2009年11月22日

雑司ヶ谷霊園の秋

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雑司ヶ谷霊園が一年で一番美しい季節は、新緑の五月と
銀杏の木々が金色に輝き、
舗道が落ち葉の絨毯に変わる、今頃から十二月の初めまでです。

  墓地の区切り目に大きな銀杏が一本空を隠すやうに立つてゐた。其の下へ来た
 時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。此木がすつかり
 黄葉して、こゝいらの地面は金色の落ち葉で埋まるやうになります」と云つた。
 先生は月に一度づつは必ず此木の下を通るのであつた。                                            『心』五

夏目漱石の『心』(大正三年=1914年)の作中で、主人公の「私」が先生を追って雑司ケ谷霊園に行くのは、大学の新学期が始まって(当時の新学期は九月であった)一ヶ月くらい経った十月半ばのことである。
明治時代東京の郊外であった雑司が谷は、今は「都心」の範囲に入り、また気温上昇もあいまって、季節感は一月くらい後ろへとづれている感じがする。

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しかし、
先生(漱石)が見た風景と同じ景色が今でも雑司ヶ谷霊園では毎年巡ってくる。
百年前の風景(たぶん漱石が初めて雑司ヶ谷霊園を訪れたのは、五女雛子の墓を建てた明治四十五年=1912年のことと思われる。)が、今も残る場所はそんなにはないだろう。
しかも、そこには百年前に既にあった墓石も、
ちょうど百年くらい前に亡くなった人の墓も、
そして、夏目漱石自身の墓もある。
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季節が百年前と同じように巡り、また百年過ぎていく。
「百年はもう来てゐたんだな」と、、、
不思議な時間の帷に包まれる空間が、雑司ヶ谷霊園なのである。


ちょうど、明日23日は、みちくさ市、手創り市が開催されますので、
霊園散策と共に、ぜひ雑司が谷へいらしてみてくださいませ。


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posted by 星跡堂主人 at 19:28| 東京 🌁| Comment(0) | 雑司ヶ谷霊園 Cimetière de Zoushigaya | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

雑司ヶ谷霊園 撤去告知墓所

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この愛らしいお地蔵さまは、明治の初期のものです。
このお地蔵様は、戒名が刻まれており、
幼くして亡くなった娘の菩提のためのものだと思われます。
野にあるお地蔵様としては珍しくお座りになっています。
雑司ヶ谷霊園には、こうした石仏がたくさん点在しています。
大きな樹々や墓石の間に、仏さまたちを探しながら散策するのも
霊園散策の楽しみです。

しかし、
現在、雑司ヶ谷霊園には、「無縁仏」化して撤去を告示されている墓所が
104ヶ所ありもあり、実はこのお地蔵さまも撤去対象になってしまっています。

撤去告知墓所全リスト→
http://zoushigaya.up.seesaa.net/image/E99C8AE59C92E692A4E58EBBE5918AE7A4BAE5A293E68980E383AAE382B9E38388E3808023B67A65.pdf

寡聞にして、私が名前を知る方は以下の3名です。
()内は霊園での所在地を示す番号。
(故人になられてから、現世での有名無名は余り問われるべきではなく、
みな等しく私たちの社会を築づいてくださった先人と、私は思いますけども、、)

尾形月耕 (1東6ー3)
アリス・ミラー (1東6−1)
澤為量 (1−1−3)

このうち、明治期の浮世絵画家尾形月耕墓所からは、
撤去告知板が無くなっていて、どうやら、
尾形月耕墓所は現状のままの保存が決まったようで、雑草も刈られて綺麗になりました。
この墓所には元禄四年銘の観音菩薩と享保十四年銘の如意輪観音もあったので、
それも共に保存されるようで何よりです。
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アリス・ミラーは、
明治から大正期にかけて四谷鮫が谷や千駄ヶ谷で
貧しい子どもたちの救済に当たった女性宣教師です。
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その墓石は、彼女の徳をたたえるかのように美しく清楚な墓石で、
昭和3年の埋葬時に植えられたけやきの木はとても大きく枝を広げています。

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澤為量(さわためかず)は、戊辰戦争の奥羽鎮撫副総督であった公卿で、嗣子宣嘉(のぶよし、幕末「七卿落ち」の一人)墓所は伝通院にあり、東京都指定史跡になっています。
この墓所に関しては、澤為量の研究家で『戊辰戦争出羽戦線記 澤為量・奥羽鎮撫副総督の征討記録から』の著者、神宮滋(かみやしげる)さん(首都圏秋田歴史と文化の会代表)らが保存活動をなさっています。
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現在の澤為量墓所の写真。
墓石手前の白い立て板が、石原都知事の名で立てられた撤去告知板です。

私としては、他の多くの無縁化した仏さまたちも撤去などという
憂き目に遭わせたくないと思いますが、
何分、雑司ヶ谷霊園は、文化都市東京都というお役所仕事の対象にしかすぎません。
ですから、お墓はただの管理の対象で、
無縁化して管理費が滞納されていけば、自動的に撤去、、、。

人の人生や死とは何かなどという思想が
都立の霊園にはないということでしょうか。

撤去対象の墓所には、
江戸期の古い板碑型墓石もあります。
対象となった墓石でもっとも古い銘のある井野口家の板碑型墓石。(1−5−2)
墓誌に天和二年(1682年)銘が見られます。
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下部には蓮のレリーフがみえます。


全くの見ず知らずの人の生と死を、こうした墓石や仏さまから感じ、
自らの生と死を見つめる場所。
それが、私にとっての雑司ヶ谷霊園なのです。


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posted by 星跡堂主人 at 20:20| 東京 ☁| Comment(0) | 雑司ヶ谷霊園 Cimetière de Zoushigaya | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする