2013年04月21日

さくらのあとの雑司が谷



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美しくひと目にとまるさくらは散ってしまったけども、
雑司が谷のひっそりとした路地には、様々な花が咲き、新緑にあふれています。



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家の塀からあふれて咲いているしろやまぶき



路地の家と家の境に残されている大きなけやき

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さらに奥へと、路地を分け入って行くと、、、、

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今まで気づかなかった
ふじの花で埋まっている古い民家が、、
この横の路地は何度も通っているのに、そこをちょっと横に入った所に
こんな立派なふじの花が咲いているとは。

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民家がふじに包まれて、そこに生れた出たような
美しい光景でした。

ここの路地は以前に
「翁の路地」と命名して紹介していますが、
http://zoushigaya.seesaa.net/article/134267585.html

その、竹やぶのある大きな家の反対側のさらに小さな路地を入ったところに、、、
こんなにもふじの花が咲き乱れている別天地があるとは、
雑司が谷を歩く楽しみとは、こういうところにこそありますね。




その、路地を抜けていくと、雑司ヶ谷霊園
新緑が美しく光っています。

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霊園は、新緑と黄葉の季節がもっとも美しくなります。



霊園をよこに御嶽坂を下って行くと
白鳥稲荷さんに、

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小さな祠のまわりの生垣、
八重のつばきが美しく咲いています。

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この写真は小石川植物園のもみじの花、
霊園のもみじにも花がつきだしていますね。
緑の葉の先に小さく、慎ましく咲く、
それがもみじの花です。
こういう花もいいなあと、このごろは思います。





















posted by 星跡堂主人 at 18:23| 東京 ☁| Comment(0) | 路地のたのしみ Le plaisir de le chemin étroit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

サボテンの路地、あじさいの路地  juin de Zoushigaya

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初夏になり、東京の皐月は一週間で行ってしまったけれども、
また、今年もサボテンの黄色い花を見ることができました。

冬の間は、わざわざ多いが被されているこのサボテンの木。
地域の人に守られ、飛び石と苔の敷きつめられた趣のある
路地の入り口にひっそりと咲いています。


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宣教師館の近くにある蔵のある旧家も、周りの樹々が鬱蒼として初夏の雰囲気です。

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いつのまにか、あじさいの季節にもなり
雑司が谷のあちらこちらで、様々な色の紫陽花が咲き出しました。

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これは、私が秘かに「囚われの紫陽花」と呼んでいる花。
毎年、このように咲きます。

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1丁目の坂下に
あじさいが、小さな洋館を覆い隠すばかりに咲く路地があります。

路地の入り口から見ると、すでにあじさいが一杯に咲いています。

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たぶん戦前からここにあるだろう、丸窓のある洋館をすっぽりとつつみ
天に向かって咲いています。

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posted by 星跡堂主人 at 20:11| 東京 ☀| Comment(0) | 路地のたのしみ Le plaisir de le chemin étroit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月02日

雑司が谷の路地と霊園の、ここ数日   Les tombes avec danger détruit par ville de Tokyo et à Zoushigaya en mai

記録的な寒暖の差のあった4月も終わり漸く初夏らしくなってきました。
こういう季節になると雑司が谷では、路地の軒先の花々が際だってきます。



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大きな御屋敷街のように高い塀で家を閉ざさない雑司が谷では、
住まう人たちの木々や花々への思いが、街を歩くと静かに伝わってきます。
最初、それは気づくことのないほどの小さなものですが、
徐々に、そうした街の人々の思いこそが、
雑司が谷の春を演出しているのだと思えてくるのです。

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そうした、雑司が谷を私は愛しく思い、街のなかで心地よい気持ちになれる。
それは、今の東京では、本当に僥倖なのだと思うのです。


路地の石畳の間からそっと咲くすみれ

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そして、愛らしいねこちゃん

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まさに今、雑司が谷は、その街の息吹を静かに聴くことのできる季節です。



路地の先には、
すっかり新緑の季節になり、樹々が蒼空に美しく映える霊園が開けてきます。


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しかし、ここ霊園ではとても残念なことに
東京都によって「無縁仏」と認定され、
撤去改葬されようとしている墓所がたくさんあります。

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この墓所は、先にもお伝えしているアリス・ミラー墓所の隣にある→
http://zoushigaya.seesaa.net/article/133459949.html?1272810790
「リキ・ボンマルシャン Riki Bonmarchand 」と刻まれた墓石です。
1910年に28歳で亡くなったとあります。
「ボンマルシャン」という外国人は、
武内博さんの労作『来日西洋人名辞典』に依れば、
フランス人外交官で日仏会館の創立に尽力した
「ジョルジュ・ボンマルシャン George Bonmarchand  1884-1967」が、
記されています。年代的にこの方の縁者である可能性があると思います。
しかし、今のままだとこの墓所は、東京都によって確実に破壊されることになります。


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こちらは、霊園で私がもっとも美しいと思っている石仏。
寛文五(一六六五)年の銘のある阿弥陀如来像。
しかし、この墓所にも今年の3月に撤去告示の立て板が建ちました。
木の下で結跏趺坐した青年の釈迦を髣髴とさせる美しいお姿の像で、
また、奈良時代の白鳳仏にも比することのできる江戸寛文期の石仏の、
端正な特徴を示している秀逸な作品だと信じております。


霊園の墓石、石仏がただ機械的に撤去されることのないように
私は、努力せねばならないと、しっかりと心に期しております。
自然と同じで、放置しておけば、
これらの先人たちの思いや思い出も簡単に消えて亡くなる。
それが今の日本社会なのですから、
だからこそ、思いを同じにする人たちと共に、何かをせねばと思うのです。


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posted by 星跡堂主人 at 01:29| 東京 ☀| Comment(0) | 路地のたのしみ Le plaisir de le chemin étroit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月12日

うめ咲いています

暖かくなったり、寒くなったりですが、
うめはしっかりと咲いていますね。

以前紹介した「翁の路地」にあるうめ。
毎年、雑司が谷1丁目付近ではもっとも早く咲くうめです。

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「うめいちりんいちりんほどのあたたかさ」
蕉門十哲のひとり服部嵐雪、
その墓所は、雑司ヶ谷霊園の北、本教寺にあります。




posted by 星跡堂主人 at 00:35| 東京 ☔| Comment(0) | 路地のたのしみ Le plaisir de le chemin étroit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月30日

路地のたのしみ 2「先哲の路地」

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この路地の入り口には、菊池寛が住んでいた。
菊池の創刊した「文藝春秋」は、
大正十二(一九二三)年一月に小石川区林町で産声を上げ、
震災後の大正十三(一九二四)年一月に、
彼の自宅がここ「高田町大字雑司ヶ谷字金山三三九」に転居したのにともない、
編集部もこの地に移ってきた。
(大字雑司ヶ谷の番地は字ごとに、だいたい百番単位で区切られていたようで、
「字金山」の番地はすべて300番台)
大正十五(一九二六)年の「東京府下高田町明細図」のこの付近に
「文藝春秋社」と記載されている。
(その地図には「字金川」と地名がなっているがこれは誤記。)

「文藝春秋」は売れに売れ、菊池の家はその後昭和十二(一九三七)年に、
もっと南の「大字雑司ヶ谷字金山三九一」に移り
森のような木立のあるより大きな邸宅になり、
その家は「金山御殿」と呼ばれるようになるのだが、
間もなく自殺する芥川龍之介も、小林秀雄も、川端康成も、横光利一も、
一度は、この小さな路地に現れたことだろう。

しかし、
菊池寛の息子が「この辺りで一番偉い人は誰?」と、父に訊いたら、
即座に「諸橋さんにきまっている」と、菊池寛は答えたという。
「諸橋さん」とは、当時大塚窪町に在った東京文理科大学
漢文科教授の諸橋轍次のことであり、
諸橋轍次は、この路地の奥に住んでいた。
菊池寛の息子と諸橋轍次の息子は、この路地を行き来してよく遊んだという。

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そして
世界一の漢語の宝庫『大漢和辞典』は、この路地の奥で構想され、生まれたのであった。




この稿、終わり。






























































posted by 星跡堂主人 at 23:13| 東京 ☁| Comment(0) | 路地のたのしみ Le plaisir de le chemin étroit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月29日

路地のたのしみ 1「翁の路地」

雑司が谷は路地の宝庫。
その一つ一つを、これから紹介していきたいと思います。
第1回目は、私が良く通る、如何にも雑司が谷らしい路地です。

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この路地の横には、大きな蔵のある家があり、笹が茂っている。
(かつてこの屋敷は今の雑司ヶ谷霊園内にあって、霊園が拡張したので、
ここが替え地となったという。)
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ある時、ここを通っていたら、
小さなこどもがこの笹のある家を指して
「ここは竹取の翁の家なんだよ」と云っていた。
だから、仮に「翁の路地」と名付けておく。

場所は、雑司が谷1丁目、旧宣教師館の西側近辺。
路地のたのしみのひとつは、その路地の思わず出会ってしまうことにもあるので、
この辺りをうろうろして見付けてみてくださいませ。

この道からさらに横町が伸びている。
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こうした路地の先に住めたらなと、思う。
雑司が谷では、同じ路地や横町に住む人たちがとても仲が良かったと伺っている。
そんな路地から偉大な業績も生まれた。
その話は次回に。

春になると、小さなすみれが道ばたのアスファルトの隙間から咲く。
こうした小さな季節を見付けるのも、また雑司が谷の路地のたのしみだ。

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ラベル:雑司が谷
posted by 星跡堂主人 at 21:47| 東京 ☁| Comment(0) | 路地のたのしみ Le plaisir de le chemin étroit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする