2011年03月06日

赤坂〜六本木 樹木散歩




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NPO法人 フォーエバー・ツリー・ネットワーク主催の赤坂、六本木での樹木観察の会に参加しました。
都会の中で樹木がどのように生きているのか、どんな樹木があるのか知ることが出来ました。


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イヌマキ、この近辺は江戸時代大名屋敷が多かったので、
(福岡黒田藩、人吉相良藩など。そこから以前は「赤坂福吉町」と呼称されていたようです)
そこの庭園で使われていた樹の名残だろうと云うことでした。
周囲がビルばかりで、まるで「ビルが谷(びるがや)」のような所に
江戸期の面影が少しでも遺っているのは嬉しいことでした。

と、思っていたら

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ここだけ明治か大正にタイムスリップしたような家屋がぽつんと遺っていました。
かつてはこうした建物とその周りに樹木がいっぱいあった街なのでしょう。
今でもどなたかお住まいなのか、とても貴重な遺構だと思います。

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そこで実をつけていたネズミモチ、「モチ」なのに「モクセイ科」とのこと。
こうした点が、樹木の難しいところですね。
見た目と発生や系統の科学的知見の違いなのでしょう。




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この辺りの道には多くの街路樹がありますが、
そのほとんどがこのような状態でした。
アスファルトで埋められた根が傷んでいるようです。
さらに枝の剪定の仕方が悪かったりして弱ると、

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こんな形で枝を出してしまうそうです。
しかし、この形の樹は雑司ヶ谷霊園でもよく見かけるような、、、


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こちらは、氷川公園にあったヤマザクラ。
やはり無惨な剪定のされ方。公園なのにどうしてこんな風に枝先を切らなければならなかったのか?
港区の公園課にぜひ伺いたいな。




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咲き始めていた河津桜にメジロがとまっていました。
今日、教えていただいた事のひとつに
冬に咲く椿の花の受粉は、昆虫によってではなく
メジロやヒヨドリなどによってなされる。
だから、椿の花は進化の過程で徐々に花びらを厚く大きくして
小鳥が来ても花びらが落ちないように丈夫になったということがあります。
これには驚きでした。
それで椿の花は、花びらが強くなり散るときでさえ、花弁ごとに散らないで
ぼとりと、花ごと落ちるということなのでしょうね。

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このように花びらの先が微妙に削れていたり、
先が黄色くなり花粉がついているのは、小鳥たちがやってきた証拠だとか。

しかし、後で思ったのですが、
じゃあ、山茶花はどうなんだろうって?
山茶花は花ごと落花せず、ひとひらごとに散る。
また、同じ頃に咲く梅は何によって受粉するのだろうかと、、、。
先生に伺えば良かったなと思いました。



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氷川神社に行く途中で見かけたダイオウマツ
このマツは明治期に海外から移入されたとのこと。


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なぜか標本のように半分が切られ、孔雀のようになっていたソテツ


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黄色い花の咲いていたヒイラギナンテン
これも今日教えていただいたことですが、
楊枝などで花を刺激すると、おしべがめしべの方へ動くとか、、ほんと?

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と、楽しい実験もしながら
氷川神社へ。
お出迎えの狛犬さん、なぜか桜の枝を頭で支えていました。
ご立派!

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氷川神社は、別の地にあったものが吉宗によって此の地に遷宮されたようです。
元禄の頃は、浅野内匠頭の室、瑤泉院の実家である浅野土佐守邸があったようで、
内蔵助もここに別れを告げに来たのでしょうか。
そうした歴史を刻んだことが今も保たれ、
境内は周囲とは別天地のようでした。

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そして、大銀杏

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この樹は単に樹齢が長く大きいだけではなく、
戦災を受け大きく損傷したのにもかかわらず、現在も生きている樹木として有名。


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この大きな焦げとうろは、戦災樹木の中でも一際大きな傷。
戦争が如何なるものであったのか、東京の街からはどんどん消えていきますが、
戦災樹木は寺社などで生き続けています。
戦争を本当に体験した樹木に直接触れることで、
私たちも遠い戦争をわずかながら実感できるような気がします。
そういう意味でも、今後とも受け継がれていくべき大切な樹木だと思いました。

今回の主催、NPO法人 フォーエバー・ツリー・ネットワークは
氷川神社と協力して、この樹の再生事業を行うとの由。
多くの参加、協力者も募ってなされるようで、どのようなものになるか楽しみです。

東京に遺る戦災樹木に関しては、こちらの本が詳しく紹介しています。
http://www.amazon.co.jp/戦災の跡をたずねて―東京を歩く-長崎-誠三/dp/4750708755



境内に遺る歴史

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享保5(1720)年の銘のある石灯籠。たぶん遷宮の祭に奉納されたものか。


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延享3(1746)年銘のある狛犬さん。
江戸期のものはこのように愛らしいお顔が多いですね。


こちらは、明治期のもの
階段の欄干に刻まれた「春本秀吉」

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まるで武将の名前のようですが、
「春本」は赤坂の有名な芸妓屋で、明治期随一の芸妓と云われた万龍の居た家。
「秀吉」もほぼ同じ頃、明治末の有名な赤坂芸妓の名です。



氷川神社を後にして、アメリカ大使館の土手をふと見上げたら

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日本の蒲公英?とよ〜〜く見てみるが、今ひとつはっきりせず。
日本と西洋の混合種ではないかしらんと、教えていただきました。


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こちらは樹皮の模様がとても美しい。


アークヒルズまで戻ってきたら、
またまたもの凄い状態の街路樹発見!

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樹にめり込んで痛そう〜

さらに、

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樹木をばしっと逮捕?
ライトアップするためのもののようですが、一体何を考えているのやら、、
いや、樹木のことは何も考えていないのか、、、




それでも、樹々は生き続け、また春がやってくる。
幾年もと続いてきた、その営みの時間がここにもあった。

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ネコヤナギ?と思った、辛夷のつぼみでした。




様々な樹木を見、教えていただき、考え、
参加した皆さんたちとお話しをした
楽しい一時でした。皆様に感謝。


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posted by 星跡堂主人 at 23:00| 東京 ☁| Comment(0) | Divertissment | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月17日

雑司が谷の不思議な「漱石」電柱  Une perche télégraphique nommée Soseki



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夕暮れの雑司が谷の空を背に佇立する
どこにでもある普通の電柱。

よく見ると、なにか書かれたプレートが貼ってある。
上に「円常支 11」  下のが「亀原 159」
さらに目を凝らすと、上のはNTTで 下のには東電のマークがある。


ターキーラーメンの直ぐ横にも、

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「亀原支 14」 「亀原 128 69-12」
こちらの上の方は電電公社のマークに見える。


「亀原」とか、「円常」とか、何のこと?と、思っていたら、
さらに、極めつけは、

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この上の、「漱石文 9」 とも読める、、、
「漱石」がどうして電柱に書かれているのか?

女子大の寮の近くのこちらにも、

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やっぱり「漱石」とはっきり見える。


「亀原」は、雑司が谷1丁目に戦前にあった古い地名だと思われ、
「円常」も、雑司ヶ谷霊園のすぐ南にある「円常寺」を示しているか?

しかし、「漱石」は、
霊園に「夏目漱石」の墓があることくらいしか思い浮かばず、
土地の旧名や寺社とは、全く異なるカテゴリー、、、

それぞれの電柱で、番号もことなるため、電柱の識別番号なのかだろうが、
どうして、NTTが電柱の識別番号に「漱石」を使っているのかは不明。






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posted by 星跡堂主人 at 12:04| 東京 ☀| Comment(0) | Divertissment | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする