2014年04月19日

新国立バレエ 『カルミナ・ブラーナ』プレヴュー  Ballet ”Carmina Burana” Ballet of New National Theatre Tokyo


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2014年4月19日〜4月27日まで
新国立バレエ団で上演されるバレエ『カルミナ・ブラーナ』は、
カール・オルフの世俗カンタータ『カルミナ・ブラーナ』に
デビッド・ビントレーが振り付けた作品。
初演は、1995年9月27日、バーミンガム・ピポドローム、
ビントレーがバーミンガム・ロイヤルバレエの芸術監督になった歳である。

新国立バレエ団では、
2005年10月29日〜11月6日
2010年5月1日〜5日
に続いて、三度目の上演。
抜粋映像→ https://www.youtube.com/watch?v=9ePu2GEqXlc#t=49
ビントレー作品は、オルフの音楽を冒頭からカットすることなく全曲使用している。
但し、通常使われる児童合唱は、バーミンガムでは聖歌隊が唱ったらしいが、
新国立劇場の上演では入っていない。

因に、オルフの『カルミナ・ブラーナ』日本初演は
1955年5月14日 日比谷公会堂でのNHK交響楽団演奏会
→ http://ml.naxos.jp/work/2476208


作曲者のカール・オルフは、この作品を、
1847年に活字出版された以下の本に基づいて作曲したとされている。
Johann Andreas Schneller
 ”Carmina Burana : lateinische und deutsche Lieder und Gedichte einer Handschrift des 13. Jahrhunderts aus Benedictbeuern ”
→ http://ow.ly/vWRZ2
P.264以降がインデクスになっている。

”Carmina Burana” とは、
「 Beuern(ボイヤ(レ)ンの)歌」( ”Beuern”は古くは”Bura”と呼ばれたらしい)という謂いのラテン語に当たる。
この標題は、
1803年にミュンヘン郊外の Beuern にあるベネディクト派の教会 Kloster Benediktbeuern で
中世の詩歌320編(数え方に依っては250くらい)が Johann Christoph von Aretin によって発見されたことに基づいている。
この教会は、ドイツバロック様式の真珠ともよぶべき美しい佇まいである。
Kloster Benediktbeuern→ http://www.kloster-benediktbeuern.de


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発見された原典にある森を描いた美しい挿絵、紙ではなく羊のなめし皮に書かれている。


所が、その後、発見者が秘蔵していた為に世に出るのは遅れる。
1844年などに Jacob Grimm により一部が出版されたが、
大部の出版は、1847年の先に示した本まで待たねばならなかった。

原典の詩は、
主にラテン語で書かれ、他に
古い、フランス語、プロヴァンス語、イタリア語、中高ドイツ語、
さらにはそれらがミックスされたマカロニック・スタイルで書かれている。

時代は、1230年頃の写本と推測されるので、
11世紀〜13世紀前半のものとされているが、
これらは纏まった本ではなく断片集であり
元来は、”Codex Buranaus” (Beuern 写本)と呼ばれていた。
現在この原資料は、
Bayerische Staats Bibliothek(バイエルン州立図書館)に保存されているらしいが、
残念ながら、ネットでは公開されていない。

Deutsche national Bibliothek (ドイツ国立図書館)のサイトで一部、楽譜の部分がネットで見られる。
→ http://www.dnb.de/EN/DBSM/Ausstellungen/Rueckschau/handschrNotation.html?cms_notFirst=true&cms_docId=49508



作者は、ゴリアルドゥス(goliardus)、ゴリアール(goliard)と称される
(一説には「大食漢」とか「言動の放縦なもの」を意味する"gula" が語源とも、
12世紀フランスのピエール・アラベールへの批判語としての”golias” が広まったとも)
「放浪僧」(clerici vagabundi)の人々とされている。
「放浪」と呼ばれているが決して卑賤な者ではなく、
ラテン語を操っているのだから知識人階層であり、
そのカトリック知識人達が、
世俗的な一般庶民(異民族、異文化、異言語)に接触するところで
美食、好色、風刺などの詩が生まれたのだろう。
ちょうど、
日本の中世に雅俗混淆、和漢混交の文化や文体が形成された事と似ているのかもしれないし、
今風に云えば、「クレオール」文化とも言えるか。


原典、”Codex Buranaus” については、このサイト(英語)に詳しい
→ http://www.athenapub.com/14carmina.htm

このサイトの解説に依れば、大まかに4つの類型に整理されている。
”Carmina moralia” satirical or moralizing lyrics (風刺的で道徳的な詩)
”Carmina veris et amoris” songs celebrating springtime and love (春や愛を言祝ぐ歌)
”Carmina lusorum et potato rum” gambling and drinking songs , including goliardic verse 
(賭博や酒の歌、”Goliard”( 放浪学僧)の詩も含む)
”Carmina divine”  poems with religious content (神を言祝ぐ詩、復活祭の受難劇詩など)

個々の「詩」には、”CB”(Codex Buranaus)何番という、整理番号が付されている。

カール・オルフが自作『カルミナ・ブラーナ』に選んだ歌詞の詩のCB番号
(英訳歌詞)
→ http://www.poetryintranslation.com/PITBR/Latin/CarminaBurana.htm#_Toc195085570

オルフ『カルミナ・ブラーナ』の全曲構成
→ http://www.classical.net/music/comp.lst/works/orff-cb/carmlyr.php
オルフは、
冒頭の2曲を ”Fortuna Imperatrix Mundi” 「フォルトゥナ 世界の皇后」としてまとめているが、
”Imperatrix Mundi”(世界の皇后)とは、どこから出てきた言葉なのだろうか?
原典には確認出来ない。
2曲目”Fortune plango vulnera” (CB16)の最後の詩句”Hecubam reginam”「女王へクバ」は、トロイアの女王「ヘカベ」のことと思われる。
ヘカペは災いを齎すと予言された我が子パリスを、
殺す事が出来ずにトロイアの滅亡という運命の流転に晒される。

オルフの『カルミナ・ブラーナ』全曲のラテン語歌詞と日本語訳
→ http://carminaburana.web.fc2.com/index.html



オルフの『カルミナ・ブラーナ』の構成は以下のようだから、
上記の原典の分類にある程度沿っていると言える。

序   フォルトゥナ、世界の皇后(「支配者」の謂いか)
第1部 浅き春に 野の上で
第2部 酒場にて
第3部 愛の誘惑 白き花とヘレナ
終曲  フォルトゥナ、世界の皇后



1930年になって Alfons Hilka と Otto Schumannが、
言語学者の Wilhelm Mayers の研究に基づいて
”Carmina Burana; mit Benutzung der Vorarbeiten Wilhelm Meyers” を執筆して研究がより深まる。
→ http://ow.ly/vWV5Z

オルフも、この研究成果も取り入れて作曲したのではないかとも推測される。
この出版の6年後の1935〜6年にかけてオルフは、『カルミナ・ブラーナ』を作曲、翌1937年7月にフランクフルト・オペラで初演しているからだ。

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この画像は1900年当時のフランクフルト・オペラ劇場
(戦災で被災しましたが、現在は再建され、その美しい姿を取り戻しています)
現在のHP→ http://www.alteoper.de





さて、言うまでもなく、1930年代のドイツを語る時に、
ヒトラーのナチスを避ける事は出来ない。
1936年と言えば、あのベルリン五輪の歳であり、
レニ・リーフェンシュタールによる映画『民族の祭典』が
肉体美の極地を、当時の最新技術であるスローモーションなどを駆使し表現した。
この映画では出てこないが、オルフはベルリン五輪の開会式のために
「ベルリン・オリンピック輪舞」を作曲し、
あのマリー・ヴィグマンが振付し踊った。
(開会式の総合振付はルドルフ・フォン・ラバンがしている)


私は、オルフの「O Fortuna」に始まるこの曲が以前から好きになれなかった。
余りにも時代がかっていて、大げさな音楽、リズムの繰り返しによる感情の煽動、
この曲がナチ時代に作られた事を知らずとも、そこにある怪しい影を感じた。

オルフ自身はナチとは距離を置いていたらしいが、
当時の時代の雰囲気からこの曲が逃れているとは思えない。
「原始的」と称されていることもあるようだが、
それこそ、ナチが大衆煽動に用いた神話的なイメージ。
20世紀前半の音楽は、ストラヴィンスキーでもそうだが、
古代や中世に回帰する。それがトレンドだったとも言えるが、
この曲は、ストラヴィンスキーのモダニズムとは明らかに異なるだろう。


たとえば、第10曲目にこういう歌詞を使うことは、どうだったのか?
→ http://carminaburana.web.fc2.com/yu-text-10.html
この詩が載っている1847年活字本のページ
→ http://reader.digitale-sammlungen.de/de/fs1/object/display/bsb10737557_00202.html

これは勿論、単純ではなく両義的でもあり、複雑だが、
この部分は歌詞がラテン語ではなく古いドイツ語であり、
ベルサイユ体制を打破しようとしていたナチ支配下のドイツの聴衆はどう聴いたのだろうか?

丸焼けの白鳥(「ローストスワン」とカタカナ表記されると、
私にはどうしても「失われた白鳥」だと思えてしまうが、、)、
ここで使われるテナーの裏声は中世的なカウンターテナーというよりも
1920年代のキャバレーのイメージを彷彿とさせる。

酒場にての歌詞も、どれも単純ではない暗喩が含まれるだろうが、
それに付けられた音楽はどう評価されるべきか。。。


時代背景に詳しく言及しているサイト、
とても参考になるので、一部を引用しあげておく。
「カルミナ・ブラーナ が語りかけること  野口幹夫」
→ http://kozu5.my.coocan.jp/KozuHomePage1/public_html/hiroba-05/04.12.13nogu1.html
「まさにオルフのカルミナ・ブラーナはこの時代に生まれた。
だからそのキーワードの第一は『解放』なのである。この曲の全体
に流れる生命力、強烈なリズムのかもし出す原始的なエネルギーは、
すべての束縛からの解放を求めるその時代のドイツ社会から溢れ出
るものだった。もちろん社会の状況だけで音楽を説明できるもので
はないが、音楽家は社会とは無縁ではいられない。」

「カルミナ・ブラーナが語りかけること その2」ではさらに追求がされている。
→ http://kozu5.my.coocan.jp/KozuHomePage1/public_html/hiroba-05/04.12.17nogu2.html




ただ、一方で、
『カルミナ・ブラーナ』という曲が、
その基層にある中世と繋がっていることも確かだろう。

フォルトゥナは、
元々は、ギリシャ神話のテュケー ( Tyche ) を起源に持つ一方で
ギリシア神話における「運命の三女神」モイライ( Moirai )で、
クロートー、ラケシス、アトロポスの三神、
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さらには、
北欧神話の三女神ノルン ( norn )
長女ウルズ、次女ヴェルザンディ、三女スクルド、
運命を編むものとしての「ウルズ」にもその起源を持つなど、多様性がある。

建前はキリスト教一神教でありながら
欧州の図像イメージは、
しばしば土着とグレコ・ローマンとの錯綜としてイメージされ、
この女神もそうなのだろう。
具体的には、糸で運命の車輪を回すイメージ
それが少し下ると、運命は盲目であると目隠しをする。

Rueda de la Fortuna-Royal 20 C IV.jpg


フォルトゥナ、運命の女神が
西洋でどのように形象化されたのかの変遷がよく分かるサイト
→ http://tantoshombrestantassentencias.blogspot.jp

中世の音楽として再現された『カルミナ・ブラーナ』
”O fortuna velut luna” の部分
→ https://www.youtube.com/watch?v=1WIxUoIIlB8&list=HL1397493027

”O varium fortune lubricum”部分の別の演奏
→ https://www.youtube.com/watch?v=tJ1Y9jKJNmc

どちらも、近代のカール・オルフの音楽のイメージとは全く異なる。





時代が下り19世紀の世紀末になれば、
フォルトゥナは、ラファエロ前派の
ロセッティやバーンジョーンズなどの「運命の女」へと変貌する。
かつては畏怖された運命の女神が、ここでは神から女へと重心を移し、
その女に翻弄されることを怖れつつも喜びとするような男たちが出現する。
「恋愛」や「性」が社会文化的に全面に出てきたからでもあるが、
この倒錯が世紀末近代の特徴となる。


バーンジョーンズ.jpg


「運命の輪」や目隠しされた「運命の女神」のイメージは、
ビントレーの振り付けた『カルミナ・ブラーナ』にも活かされるが、、
そこで出てくるフォルトゥナは、
酒場やローストスワンなどが描かれて、さらに神学生が恋に落ちるという物語を経ているからか、
「女神」というよりも、「恋愛」で男を擒にする世紀末的な「運命の女」により近いかもしれない。


しかし、世紀末近代と中世、どちらかだけではない多様性がそこにはあり、
または、近代を通しての中世というべき二重絵があり、
破戒僧の恍惚、逃れようのない運命付けられた地獄への堕落、
中世と近代とを併せ持つ多様性や両義性が、
”Codex Buranaus” からオルフが音楽化し、
ビントレーがダンスとして振り付けた
『カルミナ・ブラーナ』という作品には内包されてあり、
その交錯を、踊る者も見る者も味わうことになるだろう。

bur_cpo1.jpg



オルフの『カルミナ・ブラーナ』は、
こうした変遷の先に生まれた。
ナチズムの大衆煽動と世紀末のイメージ、
ある種のどうしようもなさからの解放、
だが、そこに解放があるのかしらん?

そこにある種の「解放」を感じてはいけないのではないか。
そうではない、いつまでもの両義性の宙づりのまま、
そこに立ち止まれるか、あの強烈なトゥッティの終幕に
挑まねばなるまい。

それとも、ある種のパロディーとして笑い飛ばす、
そうした余裕があっても、いいのかもしない。

アプローチは、きっとダンサーそれぞれであり、
見る人、それぞれであろう。



音楽は最初に回帰して、輪廻というフォルトナの前に
命を生きざるを得ないボンプたる人間は小さく弱い、、、





===========================================
振付家デビット・ビントレーのインタヴュー
『カルミナ・ブラーナ』初演時について語るデビット・ビントレー
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/carmina_faster/introduction/index.html
『カルミナ・ブラーナ』についてデビット・ビントレーが語っているページ
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/10000025.html

2013年4月のアトランタバレエ公演のプレヴュー記事
「“Carmina Burana” takes a walk on the wild side to temptation」
“He thinks he’s found the Virgin Mary only to find out that she’s the Whore of Babylon,” Bintley says.”
などと語っていて興味深い。
http://www.artsatl.com/2013/04/preview-atlanta-ballet-takes-walk-wild-side-lush-lavish-carmina-burana/#sthash.M1E0IG55.dpuf



本文中表示以外の参考文献

1979年に刊行された校訂テキスト
”Carmina Burana ca. 1230”  G. Bernt A. Hilka O. Schumann München 1979
http://www.hs-augsburg.de/~harsch/Chronologia/Lspost13/CarminaBurana/bur_car0.html

Carmina Burana : die Lieder der Benediktbeurer Handschrift Zweisprachige Ausgabe
(dtv, 2063) Deutscher Taschenbuch Verlag, 1979, c1974
所蔵大学図書館→ http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA11702400#ref

上記テキストに基づいた和訳本と思われるが未見
『全訳カルミナ・ブラーナ−ベネディクトボイエルン歌集−』 永野藤夫訳 -- 筑摩書房 -- 1990


「ヨーロッパ中世詩歌『カルミナ・ブラーナ』をめぐる人 文地理学的考察 : 現代合唱曲としての復活」
川西孝男  人文地理学会 2012年大会発表論題・配布資料 
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/161907/1/jinbunchiri_2012.pdf

「ヴィグマンとクルト・ヨース」 及川廣信
http://scorpio-oik.blogspot.jp/2007/10/blog-post.html

「放浪学僧の歌―中世ラテン俗謡集 」 瀬谷幸男
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4888964130/silva-22

「『ゴリアス司教』もの」 ブログ「思索の森ーヨーロッパ中世史・中世思想史」
http://www.medieviste.org/?p=6726





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Titre : ”Recueil de dessins ou cartons, avec devises, destinés à servir de modèles pour tapisseries ou pour peintures sur verre”
Date d'édition : 1501-1600
Bibliothèque nationale de France
→ http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b8426260f/f1.image







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2014年03月17日

新国立バレエ「シンフォニー・イン・3(スリー)・ムーヴメンツ」プレヴュー

明日(3月18日)に幕を開ける新国立バレエ団トリプルビル
「暗やみから解き放たれて」(ジェシカ・ラング振付世界初演)
「大フーガ」(ハンス・ファン・マーネン振付)
「シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ」
(ジョージ・バランシン振付)
新国立バレエ団サイト
→ http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/symphony/
キャスト
→ http://ow.ly/uF9I4



ジェシカ・ラング振付の新作「暗やみから解き放たれて」ワールドプレミアム
ジェシカ・ラング
(バリシニコフやサム・シェパードのパートナーだった女優とはもちろん別人です〜)
→ http://www.bway.name/dpny/artist2.htm

この作品には、
アイスランド人のÓlafur Arnalds → http://ow.ly/uAliI
ドイツ人のNils Frahm → http://ow.ly/uAl4z

という二人の若手の作曲家の音楽が使われるようです。

Ólafur Arnalds の作品例
→ http://ow.ly/uAlXf

Nils Frahm の作品例
→ http://ow.ly/uAlTL

どちらもミニマリズムを思い起こさせるような
サウンドです。
これにどのようなダンスが付いて行くのか、楽しみです。
この手の音楽は、日本人の身体には合っているかもしれない。

その他に
Josh Kramer(アメリカ)と
John Metcalfe(ニュージーランド)の曲も使用されるようだ。

Josh Kramer
→ http://ow.ly/uAtd5
作品例
→ http://ow.ly/uAsOq

John Metcalfe
(彼は最近、ピーター・ガブリエルともコラボしている)
→ http://ow.ly/uAsha
作品例
→ http://ow.ly/uAsoN

ジェシカ・ラングが最近設立したカンパニー
Jessica Lang Dance (JLD)
→ http://ow.ly/uAuM8

同カンパニーの
”Ballet for a New Generation” と題されたプロモーション映像
→ http://ow.ly/uAvv6


「産經新聞」掲載の紹介記事
→ http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140316/ent14031611090005-n1.htm
「私は新たなカンパニーと仕事をするとき、必ずその国の文化的背景を調べ、イメージを膨らませます。今回は日本家屋や照明のイメージで、紙のイルミネーションを使うつもりです」と、
振付家が述べている点は、とても興味深い。

単に舞台演出だけではなく、
日本人の身体の良さを活かした振付作品になっていれば、
どんなに良いことだろうか〜!



ファン・マーネン「大フーガ」
2つめの「大フーガ」は云うまでもなく
ファン・ベートーヴェンの作品。
元は弦楽四重奏第13番の第六楽章(終楽章)
→ http://ow.ly/uAmOQ
「大フーガ」オーケストラ版(フルトヴェングラー・ウィーンフィル 1954年8月ザルツブルクライブ)
→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm13786880


但し、
ファン・マーネンは自身の振付作品「大フーガ」の終曲に
同じ弦楽四重奏第13番の第五楽章「カヴァティーナ」を付け足し使っている。
なので、使用曲は「大フーガ」+「カヴァティーナ」となる。

「カヴァティーナ」(フルトヴェングラー・ベルリンフィル 1940年10月テレフンケン録音)
→ https://www.youtube.com/watch?v=W6TbsbKukqM


ファン・マーネンは、
ダッチナショナルの芸術監督を長らく勤めていて
欧州では有名な振付家。日本では余り上演される機会がないが、
バランシンと同じように音楽を視覚化して振付けるという特徴がある。
→ http://www.hansvanmanen.com/?p=hans&ln=en

「大フーガ」は1971年4月にNDT で初演されている。
→ http://www.hansvanmanen.com/?p=repertoire&id=103&ln=en
音楽の編曲はワインガルトナーとある。最近はめっきり聞かなくなった懐かし名前。

ファン・マーネン振付の「大フーガ」のさわり 
→ http://ow.ly/uAnJR

ファン・マーネンの作品を新国立バレエ団が上演することには、
個人的にとても感慨がある。
というのも、
新国立劇場が開場した頃、旧態依然とした古典ばかりの上演に
日本にもついにオペラバレエの国立劇場が出来たと期待して
欧州から日本に戻りバレエ団に加入したダンサーの中には、
がっかりした人たちが居た。
「ファン・マーネンの作品をぜひ踊りたい。新国立で彼の作品を踊ってみたい〜」
もう十数年も前の事。
酷い状況にあった当時のダンサーたちを思うと、今のダンサーは恵まれている。
古典ばかりではなく、こうした現代的な作品を踊る事は
現在を生きる、
特に若いダンサーにとっては踊る事の大切なモチヴェーションになるはずだ。
ビントレーが監督になる事で、これも実現したのだろうが、
そうであればこそ、
来期以降、再び旧態依然のかつての新国立バレエ団に戻らないように
ひゐきである私たちも、
しっかりと新国立バレエ団サポーターとしての役割を自覚したいと思う。






バランシン「三楽章の交響曲」
3つめはバランシンの「三楽章の交響曲」
1972年NYCB初演
→ http://balanchine.com/symphony-in-three-movements/
”Balanchine responded to the jazz flavor in Stravinsky’s score by using angular, turned-in movements and brisk, athletic walking sequences.”

ストラヴィンスキーの中でもこの曲は余り演奏されない作品だと思う。
(音楽としては1946年初演の作品で第2次世界大戦の影響が出ていると批評されることもある)
日本のバレエ団としては、初演かしらん。
(2009年にNYCBが来日公演で上演している)


ゲルギエフですが、、、ロンドン交響楽団です。
→ http://ow.ly/uAoUc  (第1楽章)
→ http://ow.ly/uAp2x  (第2、3楽章)

2009年にマイアミバレエで上演された時の
同バレエ団芸術監督 Edward Villella の解説
→ http://ow.ly/uApsM

昨年(2013年)ニューヨークシティバレエ団で上演された際の
プリンシパルダンサー Sterling Hyltin の談話
→ http://ow.ly/uApDu



新国立バレエ団プリンシパルによる公演に向けてのメッセージ
米沢唯
→ https://www.youtube.com/watch?v=p138XvhhTZo
長田佳世
→ https://www.youtube.com/watch?v=mX_jYJiXqok
八幡顕光
→ https://www.youtube.com/watch?v=nxfTm1ploIc



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2014年03月10日

新国立バレエ『白鳥の湖』 2014年2月公演レヴュー〜〜米沢唯の構想力〜〜



新国立バレエ団牧版の『白鳥の湖』は、
数ある『白鳥の湖』の中でも余り見る気のしない版というのは、衆目の一致するところである。

新国立バレエ団が1998年5月に初演した
セルゲイエフ=ドゥジンスカヤ版をベースにしつつ
2006年11月に当時の芸術監督牧阿佐美によって改訂初演されたが、
冒頭でブルメイステル版を取り入れながら、その導線がその後見当たらず
ラストシーンが如何にも旧態だったり、
2008年6月の再演時には、
第3幕のパ・ド・ドゥをカット、改悪したりして、
様々な版の寄せ集めが結果的に統一的な演出(解釈)を失わせている。

この版の致命的欠陥は、
21世紀の今日、19世紀に作られた『白鳥の湖』を改訂するという
ヴィジョンが全く見られないという点だ。
1953年初演のブルメイステル版以降、
クランコ版(1962年)、
ヌレエフのウィーン版(1964年)、パリ版(1984年)という二つの版、
グレゴローヴッチ版(1969年、ロシアンダンスはこの版からヒントを得ているか?)
ノイマイヤー版(1976年)などが評価されてきた
20世紀後半以降の『白鳥の湖』の上演史を考慮せず、
今現在にこの作品を、解釈し再上演する事の意味を、殆ど感じさせない版なのである。

一言で言えば、作品として凡庸で
現代的な知的な興奮や面白さを感じさせない版である。

牧阿佐美の演出振付版では、ご本人も相当に思いを込めたと思われる
『ラ・バヤデール』が一番だと、私は思う。
『ライモンダ』も、日本では他に上演していないという価値はあった。


さて、
こういう難しい版をどう踊るかは、ダンサーにとってある意味その力が試される。
優れた作品なら、その振付通りに演じれば、それなりになるが、
愚作ではそうはいかないし、
バレエ団所属のダンサーはそれを拒否することもできない。
それはある意味で
牧版『白鳥の湖』というロットバルトに、
囚われているオデットのようなものだ。

この愚作からどのようにしたら解放されるのか、
そう思ってみる、まあ、そうしか見る側も楽しみ方が少ない。
だが、見る側も愚作だと思いながらも、
そこにひゐきのダンサーが出るなら、見るしか無い。

愚作につき合うのは、ダンサーも見る側も同じように
今ここの演出、振付の凡庸さを、どのように想像力を駆使すれば
愚作の陥穽から解放されるのかの、試練でもある。
私が見たのは、
小野&福岡(2月15日)、米沢&菅野(2月22日)、長田&奥村(2月23日)の3組である。

小野絢子、福岡雄大
小野絢子は、たぶん不調だったのだろう、前回(2012年5月)ほどの輝きがなかった。
前回は、その特徴である体のラインが美しさを強調していた。
それはある意味で自分の良さをこの振付に流し込むという正当な対応だった。
福岡雄大は、前回とは見違えるほど。
特に彼は昨年末の『くるみ割り人形』の頃から体の動きが一段と制御され
ノーブルになった。古典を踊る場合、これは決定的な事だ。
特にこの牧版の中で唯一の良き特徴と云える(といってもこれは元々の新国立版セルゲイエフ=ドゥジンスカヤ版にあったものだが)1幕のソロ、
ここでの憂いを含んだ静かなダンスは今までの彼には無かったもののように思えた。
しかし、残念ながら、一番最後の弓を持ってターンする所で何故かオケが彼の踊りより速く奏でた、一瞬だが。
なので、彼の憂いが活きなかった。
(バクランと東京交響楽団の音楽は全体に素晴らしかったが、あそこだけはどのダンサーの時ももう一息溜めて奏でてほしかった)
福岡の憂愁は、その後にどう展開したのか、
残念ながらそこは分からなかった。
これは彼の解釈が、この版に拒絶されたのか(特にラストシーン等)、
それとも、彼の解釈がまだ徹底しなかたのかは、分からない。
憂愁を帯びた王子が、どのように「愛」(「男」?)に目覚めて行くのか、
そこの解釈の導線が、見ている私には伝わってこなかった。

最後に見た、長田佳世と奥村康祐は、初役の緊張感からか、
もっとできるはずなのに、ややもの足らなかった。
奥村は、他の日に踊ったパ・ド・トロワは、ノーブルで素晴らしかったし
王子のソロダンスも悪くはないが、その踊りが、全幕の中でどのように位置づけられているのか、よく理解出来なかった。
まだ全幕を通してのドラマトゥルギーを構成できていない。
長田も、彼女の良さが出てない感じだった。
今後に期待したい。


さて、最も出色だったのは、米沢&菅野ペアだ。
それも今回は、米沢唯の構想力が炸裂した。
(2012年5月の初役時にはそこまでではなかった)
以下、
米沢の解釈の導線=作品全体を構想する力を追いながら、
その舞台を再現してみたい。


「構想の導線」ーー「序幕」ーー

既にネット上で多くの方が指摘しているが、
まず、冒頭(ブルメイステル版由来のオデットが白鳥に変えられるシーン)で
米沢唯は、不安感を明確に示し、
窓の向こうに居る悪魔に徐々に体が引きつけられて行く仕草を見事に表現した。
まるで上体が本当に見えない糸で引っ張られるかのように。

これがなぜ出色か。
実は、牧版が基にしたブルメイステル版や
その後に似た演出を取り入れたヌレエフ・パリ版では
ロットバルトの大きな翼に抱え込まれるようにしてオデットは攫われてしまうので、
米沢がしたような仕草は出来ないのだ。
牧版は大きな翼で抱え込むという演出を取らなかった。
悪魔は窓の外に居て、オデットはその窓へと引きつけられていく。

その事に意味を、米沢は見事に私たちに示してくれたのだ。
単なるちょっとした演技といえば、それまでなのだが。
(しかし小野も長田もこうはしていない)

しかも、このロットバルトに引きつけられる動きは
その後、
『白鳥の湖』(2幕の終わりや4幕)では何度も出てくるのだ。
冒頭のちょっとした身体の動きで、
米沢は牧版『白鳥の湖』への構想の導線を示した。
『白鳥の湖』という作品を知っているそれを見る側も、
しっかりと感じ取ることが出来たのだ。
この冒頭の動きから、作品全体が鮮やかにイメージされたのである。

舞台芸術の表現において、版の歴史と特徴を理解しながら
そのイメージを見る側に感じ取らせる。これほど大切なことは無い。
それを冒頭にやられたから、
多くの人はその一つのシーンだけで「わっ、すごい」と感じたのではないか。



「スムーズな美しさ」ーー「第2幕」オデットが舞台に登場するシーンーー 

特に水を落とす仕草など、初役時には、米沢はもっと動物的に動いていたが、
今回はそれほどではなかった。もっと人間的だ。
なので、王子との出会いも、異物に出会うという恐れよりも、
ある種の好奇心のようなものを示していた。
ここで菅野との追いつ追われつの掛け合いは、スムーズでしかも美しかった。
二人の動きが呼応し、かつ技術的にしっかりしていないと、この場面に美しさはでない。
ただの鬼ごっこに見えたりすることさえある。
この二人は既に何度も組んで来て、
ようやくペアとしてのお互いの呼吸が分かって来たのかもしれない。


「静けさを切り裂くポワント」ーー「第2幕」グラン・アダージョーー

このテンポで体をキープしつつ
かつ美しく見せるのは至難の業に思える。
以前よりももっと深く沈潜したようにさえ感じた。
今現在の二人の技術と若さがあるからこそ、可能だったシーン。
そんな動きにうっとりしている中で、一瞬ハッとするところがあった。

アダージョ途中でオデットが、王子から離れ飛び立とうとして捕まり降ろされ、
さらに王子から僅かだが下手前へパ・ド・ブレで逃れる、
その時だ、オデットが音を激しく立てるほど、パ・ド・ブレで舞台にポアントを打ち付けた。
その音が、静かなヴァイオリンとチェロの対話を一瞬にして切り裂く。
何だ?これは??
オデットは王子との間から逃れたい、しかし引き込まれるというアダージョの中で
自分の中のある強い思いに目覚めて来た、
それはまだ意識としてではなく、しかし身体がそう思わず反応してしまったという
そういう激しいパ・ド・ブレの音だったのではないか。
見る側も、その場では何が起こったのかは鮮明には理解出来ない。
しかし、そこにある抗しがたい何かを、オデットと共に感じた。



「遊びをせんとや」というオディールーー「第3幕」ーー

米沢のオディールは、王子を誑かすというよりも遊んでいる。
たぶん、妖艶さというものを出すのではなく、
そうした方が自分には合っていると思っているのだろう。
しかし、その遊びの中の楽しさに王子は次第に引き込まれ
1幕とは全くことなるソロダンスを、王子も楽しげに踊る。
菅野の王子は、米沢の遊びに翻弄されつつ変化していく。

思えば、オディールのヴァリアシオンの曲は、
1895年のマリインスキーでの蘇演時に
ドリゴが編曲した
チャイコフスキーの作品72−12「遊び」(「18のピアノ曲集」)である。

そして、ヴァリアシオンで米沢はさらに遊んだ。
ヴァリアシオン冒頭、米沢は4回転した。(これは初役時からしている)
2012年5月にこれを見た時は余りの事に、一体何が起きたのかすぐには理解できなかった。
4回廻った??
通常は始めに軽く1回転、その後2+2回転が多い。
多く廻る人でも3+3回転だ。

米沢は、最初に4回転してその後2回転した。
まるでフィギュアスケートのようだが、、(^o^)
米沢は4+2を廻った。クワド+ドゥーブルだ〜

その後のグランフェッテのトリプルばかりが注目されるが、
フェッテのトリプルは見た事があるが、
黒鳥のヴァリアシオン冒頭の4回転は、私は見た記憶が無い。
これはやはり凄い事だ。
さらに、上手奥からのパ・ド・ブレの
白鳥ポーズでの深い沈み込みと腕の鋭角的なラインは
(これも初役時からだが)
オディールが人間よりも動物的な戯れをしているようにも思えた。

初役時よりも
オデットがより人間的になった一方で
オディールは、そのヴィルトゥオーサと共に
異界性を保っていた。

米沢唯という人は、もの凄い難しい事をさらっとして、
それで〜〜としている佇まいのある方だが、
このオディールは、まさに技術力で遊び、王子を翻弄した、
そういうオディールだった。




「原初的な、なにものかの湧き上がり」ーー「第4幕」ーー

このどうしようもない「愛は勝つ」みたいな、
いい大人にはリアリティーの全くないラストをどうするのか?
特に、この幕で二人のパ・ド・ドゥがないと、
オデットダンサーは、王子の裏切りをどう許して行くのかのプロセスをとても作り難い。
白鳥のコールが踊り終わると、すぐにコーダに入ってしまうからだ。

オデットは王子を許したということよりも
この人を悪魔から助けたいという思いに駆られていたように見えた。
ある意味で、それは母性に近い、女性的な愛の形。
悪魔が迫り来る中に割って入るオデットには、
王子を許すとかそういう事を考えている暇はない。
そこに、愛した人が危機に瀕しているのを守ってあげたい、
ただそれだけに見えた。

しかし、もちろん悪魔に勝てるはずも無く、、
それを見ていた王子が今度は、オデットを助けねばと奮い立つ。
王子は、そこで初めて「男」に目覚め、
悪魔と戦おうとする。
オデットは王子を守ってあげたいと思い、王子は悪魔と戦う。
もっとも原初的な女と男の存り様を、そこに見たような気がする。
(私は既成の男女という枠組みを越えた何かを『白鳥の湖』で見てみたい。
たとえばヌレエフ版のような。しかし牧版ではそれは無理だろう。)

二人には、男女の愛と一言で片付けられない
もっと原初的な
女として、男としての、何かが湧き出てくる。
その力で、悪魔は湖に沈む。
そのように見えた。

弦楽器のトレモロがクレッシェンドされるなか、
オデットは、次第に、しかしはっきりと目覚め、解放されていく。
米沢唯は、そのようにオデットを演じ、
菅野英雄も、それに応えた、
そういう名演だった。








付記、
主役以外に関して
「コール・ド・バレエ」

コール・ド・バレエは、何を目指しているのか相変わらず不明だった。
これはダンサーのせいではない。
『白鳥の湖』のコールで、マリインスキーやパリオペラ座と対等に渡り合うという気持ちが無い。
渡り合うというのは、同じように競うということではない。
そのバレエ団の所属する団員の身体的特徴に合った美学を、
求めるという意識を感じないということだ。

短いチュチュで、飛翔するかの如き上部への動きを求められる『白鳥の湖』のコールほど
日本人の身体に不向きなものは無い。
ただ揃っていれば良いわけではない。揃っていたってバレエの美学は発生しない。
これは新国立バレエ団が出来た頃からずっと述べているが、
日本のバレエ指導者には、そういう発想自体がないのだろう。
ほとんどが日本人という特殊な特徴を持つバレエ団が、
どのように動けば、美しいコールになり得るか。
レフ・イワーノフが振り付けたとされる従来からの振付を変えてでも、
そこを考えてほしいし、追求してほしい。
それが西欧的な体型とは異なるわたしたちが、バレエ団を持ち
『白鳥の湖』を踊る事の意義ではないだろうか?
それを目指さなければ(すぐには出来なくとも)、
いつまでたっても、西欧やロシアのバレエ団に敵いっこ無い。


「キャラクテール・ダンス」
コールが、今一なのに比べて、
キャラクテールダンスは、私が見た限りではどれも素晴らしかった。
特に、竹田仁美、五月女遥、福田圭吾の「ナポリ」
大和雅美、古川和則の「チャルダッシュ」
本島美和の「ルースカヤ」(パ・ド・トロワが素晴らしかった細田千晶は見られず残念)、
本島のそれは前回よりもずっと、音楽の特徴とあの長いドレスを美しく見せる技を身につけており
うっとりとするほど素晴らしかった。
また、女王役の湯川麻美子も強い演技で印象的だった。






posted by 星跡堂主人 at 17:10| 東京 ☀| Comment(2) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月15日

日本で「火の鳥」を初めて踊ったダンサー ノラ・ケイ(Nora KAYE)

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1954年の小牧バレエ団公演のパンフレットに掲載されていた
「ライラック・ガーデン」の写真


ノラ・ケイの若い頃のこんなプラーヴェート映像がある。
ニューヨークで1948年に撮られたもの。
http://www.youtube.com/watch?v=sU_1LsIPFXs&list=FLA4xnoi-izE7Fii4iIT18QQ&index=1

3分くらい経過した所で、
ショートカットの女性が街角を歩いてくる、これがノラ・ケイだ。
その後、眼鏡をかけてやってくるのは
当時既に「欲望という名の電車」で評価されトニー賞を得ていた女優ジェシカ・タンディ、
ジェシカをエスコートしているのが夫ヒューム・クローニン。
ノラとジェシカ、二人がたわむれに踏むステップが愛らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=sU_1LsIPFXs&list=FLA4xnoi-izE7Fii4iIT18QQ&index=1


小牧正英も述懐しているが、
ノラ・ケイは、とてもさばけた現代的な女性だった。
その印象がこの映像からも伝わってくる。
この年、彼女はアグネス・デ・ミルの「フォールリバー伝説」を踊り
ドラマチックダンサーとしての名声を更に高めていた。


ノラ・ケイの経歴
1920年にニューヨークで生まれだが、両親はロシア人。
本名は Nora Koreff 。
父はあのスタニスラフスキー・システムのモスクワ芸術座の俳優で、
ノラ・ケイの「ノラ」は、イプセンの『人形の家』のヒロインに因むらしい。
彼女も最初は女優を目指したが、
スクール・オブ・アメリカンバレエで、ミハエル・フォーキンの薫陶も受けた。


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ノラ・ケイの踊る「ペトルウシュカ」の踊り子


1935年15歳でバランシンのアメリカンバレエにコール・ド・バレエとして入団。
1937〜39年にはブロードウェイのミュージカルにも参加。
1939年19歳の時、バレエシアター(後のABT)の創立とともに参加。
1942年チューダーの『火の柱』のヘイーガー(Hagar) 役をクリエーション(初演キャスト)して注目される。

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ポール・シラードと共演した「火の柱」(1942年)


1948年アグネス・デ・ミルの『フォールリヴァー伝説』の被告人をクリエーション。
1949年「ジゼル」、バランシンの「テーマとヴァシエーション」を踊る。
1951年 NYCBに参加、ロビンスの「檻」をクリエーション。

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ロビンスの「檻」(1951年)


1954年頃、バレエ団活動を一時休止しその時期に来日している。
1955年からはまた復帰し、
Valerie Bettisが振り付けた「欲望と名の電車」のブランチを踊っている。

こうした経歴から
彼女の評価は、まさに現代的なドラマチックダンサーとされている。
革新的なダヌンチオ女優だったエレオノーラ・ドゥーゼに準えられ
”Duse Of The Dance”とも称された。

1987年2月に亡くなったときの追悼記事
→ http://articles.philly.com/1987-03-02/news/26220611_1_mille-s-fall-river-legend-lilac-garden-abt


小牧正英の回想によれば(『バレエと私の戦後史』1977年)、
昭和29年の公演の成功のより、
翌年にはバレエシアターとともにの来日公演が計画されたが、
ノラ・ケイとのスケジュールが合わず計画は挫折したとあるが、
ノラ・ケイ自身がアメリカでのバレエ活動に本格的に復帰した事が、その理由だったと推測される。



ノラ・ケイが主演したバレエ作品の映像

「檻」Cage (音楽はストラヴィンスキー「弦楽のための協奏曲」)
オスの虫がメスの虫に滅ぼされるものだがノラ・ケイのエロチックな表現が評価された。
昨年2012年にNYCBで再演された時の、Wendy Whelan による紹介映像
http://www.youtube.com/watch?v=JqLmH-f9VOw


「火の柱」 Pillar of Fire (音楽はシェーンベルク「浄められた夜」)
デーメルの詩に依る、若い女性の心理と人間関係を描いた心理バレエとして評価されている、
1973年のABTでの全幕映像
http://www.youtube.com/watch?v=Iqgrad-SM6Y


ダンサー引退後は3度目の夫(2度目はアイザック・スターンだった)
映画監督ハーバード・ロスの作品のプロデューサーなどを勤めている。
バリシニコフが出演した有名な映画
「愛と喝采の日々」”The Turning Point” (1977)も、そのひとつだった。



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2013年11月11日

新国立バレエ団「火の鳥」によせてー「優雅な冷たさ」ー 〜米沢唯、手塚治虫、ノラ・ケイ、三島由紀夫をめぐって〜

新国立バレエ団の今シーズンの開幕を飾るバレエリュス、三本立て、
今シーズンからプリンシパルに昇格した米沢唯が、産經新聞の取材で
「火の鳥」の役作りに関してコメントしている。

その中で、手塚治虫の『火の鳥』に言及して
「人を破滅させる力すら持つ、不死鳥のイメージです。今までははかなげな役が多かったので、力強い新たな顔をお見せしたい」と、役作りの方向性に影響を受けたことを述懐している。
→ http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/131027/ent13102713210007-n2.htm



米沢唯が影響を受けた手塚の「火の鳥」について
手塚治虫自身は、そのエッセイ「『火の鳥』と私」(1969年12月、初出の文章)で以下のように述べている。
====================================================
  昭和二十九年に『漫画少年』に連載していた「ジャングル大帝」が無事に完結して、そのあとどういうものを描いたらよいのか迷っていたときでした。
 ぼくはある劇場で、ストラビンスキーの有名なバレエ「火の鳥」を観ました。バレエそのものももちろんでしたが、なかでプリマバレリーナとして踊りまくる火の鳥の精の魅力にすっかりまいってしまいました。
 火の鳥の精は、悪魔にとらえられた王子を救うために、出発する王子の案内役をつとめる鳥で、ロシアの古い伝説なんだそうです。その情熱的で優雅で神秘的なこの鳥は、レオに匹敵するドラマの主人公として最適のように思えました。
 そういえば、どの国にも、火の鳥のような不思議な鳥の存在が伝説としてのこっています。蓬莱山伝説にあらわれるホーケーという鳥、あるいは不死鳥とよばれている一連のいいつたえなどに、なにか超自然的な生命力の象徴を鳥の姿に託したような感じがします。
 どんなに歴史が移り、時代が変わっても、常に冷静に人間をみまもっている。それは「ジャングル大帝」の主人公が全部死んでしまったあとでも、依然として変わらぬアフリカの自然のように、物語の象徴として絶好なものでした。

====================================================

昭和29年(1954)に手塚が観たバレエ「火の鳥」とは、
小牧バレエ団にゲストとして来日していた
ノラ・ケイ(Nora Kaye)の踊った火の鳥だと推測される。

実は、この公演は日本に於けるバレエ「火の鳥」の初演だった。
この時のプログラムは、アントニー・チューダーをノラ・ケイと共に招くことで
チューダーが振付、初演時(1940年)にノラ・ケイが「愛人」を踊り、
後の1943年に主役キャロラインを踊って絶賛された名作「ライラック・ガーデン」と、
この来日公演のためにチューダーが振付けた「カフェ・バァ・カンカン」の三本立て。


当時、トキワ荘の手塚の部屋に入居することを願うために、
手塚が執筆していた飯田橋の学童社を訪ねた藤子不二雄Aは
昭和29年10月4日の日記に次のように記している。
「三時、先生(注、手塚)一段落つき、ノラ・ケイさよなら公演にいくため、
どれ、と立ち上がった折り、一気呵成にお願いする。『トキワ荘に入らせて下さい。よろしくお願いします。』」

藤子不二雄は、手塚治虫がノラ・ケイの公演を見るために仕事を打ち切ったその時に
トキワ荘への入居を勇んで頼んだわけだが、(この後手塚のトキワ荘の部屋の後がまになる)
この記事から、
手塚治虫が、昭和29年10月4日のノラ・ケイの公演に行ったことがはっきりする。
この10月4日の公演は、
この年に行われた小牧バレエ団とノラ・ケイの公演の最終日にあたる。


ノラ・ケイは、前年の昭和28年(1953年)にポール・シラードと共に初来日。
11月10日の宝塚大劇場での公演を皮切りに25日の日劇まで小牧バレエ団と
『ジゼル』の全幕を踊っていた。
(『ジゼル』全幕は前年の1952年7月15日に松尾明美バレエ団によって日本初演されている)
それが大変好評だったため
翌、昭和29年には、アントニー・チューダーと共に来日。
まず7月29日〜31日までの「歓迎公演」で
『白鳥の湖』全幕を日比谷公会堂で小牧バレエ団と上演、大好評を博した。

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ノラ・ケイの白鳥、王子は小牧正英


ノラ・ケイの詳しい経歴に関してはこちらを参照されたし。
→ http://zoushigaya.seesaa.net/article/380249357.html


『白鳥の湖』全幕から一ヶ月後、
手塚が見たと思われる
「火の鳥」、「ライラック・ガーデン」、「カフェ・バァ・カンカン」の三本立てを
8月25日〜30日までの8公演を日劇で
大阪北野劇場で9月13日〜17日までの7公演、
東京日劇に戻っての9月30日〜10月4日までの7公演を行った。

東京に戻っての9月末から10月の公演は、
「送別公演」と銘打たれていたので、
「ノラ・ケイさよなら公演」と手塚は云ったのだろう。

藤子不二雄の日記に出てくる10月4日は、この最終日にあたり、
15時からのマチネと19時からのソワレと二公演行われているが、
手塚は「三時」に仕事を止めたのだから当然ソワレに行ったはずである。


所が、この「送別公演」では、「火の鳥」は上演されていない。
「火の鳥」の代わりに、
「ドン・キホーテ パ・ド・ドウ」と
7月に上演されて好評だった『白鳥の湖』の第二幕に差し替えられていた。
とすると、
手塚は8月末の公演にも行って「火の鳥」を見たと、推測される。


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小牧バレエ団公演「火の鳥」(1954年)
ノラ・ケイの火の鳥に小牧正英の王子



8月末の三本立てのプログラムに関して
音楽・舞踊評論家の英文学者牛山充(1884〜1963)がレヴュー(「音楽新聞」578号)を書いている。
===================================================
名振付家アントニー・チューダーを招き、その名作として知られる『リラの園』と、新たに振付けをして日本で世界初演を行う『カフェバー・カンカン』の主演者として再度ノラ・ケイの客演を得た上にディアギレフのバレエ・リユスが一九一〇年のパリ公演にオペラ座で世界初演をしたストラヴィンスキーの出世作『火の鳥』にもノラ・ケイを主演者とした三本立ての今回の公演は、綜合的にその挙げた直接の成果と何といってもバレエ史上、殊にその音楽面から見て大切なのはストラヴィンスキー作曲、フォーキン振付による『火の鳥』で、ディアギレフのバレエリユスの初演当時からの評判を耳にしているファンにとっては興味の大半がこの一作にかかっていた。それだけに装置や演出の細かい点では日劇の舞台機構その他の制限からか、私共の期待に反したところが一再に止まらない。妖怪変化の怪奇さが不足したり、当然かもし出される雰囲気や、劇的緊張が感じられない不満はあった。
 しかし、ノラ・ケイの火の鳥はさすがにあざやかなもので、小牧の王子とのパ・ド・ドゥーとヴァリアシオンや、金の羽を与えて一旦飛び去った後、王子の危機を救いに来てカッチェイとその部下の妖怪変化を目まぐるしい踊りの興奮に捲き込むアレグロの表現には我国の若いバレエ人を教える多くのものがあった。

===================================================

三作品の内、バレエリュスへの思いから「火の鳥」への期待が最も大きかったと記されている。
しかし、舞台の出来は批評家を落胆させている。
ただし、ノラ・ケイの踊りに対しては、
「王子の危機を救いに来てカッチェイとその部下の妖怪変化を目まぐるしい踊りの興奮に捲き込むアレグロの表現」と、高い評価がされている。

手塚の記憶に残っている
「プリマバレリーナとして踊りまくる火の鳥の精の魅力にすっかりまいってしまいました。」は、
妖怪たちの中で踊りまくるノラ・ケイの火の鳥の姿だったに違いない。


この公演での評価は「ライラック・ガーデン」が最も高かったようで
「毎日新聞」での舞台評を書いた光吉夏弥は、
(「ひらかれた新生面 ノラ・ケイ、チューダー、小牧バレエ公演 1954年8月27日付)
「ライラック・ガーデン」を「これほど的確に『動き』に浸みこまされ、
人間の踊りのことばによってかくも鮮やかに描き出されるということは、
バレエの新しい次元をひらいたこの作品の活気性を誇らかに立証するもの」と絶賛している。
「火の鳥」に関しては
「ノラ・ケイはクラシックの踊り手としてのケンランさを示す。
魔物たちの踊りが散文的な点をのぞいては、決して悪い振付ではないが、
このバレエ作品として持っているイデアが、もうぼくには時代を過ぎたもののように思える。」と評していて、
牛山と同じように舞台全体の出来としては今ひとつだが、
ノラ・ケイの火の鳥の「ケンランさ」には驚嘆している。



この時の「火の鳥」は、
1945年3月の上海バレエリュスでの
「火の鳥」(ニコライ・ミハイロヴィッチ・ソコルスキ振付)に参加した
小牧正英がその公演に基づいて振付たものだった。
演奏は、渡辺暁雄指揮の東京フィルハーモニー交響楽団。


小牧自身は「火の鳥」について
「『火の鳥』以前にはあのようなものはな、音楽そのものが従来なかった。
近代的というか現代的というか、新しいものでそういうバレエ音楽はできなかった。」
(『ペトルウシュカの独白』1975年)で述べているが、
小牧の考えていた音楽の近代性や演出は、十全には表現できず観客には伝わらなかったようだが、
ノラ・ケイの踊った火の鳥だけは、その鮮烈な印象を日本の観客に与えた。



所で、
同公演のパンフレットに三島由紀夫が「ノラ・ケイ礼賛」という一文を寄せている。
三島は前年にニューヨークでノラ・ケイが踊ったジェローム・ロビンスの「檻」も観ているのだが、

===================================================
 それにしても、伝統的な技術の十分なデッサンの上にノラ・ケイの「檻」や、今度上演される「ライラック・ガーデン」のような新しい破格の試みが花をひらいたことだけは、疑いを容れないところで、日本の新らしい、踊り手が無理に背伸びしたモダン・バレエの創作に熱中する前に、「ジゼル」第二幕や「白鳥の湖」のノラ・ケイを見ておくことは、少なくとも心胆を寒くさせられる効果だけはあつたにちがいない。
 大体バレエはフランスで発達したあらゆる芸術と同様、技倆(メチエ)と仕上げの巧みさ、とが、ほとんど芸術そのものと見なされるくらい、技術的巧緻の上にたたねばならぬ。ここにメチエという中には、役柄の把握も、舞台の雰囲気の醸成も、あらゆるものを含めている。しかるに日本的精神主義は、ともすると「熱と誠」でもつて、何でも押しとおせるという錯覚に、われわれを陥らしめる。バレエの習得には、もちろん熱と誠も必要であるけれど、日本人の演じるバレエを見るときに、いつも私が歯がゆく思うのは、真の技術家の冷静さの欠如である。おそらく真のバレエ精神と日本的精神主義とは、氷炭相容れぬものかもしれないのである。
 ノラ・ケイは冷静そのものだ。白鳥のあの冷たい優雅は、これを書いている今も、まだ目前に揺曳している。先年の「ジゼル」第一幕の熱情的演技の失敗のごときは、この冷たさが、村娘ジゼルの純情を、人工的なものと見せたところにあるのだろう。

==================================================

三島は、
前年の『ジゼル』について別の文章(「ノラ・ケイの公演を見て」昭和28年1月16日)で
「ノラ・ケイの舞台は緊張感のある清爽なものだつた。『ジゼル』第一幕では、何だかマリオネツトを見るやうで、すべて外面的な気がして、もう一つつかめなかつたが、第二幕でヴィリになつてからは、殊に幕切れ近くの別離の優婉さに感心した。能の鬘物をこの人に見せたいと思つた。」と述べている。
また、ダニロワと比較して
ダニロワは「全てを超越した古典バレエの精の如き気品と優雅の化身である」が、
ノラ・ケイの「身辺には現代の騒音が渦巻いており、彼女の美は、幸福な過去の残像というよりも、現代に抵抗する緊張をあらわしている。」とも評している。


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小牧バレエ団公演『ジゼル』第2幕(1953年)
ノラ・ケイのジゼルにポール・シラードのアルブレヒト


三島の見た、ノラ・ケイは、「技倆(メチエ)と仕上げの巧みさ、とが、ほとんど芸術そのものと見なされるくらい、技術的巧緻の上にたたねばならぬ。ここにメチエという中には、役柄の把握も、舞台の雰囲気の醸成も、あらゆるものを含めている。」を体現した「あの冷たい優雅」と「緊張感のある清爽」だった。
その技倆(メチエ)を前提として、しかしそれとは異なる、
彼がニューヨークで見たロビンスの「檻」の現代性をも表現する、
純粋に古典的なダニロワとは異なるノラ・ケイでもある。
この両面性に三島は感嘆しているのではないだろうか。


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ロビンスの「檻」を踊るノラ・ケイ(1951年)




それが如何なるものか、
数少ないノラ・ケイの映像から見てみよう。
ノラ・ケイがマリー・タリオーニ役を踊っている「パ・ド・カトル」(1960年4月)
(アリシア・アロンソがグラーン、メリッサ・ハイヅンがグリジ、ミア・スラヴェンスカがチェッリート)
http://www.youtube.com/watch?v=SPugalZ9S_A&list=FLA4xnoi-izE7Fii4iIT18QQ&index=2


この映像は既に全盛期を過ぎているのだろうが、
アロンソと比較しても、三島が述べている
彼女のダンスからは「冷たい優雅さ」が伝わってくる。
この冷たさがバレエの本質だと三島は述べているが、
その中にバレエの伝統と、またその先に生じている現代性も見て取っている。

手塚の見たノラ・ケイの「火の鳥」も、
単に圧倒する「情熱的」だけではなく「優雅で神秘的」であったわけで
手塚治虫も、
三島の感じ取った「冷たさ」「冷静」の中に
「どんなに歴史が移り、時代が変わっても、常に冷静に人間をみまもっている」
火の鳥の大きさを、ノラ・ケイのダンスから感じ取っていたに違いない。


手塚治虫、三島由紀夫が見て取った
ノラ・ケイのダンスとは、そのようなものだった。
とすると、
冒頭で紹介した、新国立バレエの米沢唯が述べている
「人を破滅させる力すら持つ、不死鳥のイメージです」にも、
バレエの伝統と現代性が合わせ持った
「優雅な冷たさ」が、どこかに反映されねばなるまい、
バレエが、今も「バレエ」である限りは。

それを、米沢唯がどう踊るのか、
とても楽しみである。









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「火の柱」(1942年)ノラ・ケイとポール・シラード































posted by 星跡堂主人 at 23:23| 東京 ☀| Comment(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月04日

新国立バレエ 『E=mc2』(デヴィッド・ビントレー振付)のためのノート


新国立バレエ団で上演中のデビッド・ビントレー振付
『E=mc2』は、彼がこのインタヴューでこたえているように
ボダニス(David Bdanisi)の『 E=mc2 世界で最も有名な方程式の伝記 』から
インスピレーションを受けて創作された。

ビントレーのインタヴュー
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/30000672.html



この本から、印象に残ったパートを
以下に、引用し、覚書にしておく。


第2章「エネルギーのE」から

「(他の科学者)のように直線運動という固定概念がなかったファラデーは、聖書の着想に源を求めることが出来た。(略)人間は神聖な存在であり、聖なる自然の摂理に基づいて(略)誰かが手をさし伸ばせば、その人は又別の人に手を差し伸べ(略)そうして最後には円が完成する」 

ファラデーは、この発想によって、それまで全く別物だった電気と磁石とを繋げ、
マックスウエルに至る「場の理論」の基礎を築いたと、ボダニスは指摘。
この考え方は、新国立バレエ、ビントレーの『E=mc2』「エネルギー」パートの振付に反映されていると思われる。



第4章「質量(mass)のm」から

「物質は自らの動きやすさを左右する『質量』と呼ばれる性質を持つ」
「物質の構成要素が互いに結合したり分離したりする」と、ボダニスは「質量」について説明。
素人は「質量」=「重さ」と勘違いしがちだが、そうではない。
「宇宙に満ちる物質は燃え尽きたり凝縮したり粉々になったりはするが消滅することはない。宙を漂う別種の物質となって結合したり再結合したりするだけで、総量は常に一定。」と、
ラヴォアジェの「質量保存の法則」を説明し、
これがファラデーのエネルギー保存の法則と同種だと指摘する。



第5章「速度(celeritas)のc」から

「cはこれまで見てきたEやmとは少々異なる。「E」はエネルギーの潜む広大な領域で、「m」は宇宙に存在する物質である。しかし、「c」は光の速度を表すにすぎない。(略)この特定の数値(c)が実は宇宙の全質量と全エネルギーとの関係を支配しているのだ。」

「光の内部で何が起きているか」「電気と磁力のあいだのやりとりのヴァリエーションに他ならない」と、マックスウエルは考えたと、光のあり方自体が電気と磁力との相互作用だと、ボダニスは説明する。 


「まずは微量の電気が発生し電気が進むに連れ磁気を生じさせる。その磁気が歩を進める先にまた電気が起きる。略 電気と磁気は交互に馬跳びで飛び超えるように小さなジャンプを素早く繰り返す。マックスウエルのいう「相互作用」である。」興味深い比喩が出てくる。


「アインシュタインの研究は、「保存則」から19世紀の科学が引き出した二つの独立した観念を一変させた。エネルギーは保存されない。質量も保存されない。然しだからといって、世界は無秩序であるというわけではない。その代わりそこには、より深遠な統一がもたらされる」
「なぜなら、エネルギー領域の現象とそれとは一見かけ離れた質量領域の現象とは関連付けられたからだ。獲得した質量に相当するエネルギー量が失われることで、収支のバランスが常に保たれる。」

「ラヴォアジェもファラデーも心真理の一部しか見ていなかった。エネルギーは単独で存在し得るものではない。質量も同様である。そして、質量とエネルギー量との総和は常に一定である。」と、
ボダニスは、アインシュタインの「E=mc2」の意義を簡潔に説明している。 

「別物と考えられていたエネルギー領域と質量領域には関連性が有り、その架け橋となっているのはC(光速)である」というアインシュタインの結論をボダニスは紹介。




第6章「2(自乗)」

「cの自乗」について自乗だからこそ「ごく僅かな質量がこの方程式という橋を渡」り「エネルギーの側に着いた時、その僅かな質量は驚くほど膨張している」「質量は凝縮されたエネルギーの究極の形である」
「エネルギーとはしかるべき質量を変形させ膨張させたものなのである」






こうして成立したE=mc2 が明確にその真価を発揮したのが、
1945年8月6日。


第13章「午後8時16分、広島上空」からの引用
言うまでもなくバレエの「マンハッタン計画」の部分に対応。

「一瞬の電流によってコルダイト爆薬が添加され、砲弾の発射と同じ事が行われた。
爆弾の内部には実際の砲身があり、その中を全体の一部のウラン235が突き進んでいく。(略)
打たれたウランは薄くなった方針の中を4フィート(1m)飛び、残りのウランの塊に衝突した。
数10ポンドものウラン235が集積された場所は、他には地球のどこにもない。

衝撃によって多数の中性子が遊離し、さまよいはじめる。
ウランの原子は外側を飛び回る電子によって厳重に保護されているものの、
離脱した中性子は電子を帯びていないため、それをものともしない。(略)
原子核には正のの電子を帯びた陽子がひしめいているので、普通は外部からの粒子の侵入が阻止される。
だが、中性子は電気を帯びていないので、陽子のも邪魔されることはない。
やってきた中性子は、原子核の中に割り込み、押し合いへし合いしながら、
平衡を失わせる。」

以上は、ヒロシマで使用されたガンバレル型(Gun barrel)原子爆弾の仕組みの説明になっている。


「地中に埋めれたウランの原子は、どれも45億年以上前に生れたものだ。
地球が作られる前に存在した極めて強烈な力だけに、
電子的に反発する陽子同士をを一つに束ねることが可能だった。
一旦ウランが作られると、強い核力( nuclear force)が接着剤として働き、
長い間にわたって陽子をずっとひとまとまりに保ってきた。

やがて地球の気温が下がり、大きな陸地が現れ、
アメリカ大陸がヨーロッパ大陸から分離し、北大西洋ゆっくりと広がっていった。
地球の裏側では、火山活動が盛んになり、いづれは日本と成る陸地が形成された。
これだけの間も保たれていた安定性が、今や一個の余分な中性子によって乱されようとしている。

原子核が強い核力の束縛を断ち切るほどぐらつくと、直ぐに陽子が静電気力によって分離する。
一個の原子核の重さはたかが知れていて、その破片となると更に軽い。
ウランの他の部分に高速で衝突しても、それほどの熱は発生しない。
だが、ウランの密度が充分にに高いので、連鎖反のが始まる。
ウランの原子核の高速で飛ぶ破片は、2個から4個となり、8個,16個と増殖する。
原子の中で「質量」が消滅していき、
原子核の破片が動きまわる「エネルギー」として出現する。
まさにE=mc2 大活躍の過程である。

(略)
連鎖反応はエネルギーの倍加が80世代を経て終わる。
最後の数世代にいたるところには、割れたウランの原子核の破片はかなり増え、
極めて高速で飛び回るので、周囲の金属が熱くなり始める。
最後の何回かの倍加は凄まじい。

たとえば、庭の池に蓮の葉が浮かんでいて、一日ごとに倍加の大きさになると仮定しよう。
80日後には、葉が池を完全に覆うとする。池の半分が未だ覆われておらず、
陽光にあたり、外気に触れているのは、いったい何日目だろうか。
それは79日目のことだ。

80世代が過ぎた時点で、E=mc2 の反応は全て終わる。
もはや質量は消滅せず、もはや新しいエネルギーも生まれない。
原子核の運動エネルギーは単純に熱エネルギーに変わっていく。
(略)
ぶつかられ、こすられることで、爆弾内部の金属は熱を帯び始める。
体温と同じくらいの37度から、水が沸騰する100度を超え、
鉛が気体になる1744度にいたる。だが、
倍々の連鎖反応が進むに連れて、さらに一層のウラン原子が分裂して、
その温度はやがて太陽の表面温度と同じ500度に、つづいて、
太陽の中心と同じ数100万度に達するばかりか、さらにどんどん上がっていく。
ほんの短い間で、空に浮かんだ爆弾の中心は、宇宙が誕生した初期の瞬間と同じような状態になる。

熱は爆弾の外部に出て行く。ウランを包む鋼鉄の反射材を突き抜け、
数1000ポンドもあった外装の残骸もやすやすと通過する。
だが、そこで一旦止まる。

核爆発のような高温の状態は、放出してやらなければならないエネルギーを含んでいる。
そこで、極めて大量のX線を周囲に向かって放射し始める。
一部は上向きに、一部は横向きに、そして残りは地上の広大な範囲へと向かっていく。
爆発を途中で止めたまま、破片は自分自身を冷やそうとする。
空中にとどまりながら、エネルギーの大部分を噴出する。

1/10000秒が過ぎ、X線の放射が終わると、熱の球は再び膨張し始める。
この時点で、ようやく大爆発が見えるようになった。
普通の光子には、放射されているX線の間をかいくぐってその外へ出ていくことは出来ない。
だから、これまでは放射の外面で発生する輝きだけが見えていた。
今や、強烈な閃光はきらめき、まるで空が裂けたかのようだ。
現れた物体は、銀河の彼方に存在する巨大な恒星に似ている。
空に占める大きさは、太陽の数100倍にもなった。

この世のものとは思えないその物体は、あらん限りの火力で約0.5秒にわたって燃えた後、
弱まり始め、2,3秒後には消滅する。
この「消滅」は、大部分が外部への熱エネルギーの放射によっておこなわれる。
一瞬にして大火災が発生したようなもので、直下周辺の人間はみな皮膚のほとんどがはがれ、
身体から垂れ下がった。
ヒロシマにもたらされた10万人を超える人々の死は、このようにして始まった。

連鎖反応によって発生したエネルギーの少なくとも1/3が、この時までに使われた。
残りのエネルギーもすぐ後ろから迫ってくる。
この異様な物体の熱によって空気が押され、太鼓の巨大な隕石や彗星が落ちた時を除けば、
かつて無い速さで動き始める。
如何なる台風がもたらす暴風よりも、さらに数倍は速い。


実のところ、あまりにも速いので音がしない。
爆風が強大な力で何か音を発生させても、それを追い抜いてしまうからだ。
最初の爆風の後、やや遅い第二波が来る。
それが終わると、大気は押しのけられた隙間を埋めるために急いで後戻りする。
その結果、気圧が一時的にほどんどゼロまで下がる。
爆発地点から充分に離れていて助かった生き物も、
僅かの間、大気圏外の真空にさらされたようになり、身体が破裂してしまう。」







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posted by 星跡堂主人 at 01:48| 東京 ☀| Comment(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする