2012年10月27日

新国立バレエ(Ballet of New National theatre Tokyo) 『シルヴィア』”Silvia"(D.Bintley version) 初日


新国立バレエ『シルヴィア』(デビッド・ビントレー版)
初日を見ての、私の妄想、、

まず、
ニンフたちが凄かった!!
特に長田佳世さんの切れと細田千晶さんのしなやかさ
初演は1876年ですが、
ほぼ同時期に初演された「ワルキューレ」(1870年初演)のまさにバレエ版〜!

古ぼけたアシュトン版よりはずっと面白く、
特に、音の隙間にどんどん細かなパが続く振付けは、
ちょっと違うけど面もあるけど、ヌレエフ版を思い起こさせる。

福田・八幡のおねえコンビもツボでした! (^o^)


全体の出来としては、第2幕が出色。
バッカナールでの小野絢子さんの音に全く遅れない踊りと
野生的なオライオンの古川さんとの絡みがとても良かった。

ただ、ドラマトゥルギーとしては、疑問もある。
ビントレー版の特徴は『パゴダの王子』を髣髴とさせる「めしいの男」。
だが、なぜアミンタの目が見えるようになるのか、説得力がない。
第2幕で目の見えないアミンタを慕うシルヴィアの思い、
そこに現れたアミンタの存在感、
それらが強ければ強いほど、
目が見えるようになる事のドラマが求められているはずだ。


ビントレー版には、初演版やノイマイヤー版に出てくるエンデュミオンはいない。
けれども、永遠の若さを持続するために眠り続けるこのディアナの隠れた愛人 (欲望)は、
倦怠期の夫婦、時間が愛を変質させることとその克服という、
ビントレー版の隠しテーマと強く結びついている。

永遠に純潔であろうと欲望するディアナ(アルテミス)とニンフたちの夢=写し 鏡として、
エンデュミオンという存在はある。
シルヴィアは、この楔をどこかで断ち切らねばならない。

それには、アミンタというある種盲目的な若者の愛が必要なのか、、、
「めしい」であれば、もはや「見られる」(欲望される)ことはない、、、
しかしそんな若き情熱(欲望されている事を忘れてしまう)は、
時間がすぐに滅ぼすだろう。
欲望されていることを、見られることを、思い出せば、
自分がいつかは老いさらばえて行くことを、嘆かずには居られなくなるから。


ビントレー版『シルヴィア』の隠しテーマは、
そうした螺旋的に連続する愛(見られることの忘却)と
時間(見られることの想起、愛の必然的な変質)の相克なのだろう。

永遠の夢か一瞬の愛か、、どちらも結局は幻か、、
ま、しかし、それも楽しと、微笑する、
そんな感じかもしれない。。。


パリオペラ座ガルニエでの初演時
第3幕「ディアナの神殿のある海辺の鄙びた景色」

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posted by 星跡堂主人 at 23:54| 東京 ☀| Comment(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月22日

今週末からの、新国立バレエ『マノン』の音楽と美術



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今週末からの新国立『マノン』、
実は音楽のアレンジが従来のものと違う版によって上演されます。
また、美術も、
以前の重厚なニコラス・ジョージアディス Nicholas Georgiadis によるものではなく、
淡いピーター・ファーマース Peter Farmers のものに替わります。
『マノン』は1990年代から多くのバレエ団でレパートリーに入りましたが、
1993年のヒューストンバレエ、オーストラリアバレエ、ウィーン国立バレエ、
2000年のマリインスキーバレエなどが、
Peter Farmers の美術での上演をしています。


音楽は、
2011年3月にフィンランド国立バレエ団で初演された版で
(美術は Mia Stensgaard )
マーティン・イエーツ Martin Yates という人が新たに編曲したもの。
今回の新国立ではこの人がタクトも振ります。

Martin Yates に関しての略歴
http://www.hazardchase.co.uk/artists/martin_yates


フィンランド国立バレエ団初演時のキャストなど
http://culturope.com/categories/30-ballet/542-manon-sir-kenneth-macmillan-in-the-finnish-national-opera-2011.html?showall=1

ヘルシンキでの初演でフリーデマン・フォーゲルが踊った中庭のソロの映像→
http://www.youtube.com/watch?v=mabFlCCxKlE&feature=plcp

同じ公演でのタマラ・ロッホの映像
http://www.youtube.com/watch?v=HCfVi7g4q7E

同公演のレヴュー(英文) 音楽に関して詳しく言及しています。
http://www.theartsdesk.com/dance/ballets-bad-girl-has-new-sound



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昨年2011年11月にロンドンロイヤルバレエで行われた『マノン』も
このイエーツの新編曲によるものでした。
(但し美術は元のジョージアディス)
その時のレヴュのいくつか

http://www.ballet.co.uk/2011/11/royal-ballet-manon-london/

http://markronan.wordpress.com/2011/11/04/manon-royal-ballet-covent-garden-november-2011/

http://www.classicalsource.com/db_control/db_concert_review.php?id=9700



イエーツの新編曲+ピーター・ファーマースの美術を使っているオーストラリアバレエの映像
→ http://www.youtube.com/watch?v=pRCA5pOjVUg




イエーツの新編曲+ピーター・ファーマースの美術というヴァージョンは、
私は見られませんでしたが、
日本では昨年2011年8月に東京の小林紀子バレエシアターで上演されています。
新国立版はそれを踏襲するということでしょうか。



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posted by 星跡堂主人 at 22:20| 東京 ☁| Comment(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月19日

ポリーナ・セミョーノワという「バレリーナ」  Polina Semionova    Поли́на Семио́нова



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ポリーナ・セミョーノワは今最も、美しく、強靭なダンサーだ。
そして時に、それはリリックでさえある。


かつて、たとえばシルヴィー・ギエムがこの系統のダンサーとして人気を博した。
しかし、ポリーナは、ギエムよりもずっと強靭な身体を持っているし、
今現在、持て囃されているスヴェトラーナ・ザハロワよりも
ずっと音楽的で品格のあるバレリーナだ。

その意味で、彼女はギエムと云うよりは、
パリ・オペラ座のイザベル・ゲランの系譜をひくダンサーだと思われる。
強い身体と美しさ、そして抒情。
以前のバレリーナには、強さが求められることはなかった。
しかし、コンテンポラリーダンスは、女性でも男性と同じように
強靭な身体を要求する。
これは、現在という時代の象徴でもある。
ポリーナはまさに現在、21世紀のバレリーナである。

だがしかし、バレエとは、決して一人では成立しない。
まだ二十歳代の彼女が此処まで成長したのは、
彼女の才能を見抜き、十代でソリストに抜擢した
ベルリン国立バレエ団の監督ウラジミール・マラーホフがいたからだろう。
それは、ちょうど1980年代パリオペラ座でのシルヴィーとヌレエフのようでもある。

シルヴィーがヌレエフと共に「バレリーナ」の概念を変えたように、
今まさに、ポリーナは「バレリーナ」の限界に挑戦しているように思える。




『ラ・バヤデール』第2幕 ニキヤのソロ 抒情と激しさを同時に表現する困難なバレエ
(ペテルブルク・マリインスキー劇場への客演映像)




『ラ・バヤデール』第3幕 パ・ド・ドゥ
(ベルリン国立歌劇場)




『カラバッジョ』
2008年にMauro Bigonzettiによって振り付けられた新作のリハーサル
この作品はとても挑戦的な作品なので、ぜひ日本でも上演してもらいたい。




フランスで制作されたドキュメンタリー





所属するベルリン国立バレエ団HPに掲載されているプロフィール
http://www.staatsballett-berlin.de/de_DE/ensemble/detail/soloists/12542
(「セミオノワ」とも表記されるがこれはドイツ語発音)













posted by 星跡堂主人 at 23:18| 東京 ☁| Comment(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

歌舞伎座 千穐樂  Hommage à Kabuki-za

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4月28日 歌舞伎座の千穐樂を見に行く。


いつもはそんなに見ることもないファサードの細部をしっかりと見る。
こうした細部の積み重ねが、全体の美しさを保っていた。

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小学生くらいの女の子が母親に「あれは何?」と、やぐらの座紋を指して訊く。
「あれは鶴じゃないかしらん」と、母。
思わず、「そうじゃなくって、お母さん、、」って言いかけて、止める。

最後の月、チケットは異常なくらいに取りにくく、
ネットオークションでは定額の2〜3倍の高値で売られていた。
だが、来ている客は初めて歌舞伎座に来たような人が多くみうけられた。
今まで一度も来たことがなかったけども、
なくなるのなら行ってみようという客が、全国からやってきたのかもしれない。






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入り口横の「切符預所」、
こうしたちょっとした所の雰囲気もきっと無くなるのだと思うと、愛おしい。





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この縁台に腰掛けて、よく人を待った。
大通りに面しているのに、歌舞伎座の軒下のここに入ると、
喧噪が消え、大きな樹に抱かれているような、静かな時を感じた。

思えば、歌舞伎座は、
その佇まいも、見物も、係の人たちも、とてもおっとりしていた。
それが三宅坂にはない木挽町の良さであり、そこが私は大好きだった。

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一階正面ロビーの廊下、初日の前にここで役者達が通し稽古をした。

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二階ロビーの廊下には、九代目、五代目などのトルソが並んでいる。

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歌舞伎座の内部は、そのファサードの豪華さに比べると、
とても地味だった。
細部まで繊細且つ豪華絢爛なパリ・オペラ座のガルニエとは全く違う。
しかし、弁柄色の柱には、和服姿の女性たちがよく映えた。
女性の和服をこんなにも美しく見せる空間は、今の東京には他にない。

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着物を召した大切な人とほんのりとしたいときは、
二階桟敷からお茶を飲みながら花道の役者を眺めた。

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この一番はと、気合いの入ったときは、
いつも「た-36」に座った。
「いろは」順でなくなったのはいつからか、
もうそんな頃には、余り訪れていなかった。

花道をするすると行く歌右衛門は、私から遠ざかっていくのに、
舞台に近くなればなるほど、大きく見えた。


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花道の下をくぐる通路もあった。

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しかし、何度も訪れたのは三階席と、あの長い階段の先にあった幕見。

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開演前の一時、ここでビスケットとお茶を頂いた。
 
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最後の日、多くの客が
「ここはどうなるの?」と、ウエーターに訊いていた。
「たぶん外部の業者が入るんじゃないかな」
「え、そうなの」
外部業者が入れば、間違いなくこのほんのりした雰囲気はなくなるだろう。
歌舞伎座が消えるということは、本当はこういうことなのかもしれない。



三階席のやや歪んだ廊下、これも歌舞伎座ならではだった。

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幕間にこの椅子に座り眺めていた往年の役者たち

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ちょっと見落としてしまいがちな、こんな小さな絵馬も飾られていた。

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千穐樂、第二部の「寺子屋」、
幕切りは野辺おくり。
当代、幸四郎、仁左衛門、玉三郎、勘三郎が、静かに
主君のために身代わりになった子どものお弔いをする。
舞台に並んだよったりの姿は、力みもなく自然に其処にあるかの如く在った。


下座が聴こえないくらいの足拍子に熱狂する、
もはやじわが寄りようもない歌舞伎座で
私の胸には静かに、そして幕が引かれた今も、じわが寄り続けている。
こうして、歌舞伎座は逝ったのだと、
いつまでも、私は、その体に刻み込みことだろうと、、。




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posted by 星跡堂主人 at 01:18| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする