毎年行こう行こうと思いながら行けなかった
千駄木、旧安田邸のお雛まつりにようやく行けました。
不忍通りから大給坂(おぎゅうざか 旧西尾藩主大給家の屋敷跡)を登って行きました。
それにしても「千駄木山」と云われただけあって、
この辺りの坂は江戸川ー目白台間と変わらない急坂です。
坂の下に稲荷があり、そこに寛政8(1796)年銘のある馬頭観音がいらっしゃいましたので、
まずはご挨拶。
坂の上には空を突くような大きな銀杏
安田邸の前の道は、以前とは違って綺麗に整備されていました。
その道から入ると、遠い昔にあった格子わく
子どもの頃に和風の家にはよく見かけた格子も
まるで百年も前のもののように、遠い昔に思われる。
旧安田邸は大正7(1918)年から8年(1919)にかけて建てられた。
巷ではスペイン風邪(スパニッシュ・インフルエンザ)が猛威を振るっていた頃。
天井には網代編み
棚の襖絵も砂金が散らされていて優雅
お雛様は、ここのお嬢さんが昭和の初めに産まれた時に日本橋の老舗永コ齋によって作られたという。
お二人いらしたので、二組あり、大きな床の間にすっぽり収まるようにしつらえられている。
お床は、表千家の残月亭を模した残月床。
お道具がまた愛らしい。
碁石のひとつひとつまで綺麗に作られている。
右に見えるのは三絃。阿古屋の世界だ。
お道具のなかに、私たちが失ってしまったものがはっきりと映る。
携帯をどんなに使いこなせたからといって、何になるのだろうか。
ちまちました知識を教え込むことはもう止めたい。
自文化を大切にしたいのなら、
節句に託したわたしたちの先祖の思いを
しっかりと受けとめていくべきではないだろうか。
お床に吊された薬玉にも意味があると、
案内の、品のよいお着物の女性が教えて下さった。
(旧安田邸は、ボランティアの方達によって支えられている)
廊下が折れ曲がっていて、しゃれている。
たぶんこの空間にいると、ひとの気持ちも全く別のものへと変わっていく。
今更、陰影礼讃を出すまでもないが、
障子の光の中でひとの表情は和らぎ、
着物姿の女性はふわっと艶めく。
たぶん、知覚そのものが全く違ってしまったのだろう。
身体の振る舞いも変わる。
昔日のひとが丁寧に結った藁床の畳に座って
じぶんのからだがやさしくなっていくのをかんじた。
これは玄関で寄付をすると戴ける
折り紙のお雛様