二つの火災事件により、『ホフマン物語』には呪いがかけられていると、巷談に取り沙汰される。

1893 Salle de la Renaissance du Théâtre-Lyrique,Paris で漸く再演される。

1904 Opéra de Monte Carlo,director Raoul de Gunsbourg and André Bloch ( re-orchestration)
integrating the fourth act(Juliet)after the second act (Olympia ) and adding his own compositions (air Everywhere Sparks, diamond,septet on the theme of Barcarolle, Perte du reflet) based on the music of Offenbach.
元々第4幕だったジュリエッタのパートが再構成されて、第2幕オランピアの後に置かれたらしい。
オランピア→ジュリエッタ→アントニアの順がこの版で構成される。
ジュリエッタ幕の決闘シーンの背後で「Barcarolle」が流れる。

1905 Commish Opera,Berlin で Hans Gregor のプロデュースで再演。
Maximilian Moris の演出によりジュリエッタの幕も再構築されるが、作曲者に依らない曲「ダイヤモンドのアリア」等が挿入され、オランピア→ジュリエッタ→アントニアの順にされた。
但し、ホフマンが鏡像を失った事はカットされて、シュレミルを殺すなど筋立てに混乱があり、長さも短かったためアントニアの幕の前に置かれたらしい。

1907  1904 年の Raoul de Gunsbourg ,André Bloch に基づき
Edition Choudens が修正第5版を出版する。
プロローグにミューズは登場せず、オランピア→ジュリエッタ→アントニアの順
この版がその後長らく決定版として流布する。

1911  Edition Choudens(ショーダンス版)により、原脚本の Michael Carre の甥 Albert Carré が演出し オペラコミックで再演される。

1929/2/12  Berlin Kroll Opera で Alexander von Zemlinsky プロデュース、 Ernst Legal 演出、Otto Klemperer 指揮で再演される。
Ernst Bloch は上演を見て「アントニアの幕は音楽やその悲劇性において最後に置くべき」などの批評を書く。 Kroll Opera はナチ議会の本部が置かれ、大戦中に破壊され、その後再建はされなかった。

1948  Louis Musy 演出、André Cluytens の指揮でオペラコミックで、戦後初の上演。

1950/3 宝塚歌劇団雪組(脚本演出:執行正俊、オッフェンバックの音楽を酒井協、山根久雄が編曲)が上演。
 春日野八千代(ホフマン)音羽信子(アントニア)緑八千代(ニクラウス)朝倉糸子(オリンピア)天城月江(リンドルフ)
 5月には東京帝国劇場でも上演。(東京宝塚劇場は「アニー・パイル劇場」として米軍に接収されており使えず)
  

1951  Michael Powell and Emeric Pressburger により映画化、
音楽指揮 Thomas Beecham cond. Royal Philharmony
Robert Rounseville, Moira Shearer, Robert Helpmann and Léonide Massine らが出演。
オランピア→ジュリエッタ→アントニアの順

1958  Gelsenstein/Voigtmann 演出 Berlin Comisch Oper
1851 年 Jules Barbier Michael Carré による台本復元で、ドイツ語による台詞を入れ、大きな改作がなされる。

1961  Théâtre de la Monnaie, Bruxelles で Maurice Béjart による演出がなされる。

1972/04/06  Edinburgh King's Theatre Scotish Theatre Ballet
Peter Darrell (choreographed) J.Lanchbery (arranged) A.Livingstone (design), P.Pasic( decor).
1976, 1982/04, 1984/05, 1987/05 に再演。
1998/04 resteged. Decor Spalanzani & P.Farmer 
レヴュー
Tales of Hoffmann Proved a hit not just for Scotish Ballet, but for the international companies who took it into their own repertoires. (“Scotish Ballet Forty years”, 2009 Saraband Scotland)
“Noriko Ohara in captivating form as Olympia, the lifelike mechanical doll” (“Scotish Ballet Forty years”) “Noriko Ohara(an exquisite Antonia)” (“Glasgow Herald” 05/24/1984)

1974  パリオペラ座での初上演。Patrice Chereau による演出。

1977  Fritz Oeser による校訂新版が Kassle の Alkor 社から出版される。(エザー版又はアルコア版と呼ばれる) この版は、オフェンバックの遺産継承者 Cusset 所有のスケッチなどに基づいて校訂版を作成。
ショーダンス版 オランピア→ジュリエッタ→アントニアを
元の戯曲にあるオランピア→アントニア→ジュリエッタに戻した。
プロローグーにミューズ(ニクラウス)を登場させたので、ニクラウスの役割が大きくなる。
またジュリエッタの場面では賭博場シーンも復活させた。
現在各地で上演される演出は概ねこの版に基づいているが、 但しジュリエッタが毒を誤って飲んで死ぬという点は、その後の演出では採用しないものもある。


1978/4/1 宝塚歌劇団花組、宝塚バウホール杮落し公演として上演。(脚本演出:菅沼潤、編曲:吉崎憲治)
 アントニア→オランピア→ジュリエッタの順
ホフマン(安奈淳/寿ひづる)ニクラウス(松あきら/真汐ちなみ)悪魔他4役(みさとけい/宝純子)アントニア(上原まり/北小路みほ)オランピア(邦月美岐/如月巳麗)ジュリエッタ(北原千琴/如月巳麗)

1988/10/15  牧阿佐美バレヱ団、バレエ ピーター・ダレル版を上演。
ホフマン三谷恭三/今村博明、リンドルフ本多実男/堀登、ステラ豊川美恵子/草刈民代、、オランピアゆうきみほ、アントニア川口ゆり子、ジュリエッタ大原永子

1990/11/23  牧阿佐美バレヱ団、バレエ、ピーター・ダレル版再演。
ホフマン三谷恭三/今村博明、リンドルフ本多実男/堀登 ステラ豊川美恵子/草刈民代、オランピア大畠律子、
アントニア川口ゆり子、ジュリエッタ大原永子/佐々木想美。

1996  Michale Kaye 演出 Opera nationale de Lyon
1984 年に発見されたオッフェンバックの草稿に基づく版。ジュリエッタの幕を補完し、彼女は毒薬で死ぬ。

1998/12  名古屋市芸術創造センターにてバレエ、深川秀夫演出・振付版が上演される。

2000/10/5  牧阿佐美バレヱ団、ピーター・ダレル版を再々演。
ホフマン森田健太郎/逸見智彦、リンドルフ/正木亮羽/相羽源氏、ステラ坂西麻美/橋本尚美、 オランピア佐藤朱実/橘るみ、アントニア上野水香/柴田有紀、ジュリエッタ田中祐子/平塚由紀子。

2002  Robert Carsen 演出 Opera nationale de Paris

2002  Olivier Py 演出 Grand Théâtre de Genève

2003  Jean-ChristopheKech演出 LausanneOpera
1993 年に発見された資料に基づく版。ジュリエッタの幕に新たな要素を入れる。

2010/07/16  Noism 金森譲の演出振付で上演。音楽はトン・タッ・アン(an ton that、ヴェトナムの作曲家) オランピア→ジュリエッタ→アントニアの順でそれぞれを四精霊の木、火、水、に見立てた。
ステラ(亡き女優とされる)を含めた主役ダンスーズ4役を井関佐和子が一人で踊る。

2015/10/30 新国立劇場バレエ団(東京) バレエ ピーター・ダレル版を上演。
装置:川口直次、衣裳:前田文子、照明:沢田祐二
ポール・マーフィー指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/hoffmann/




hugo Steiner-Prag.jpg

”Councillor Krespel” Hugo STEINER-PRAGによる版画挿絵(1943年)


参考文献
・ショーダンス版 スコア Les Contes d'Hoffmann  
 Ernest Guiraud (1837–1892), completion Paris: Choudens Fils, 1907. Plate A.C. 5100

・Tales of Hoffmann  illustrated by Mario LABOCCETTA 1932,New York

・The Tales of Hoffmann illustrated with lithograph by Hugo STEINER-PRAG 1943,New York

・『ホフマン物語 オペラからスクリーンへ』 Monk GIBBON 光吉夏弥訳 1952,アーサークラブ

・『ホフマン全集』 深田甫 編集  1971〜

・『集英社版世界文学全集18 砂男他』 池内紀 解説  1979

・””E.T.A.HOFFMANN” (『E.T.A.ホフマンの世界』) Eberhard ROTERS 金森誠也訳 1981,Berlin 2000,吉夏社

・"OFFENBUCH Les Contes d'Hoffmann” Attila CSAMPAI, Dietmar HOLLAND 酒巻和子訳 1984,Hambrug 1988,音楽之友社

・ ”E.T.A.HOFFMANN, Das Leben eines skeptischen Phantasten” (『E.T.A.ホフマン-ある懐疑的な夢想家の生涯』) Rüdiger SAFRANSKI 識名章喜訳 1984, München Wien 1994,法政大学出版

・『ホフマン物語』ジュール・バルビエ台本 安藤元雄訳(原著不明) 1988,新書館

・『ジャック・カロ リアリズムと奇想の劇場』 中田明日佳編  2014,国立西洋美術館

・ユリイカ「特集ホフマン 悪夢と恍惚の美学」 1975年2月

・Les Contes d'Hoffmann  wikipedia Français,English,Deutsch





















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2015年09月14日

金子直コ(かねこなおのり)

金子直コ(かねこなおのり)に関して、
以前、ジャングルブックスさんで会を持ちました。
その時の様子
→ http://jbooks.exblog.jp/18496672/

その時の記事を書いて下さっている「『へのさん』の本でいっぷく」
→ http://d.hatena.ne.jp/heno3ban/comment/20140120


その後、彼の有名な著作『若葉の梢』の写本を幾つか閲覧したので、
その情報も合わせて、ブログに載せました。

→ http://zoushigaya.seesaa.net/article/385571868.html?1441726727





posted by 星跡堂主人 at 20:29| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑司が谷 雑司ヶ谷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月31日

新国立バレエ団『こうもり』La chauve-souris  レヴュー  2015年4月23日〜26日


『平安紋鑑』.jpg

『平安紋鑑』(1936年)




新国立バレエ団『こうもり』 La chauve-souris  2015/04/23-26

主なキャスト表 → 
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/news/upload_file/cast%2020150421.pdf
(新国立劇場HP)

バレエ『こうもり』と喜歌劇『こうもり』の音楽対照表、その他は
こちらのページを参照されたし。
→ http://zoushigaya.seesaa.net/article/417622150.html

今シリーズ、小野絢子/E.コルネホ、米沢唯/菅野英雄、湯川麻美子/福岡雄大の3組を見た。
残念ながら、本島美和/井澤駿のキャストは見られなかったので、
3組についてのレヴューを記す。


4月23日
 ベラ   ヨハン       ウルリック メイド
・小野絢子、エルマン・コルネホ、福岡雄大、 寺田亜沙子  


1幕冒頭はやや手探り感があり、ゲスト故の仕方なさか。
但し、小野とメイドの寺田との皿のキャッチーボールは、この組が一番スポーティーな楽しさがあった。
二人とも運動神経がとてもいい。
電話のコード巻き踊りも、音楽に即してとてもリズミカルでテンポも速い。
さすがに寺田はファーストソリストだけあって初役にも関わらず熟れている。
メイドの役は、初演以来前回2012年2月の公演までほぼ楠元郁子が全配役を一人でやってきた。相手に依って違うだろうに、一人でこれを熟してきたのは改めて感心する。


第3場
ベラとウルリックの掛け合いがコメディになっている。
福岡ウルリックの白塗りの化粧がユニークだったこともあり、
関西ノリの滑稽ささえ感じた。(福岡は大阪のケイ・バレエスタジオ出身)
左の眉をこんな風に描いていたようだ。舞台ではそこまで気付けなかった。
→ http://blog.livedoor.jp/ksutaksuta/archives/44410549.html 
(「Kバレエスタジオ ブログ」) 
2012年公演の映像を見ると、ウルリックを踊っている吉本泰久が右目の眉を二重に描いている。
(それ以前の2006年公演ではそのようには描いていないように記憶する)
福岡はそれを継承したのだろう。


第4場「マキシム」
冒頭の三人ギャルソンがいい。マイレン・トレウバエフ、江本拓、福田圭吾。
美しく跳んで廻って、おかし味もある。
プティの作品では、美しさと滑稽味をどう両立させるのかが難しいのだが、
同様に、フレンチカンカンほかの女性達も軽いリズム感で小粋さがある。
こういう所は真面目に踊ると重くなり全然生きない。
ある種の軽み感がほしいのだが、それがとても良く、驚いた。
新国立バレエが、プティ作品をここまで踊れるようになったかと、感慨深い。

この場でのヨハンのソロ、コルネホは美しく切れのあるダンスだった。


第5場「仮面舞踏会」
冒頭のダンスが雰囲気をだす。
こうしたダンスも以前はもっと真面目に踊っていて、
極端に言ったら、コール全体を揃えて踊る事にまず神経が行ってしまっていた。
それがそんな事はおかまい無しにそれぞれが楽しく踊っている感じが出ている。
手をリズムに合わせてパタパタさせ、お尻を突き出す、首を横に振って縦に振る。
さらに以前は苦手だった肩の入れ方などもいい。
古典バレエではなく現代のダンスの感覚が出ている。
こうしたことも、ビントレー時代に様々な現代作品を踊った成果だと思う。

また、新国ダンスーズが踊ると、とても愛らしい道化的な雰囲気も出る。
西洋人のバレエ団には出せない軽さと愛嬌がある。
その質感が人形の様に軽い。それがいい。
ウルリックの登場で、ダンスは終わり体も停まっているのに、
首だけがペコちゃん人形のようにフニュフニュしている。
あの感じがコールにもある。


「チャルダッシュ」
序奏で大きく腕を開き肩を入れポーズを決める。
この振りは、古典バレエの「チャルダッシュ」で出てくる動きを
ベースにしつつも、よりデフォルメしている。
腕を首の後ろに回すポーズなども、敢えて両手でしたりして、
ちょっと色っぽくレヴュー風にする。
そのミックス具合が如何にもプティなのだが、
これがなかなか様になる。

主題が鳴り出すと後ろで下降旋律を奏でる弦が歌い、その美しさが際立つ。
この下降旋律の強調は、以前の新国公演や、マルセイユ、スカラ座の2つの映像からは特には感じられず、
指揮者(アッレッサンドロ・フェラーリ)の指示だったのか。
さらにテンポが次第に速くなるが、この感じもダンサーたちがよく出している。

新国版のお衣装は水色基調の淡いトーンだが、東洋人の肌にはこの方が合っている。
ただ、マルセイユバレエ初演版のような超ミニチュチュの方が
脚をぱっと開いたり投げ出した時の美しさは際立つ。
その点はどうだろうか。
今の新国立バレエなら、脚を大きく露出しても十分美しいように思えるが。

男性のソロは、マイレン・トレウバエフと池田武志が日替わりで踊った。
マイレンは流石に2002年の初演から踊っているだけあって、間の取り方などに味がある。
池田武志はやや固いが、高く飛んだシャンジェマンが小気味よく、魅力あるダンス。
女性陣もソリスト級なので、
シャンジュマン、ポワントで2番に開いて(エシャペ)アンドゥオールして
またアンドゥダンする、繰り返し、
開いて閉じるプティ的な動きも見事で、この場面は何度でも見たい美しさだった。
オケが加速しても、誰も音に遅れないので、
音楽とダンスが一体化してノリノリになっていく。素晴らしい。

この場の終わりで
ベラを真ん中に女性陣が横一線になり、腰を振りながら腕をゆらゆらさせる。
如何にもプティらしい軽さと艶とが求められるのだが、
ここがまたどのキャストも魅惑的で
何かいいなぁ〜と、何度見ても、今シリーズでは思った。

付記
新国立劇場資料室で過去の『こうもり』公演映像を比べると、
初演2002年、再演2006年と、2012年の踊り方や音楽の緩急に大分違いがみられる。
ずっと踊り続けているマイレンも、2012年になると女性ダンサーとの関係がより艶っぽく余裕がある。
ということは、ビントレーが監督をしていた2012年の公演からとても良くなっていることが分る。
残念ながら私はこの2012年を見ていない。震災の翌年の私はコメディの『こうもり』を見る気分になれなかったのだ。
なので、このレヴューで私が「以前は」と過去の新国立バレエ団公演と比較している対象は2002年,2006年公演のことである。


第6場「監獄」前 「パ・ド・ドゥ」
限りなく艶っぽい。小野のダンスをこんなに艶っぽく感じたのは、私は初めてだ。
この部分、今までの曲想と明らかに異なり、ここだけ全体の中で浮いている。
ヨハン・シュトラウスというよりも、イタリアオペラのアリアのような曲想で、
だから、その分、今までのコメディタッチでは踊れない。
ダンサーにとっては、これをどう切り返すかが大きな課題となる場だ。
小野が意図したのか、コルネホのラテン男の血がそうさせたのかは分らないが、
過剰なほどに艶があった。
その分、ベラがヨハンをコントロールする余裕感はちょっと薄かったかもしれない。
ほんとうに愛し合ってしまった、というパ・ド・ドゥだった。

リフトなども簡単ではないが、コルネホは流石に上手くスムーズ、
だから曲の中で小野の体が決して停滞しないで流れるように美しい。
その流線にそって、小野の腕や首筋が撓る。
古典作品では決して現れないラインが出る。
これが艶をとなる。


「終幕」
小野のベラは、夫ヨハンを完全に掌握したという喜びに充ちていた。
たぶん、小野の目論見としてはパ・ド・ドゥで情熱的な愛を語り、そこでの<女>の面と、
この終幕での夫を掌握する<妻>の面とを上手く分け、出そうということだったのだと思う。
それは、結果的には成功したと思う。
<女>としも<妻>としても、私の勝利よ、と、
ワルツを踊る小野のベラは満面の笑顔だった。



韓国文様事典.jpg

『韓国文様事典』(1988年)





4月25日マチネ
・米沢唯、菅野英雄、八幡顕光、今村美由起


冒頭、お皿の向こうに見えた米沢の顔は、
額からすだれが下がっている如くマンガチックで、
まさにコメディの色が濃い。

晩餐の支度をしつつも、時折ついワルツのリズムに体が応え踊ってしまうベラ、
米沢のベラはそこをだれよりも強調していた。
仏頂面した菅野の夫ヨハンが帰宅すると、
米沢の妻ベラは夫の元まで駆け寄っていくも見事にはぐらかされ、笑える。
米沢はあくまでかわいい奥さんで、菅野はそうした家庭に飽き飽きしている夫だ。
新聞を手渡す下りも、そんな夫婦関係をよく示していた。


オペレッタの「牢獄」のテーマにのって、八幡のウルリックがやってくる。
興味深いのは子どもと同じように、ベラが体をリズムに合わせてはっきりと波打たせていること。
冒頭のわずかなシーンで、米沢唯がどのようなベラを造型しようとしているのかが、見る者には手に取るように分る。

音楽が大好きでついつい体が反応してしまう愛らしい妻/奥さん、
けれど、今は生活に追われている。
バレエが大好きで独身時代は公演を海外にまで観に行ったのに、
今は旦那と子どものお世話でそれもままならない、バレエ好きの女性、
客席に何人もいそうなそういう女性とダブって見える。
きっと、客席で見ていた同じような女性達は、米沢のベラにとても共感した事だろう。

米沢は、ベラを、今この時点までにどのような人生を歩んできたのかという観点からその役を造型しているように思えた。
今ここの場面だけではなく、そこに至るキャラクターの歴史がそこには垣間見える。
夫の事は大好きだ。じゃなければ子どもが五人もできやしない〜
ベッドに入る時、肩ひもを下げて臨むのに、既に夫が寝ている時のがっかり感も愛らしく滑稽。
夫は上の空で、こうもりになって空へ飛んでいってしまう。
生活に追われてお化粧もままならない私のせいか知らん?と。。。



第3場
そうだ、ウルリックに電話しよう〜
ウルリックは、ベラの事が大好き、だからすぐに飛んでくる。
オペレッタで妻ロザリンデが監獄に入れられる夫を悲しんで唱う「悲しみの歌」
この二人の掛け合いは、小野・福岡とはひと味違い、
二人ともよく踊るのでダンスの動きが自然と強調される。

小野と福岡はこの曲の落差を笑いと共に強調していたが、
米沢と八幡だとダンスの面がより強調される。
プテイの作品は、どのダンスどの場でも常に二面性がある。
その二面性のどこをどう強調するかで
(勿論それは踊り手が意識せずとも自然に出てしまう事もある)、
様相が異なるし、両面がほどよくブレンドされるとより理想的になるだろう。

高速シェネが見事にシンクロする動きなどは、まさにこの二人だからこその美しさ。
だから、特に意識しなくともこの二人のシンクロした動きが艶を出す。
私の見た中では、米沢と八幡のベラとウルリックが一番色気のある関係に見えた。

この色気は、小野がコルネホと踊ったパ・ド・ドゥのそれとは全く異なる。
ダンスの色気とは、人の恋の仕方が様々であるように、様々なのだ。

曲が「シャンパンの歌」になってからはまさに弾けるようで、
二人のリズミカルな動きが、オケをぐいぐいと引っ張っているのではと思うくらい素晴らしい一場だった。
米沢と八幡は、身長差が余り無いので、古典ものでは組むのが難いだろうが、
この二人のダンスはとてもシンクロする。たぶん音感が似ているのだろう。
現代ものなどで、今後ぜひ、この二人のペアダンスを見てみたい。


変身した米沢は、そこで<変身>をぱっと強調しないように見える。
これは彼女の性格か仁なのもしれないが、突然ぱっとは変われないのか。
舞台の動きの中で、生活にまみれた主婦が徐々に艶がでるように演じていくように思えたが、
夜の街に向かおうと、
上手前でウルリックにサポートされて大きく脚を蹴り上げた姿は
本当に心地よくスカットしたかっこよさがあった。
米沢は古典だとあまり大きく脚を上げない”modesty”に満ちたダンサーだが、
この場はほんとに高く勢いよく上げていた。




第4場「マキシム」
ヨハンのソロの後で、
ウルリックに導かれマキシムに入ると、既にベラの様相は大分異なる。
(初演版には無いが2003年の新国版やスカラ座版では
ベラは、マキシムでの登場時から”La chauve-souris”と背中に書かれた黒いローブを身にまとっている。)

ベラのソロは自信に満ちあふれたダンスだった。
ここも曲は「悲しみの歌」なのだが、ウルリックとのそれとは全く違う。
米沢は基本的にソロの時テンポを遅めに取るが、ここでも小野や湯川よりも遅めの印象。
特に後ろ姿を見せ体をくねらせる姿のラインが美しい。

ただ、途中、下手前で眺めるヨハンと絡む所が相手役の菅野英雄が今一演技がないので、さらに艶っぽくならないのが惜しい。
湯川麻美子と踊った福岡雄大は、ここでベラの腕をぎゅっと強く掴む。
その一つの行為/演技が男女の感情を溢れ出させるのだが、
どうも菅野はそこが弱い。

しかし、コーダでの細かなパドブレで斜めに横切る米沢のパは、完璧だった。
あそこは難しい。脚の左右のの強さとバランスがないと綺麗にはできない。
ここを見るだけでも、彼女のダンスを見る価値があった。


湯川は、このソロの冒頭での体を微妙にくねらせての脚の交差のさせ方が絶品だった。
「チャルダッシュ」のソロも同じだが、湯川の腕と体は音に対して粘る。
それが艶を出す。
米沢は、ラインは美しいし、ダンスも軽快だが、
たとえば、チャルダッシュのソロの途中に入るの「肩クルクル」も、
もうほんの少し軽みが出せるといいと思う。
そうすると体が音により粘るのではないだろうか。
体の軽みが実は、音への粘りを出すのだ。
難しいのだが、軽過ぎると何をやっているのか分らないし、強調しすぎると滑稽に傾き艶がなくなる。
プティのダンスは簡単ではない。



第6場「牢獄」前 「パ・ド・ドゥ」
米沢はここでも美しく踊る、しかし菅野のサポートがコルネホほどのスムーズさがない。
また、この二人の踊りからは対話というか<愛>が感じられない。
小野、コルネホ組のような艶は当然出ない。
小野・コルネホ組の時には、このダンスが、この音楽が、このままずっと続いてほしいほどの恍惚感があったのに、それがない。
一方で、
米沢のベラは、菅野のヨハンこうもりをコントロールし調教するほどの感じもない。
元々コメディ路線を強調すると、このパ・ド・ドゥをどう踊るかはとても難しくなるが、そのまま押し切るのなら、ベラがヨハンをコントロール調教する意志をもっと見せるべきだったかもしれない。
そうすれば、ヨハンは滑稽な<こうもり>に見えてくる。
だが、米沢の仁としてはそこまで余裕のある妻にもなり切れなかったのか。
結局、やや中途半端なダンスになったように思われた。


「終幕」
米沢のベラは夫が帰ってきて嬉しさを隠し切れない。
愛らしい妻なのだ。
そういう点で、かわいい奥さんの冒頭と、この終幕とは一貫している。
憔悴して帰ってきた夫と踊る三たびの「悲しみの歌」で
ベラは明らかに、ウルリックの姿になっている。
悲しんでいたベラを慰めたウルリックのように
今度は、ベラが夫を、踊りましょうと慰める。
踊りが大好きで、一緒に踊ることで夫を慰める。
それが優しく愛らしい米沢のベラの愛情なのだ。
(このような印象を持ったのは、この組のベラとウルリックとの関係がより艶っぽく見えたからかもしれない)

しかし、一方で
このベラは、夫にガチッと力強く、纏足の如くスリッパを履かせて、
そうしてから、夫の膝でうっとりとするのだから、
<妻>というものは何とも、、、、というおかしみがよく出ていた。
小野のベラの場合は、終幕にそういう滑稽味は感じられなかった。

本来、この作品は<夫>というものは、、、が表ストーリーなのだが、
ここで、米沢は意識してかせずか、
<妻>というもは、、、という裏ストーリーも奏でていたのだ。
だから、全体でこの組の『こうもり』は、
<夫婦>というものは、ほんとに、、、という、洋風<夫婦善哉>の味もした。
この解釈は、ベラの造型に自分の仁なりに真摯に向き合った、米沢が得た果実だったかもしれない。


『吉祥図案手冊』.jpg

『吉祥図案手冊』(1994年、上海)



4月26日
・湯川麻美子、福岡雄大、八幡顕光、益田裕子 (湯川麻美子のアデュー公演)

湯川のベラは、冒頭から明らかにジジ・ジャンメールのベラを思い起こさせる。
お花のマジックも板に付いている。
(この仕掛けは、ジョロの水を注ぐとメイドが机のしたで操作して花が開くようになっているようだ)
花には水をちゃんと与えないと萎れてしまうというのは、
女には愛情を与えないと美しくなくなってしまうという露骨な暗喩でもあろう。

福岡のヨハンは真面目にしかめっ面しているのだが、それが何だか可笑しい。
ウルリックの快演といい、彼はコメディ向きかもしれない。

八幡のウルリックがやって来て勢いよく踊り出して、場を和ませ、引っ張る。
だが、昨日の米沢との関係とは違う。
湯川と八幡だと、湯川の雰囲気に八幡が捲き込まれ、対等に踊り合う感じは無いが、夫の居なくなったベラと踊る「悲しみの歌」は、軽い余裕がありちょっとした滑稽感が出る。
このバランスが、流石に湯川は絶妙なのだ。
だから、この二人の関係は作品の設定にとても合っている。

しかし、八幡は踊れるダンサーなので、その面もしっかりと出す。
ベラが覆いの影で着替えている時に
存分に踊るは踊る。ここの切れ味は昨日以上だった。
「くぇ〜っ」の花の応援団ポーズも特に凄い勢い〜
よくオフバランスをあそこまで攻めるは攻める、シャンパンは弾けっぱなしだった。
(このシーン、福田圭吾がどう踊ったか、見られなかったのが残念)
だから、ダンスの勢いがマキシムに引き継がれていくのは昨日と同じで、
そのまま雪崩れ込んでいく。
ここの勢いは今の新国立バレエ団の良さがとても出ていた。

当然、マキシムでのギャルソン、カンカンなども冒頭のマイレンが頑張り、前日同様素晴らしい。
ここはもう前場からの一連の流れになっている。
しかし、それは簡単な事ではない。
新国立バレエがどんなにレベルの高いバレエ団になったかを、強く感じる。
きっと世界の他のバレエ団には簡単には出せないだろうほどの、
豊かに弾けた<シャンパン>の軽い味わいが場内を席巻した。
幕間に普段より多くの客が泡立つグラスを手にしていたように思えたのは、気のせいだろうか。

バレエ団全体で弾けた「マキシム」の場に現れた福岡のヨハン、
これが、また凄いソロだった。
前場の八幡からの一連の勢いそのままに受け継ぎ、
次の湯川のベラのソロへと繋げようという気合いが漲っていた。
湯川を挟んで、福岡と八幡のダンスによる鞘当てで火花が散る。
シャンパンは弾けっぱなし、そういう感さえあった。

しかし、だからといって力み返っているわけではなく、
「雷鳴と電光」で踊られる、ソロ冒頭のステップ等はマキシムで遊ぶ喜びが軽やかに現れていた。
こういう場でのバランスの良さが、福岡の成長だと思う。
だから、そのダンスがまた話の滑稽味を損なわないのだ。
単に気合いだけでは決して滑稽味は出せない。ある種の余裕がある。
八幡も福岡も、本当にそれだけ成熟したダンサーになったのだ。


湯川ベラのソロ、再びの「悲しみの歌」

冒頭の脚の交差のくねらせ方、床を舐めるような動きに味がある。
これはまだまだ小野にも米沢にも出せないプティ的なアクセントだ。
だから、脚が長く艶っぽく見える。
曲想が変わる所での腰を捻り手を上げたポーズ、これがかっこいいし、
彼女はポアントで床を軽く叩く、カルメンなどがするあのプティの語彙も使った。
それも美しく人を惹き付ける。
(小野も米沢もしていないし、初演映像のジジもしていない)

プティ的な艶が溢れるその流れの中でシェネしながら、下手前のヨハンへと近づくと、先に述べた、福岡ヨハンがグイっと引き寄せるように腕を掴む。
これはひょっとしたら、
ベラに見とれた福岡ヨハンが、思わず必要以上に力を入れすぎてしまったのかもしれない。
が、舞台の流れの中で、あそこでベラの腕をぐいっと掴むのは、
やはり<色男>だろう。
掴まれる<美女(ベラ)>も、ぐっと感じるはずだ。
これも、小野・コルネホ組のパ・ド・ドゥと同じで、
古典バレエでは出てこない味なのだ。
こうした仕草も色気を立ち上げる。
プティ的にはやや小粋さに欠けると言えるかもしれないが、こういうのもありだと思う。


チャルダッシュ、ベラのソロ
オペレッタで小間使いのアデーレが唱う「演じてみましょうか、女王様を」を
チャルダッシュとして踊るのだが、
全体に軽さがあり余裕がある。
それがこの後の、ベラのヨハンの遇い方にも繋がる。
ベラに迫ってくるヨハンに、彼女はサカリのついた猫(こうもりか?)をじゃらすように遇う。
再び<こうもり>となり飛んでいるこうもりのヨハンと余り絡まず
「イッツショータイム!」と、あしらっているベラが湯川の特徴だ。

概して福岡のヨハンは<動物>(<男>なのだとも言える)なのだ。
それがまさに彼の「こうもり」の姿で、「美女と野獣」の趣さえあった。


第6場「牢獄」前 「パ・ド・ドゥ」
そうした一連の流れから、
パ・ド・ドゥでの湯川は、<女>というよりもヨハンを慈愛で見る<聖母>のようにも見えた。
その一方で、盛りのついた福岡のヨハンは、ベラを強く求め続ける。
だから、<聖母>のベラに艶が出る。
<女>は<男>に求められ、愛されてこそ、艶が宿り美しく開いていく。
水を与えられた花が生き生きと甦る如く。

このパ・ド・ドゥは、そういうことだったのかと、この二人のダンスを見て思った。
ローラン・プティは、男女の機微を、ここでそんな風に描いたのだ。

しかし、そのように美しく復活した<妻>は、しっかりと<夫>をコントロールしようともする。
もう二度と<こうもり>に成らないようにと。
湯川のベラは、<愛>のパ・ド・ドゥに没入しない余裕がそこにある。
<妻>とは、ほんとうに曲者なのだ。

帰宅した湯川のベラは、最初からは笑わない。
笑いをぐっと抑えていて、最後にくすくすと笑う。
それが、またいい。
<夫>はわたしのものよと、大ピラには出さないが、密かにそう思っている。
こんな<妻>では、<夫>はどう太刀打ちできようか。
湯川麻美子のベラは、ローラン・プティの『こうもり』が描いたベラを十全に踊ったと思う。

とても長いアプローズのあと、美しく限りないレヴェランスの像を残して、
湯川麻美子は、新国立バレエ団から去っていった。



それぞれのダンサーたちがどういう演じ方をしても
『こうもり』は、最後はワルツで終わる。
最後の燕尾服も以前に比べれば、新国ダンスール達も着こなせるようになったので、ワルツを踊り明かす美しさと楽しさも表現出来るようになった。

どんな夫婦、どんなカップルでも、
悲しみもあり楽しみもある、でも最後はワルツを踊りましょうよと、
終わるのがこの作品の素晴らしさであり、
愛らしくもおかしい、夫婦善哉のような男と女のお話なのだ。


ウルリックは、終幕で、冒頭の子どもちゃんの様にメイドのエプロンの紐を解く。
男っていくつになっても、こんな感じねと、笑える女であってほしいのか。
女自身がそうでいたいのか。
ウルリックはベラ/ヨハンをヨハン/ベラの元に返し、消え去る。
ウルリックがもし居なかったら、この夫婦はどうなっただろうか?
そんなことも思わせて、ローラン・プティの『こうもり』は<幕>となる。





付記
新国立劇場資料室で、2002年初演時から、2006年、2012年の映像を見比べて、私は2012年の公演を見ていなかったことを思い出した。改めて当時を振り返ると震災後1年で未だこのコメディ・バレエを見る余裕がなかったように思える。
だから、私がこのレヴューで「以前」として比較している新国立バレエ公演は2002年,2006年の記憶である。
「チャルダッシュ」の付記に記したが、映像を比較すると、2012年公演から明らかに全体が違っている。
それまではあまりプティ的な感じがしなかったが、2012年公演からはちょっとした動きのアクセントが付けられ、とても良くなっている。
やはりこれはD.ビントレーの指導の賜物だったのだろうと思う。
新国立バレエ団が彼によって、漸く古典以外の現代的な作品を踊れるようになり、世界のレベルに近づいた。







団十郎紋.jpg

浮世絵 七代目市川団十郎「暫」(19世紀前半)














posted by 星跡堂主人 at 23:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする