2010年03月13日

霊園のさくら La cerise fleurit du cimetière de Zoushigaya

雑司ヶ谷霊園で、もう早咲きのさくらが二本咲いています。

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こちらは彼岸桜かな、、
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posted by 星跡堂主人 at 23:40| 東京 ☀| Comment(0) | 雑司ヶ谷霊園 Cimetière de Zoushigaya | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

漱石の墓所

雑司ヶ谷霊園で最も有名な墓所は、夏目漱石の墓所だろう。

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しかし、この墓所が元々は別の場所にあったことはあまり知られていない。
漱石は実家の菩提寺(小石川小日向の本法寺)との関係が芳しくなく、
明治四十四(一九一一)年に五女雛子が亡くなった時、
新たに雑司ヶ谷霊園に墓所を買った。
その位置は現在の位置1−14−1ではなく、1−5−25辺りだとされている。
大正五年十二月二十八日の納骨時に撮られたと思われる旧墓所の写真。
(松岡譲『漱石先生』1934 より)

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現在の1−5−25辺り
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今在る位置に移ったのは、
一周忌にあたる大正六(一九一七)年の十二月であるが、
当時の写真をよく見ると、
入り口に扉があり、周囲の柵には扉と同様の黒い枠が嵌められている。

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扉が取り付けられていた跡
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漱石の墓石は甚だ評判が悪いが、この評価からは、
墓石設計者が弟子達から「悪妻」と云われ続けた鏡子夫人の
妹婿(鈴木禎次)だったということを、差し引いておくべきだろう。

この妹婿、鈴木禎次は、辰野金吾の弟子で
名古屋高等工業(現名古屋工業大学)教授となり、名古屋近代建築の祖と云われている。
特に松坂屋デパートメント建築で多くの作品を遺している。
その中でも、昭和9(1934)年竣工の旧松坂屋大阪店(現在高島屋東別館)は傑作。→
http://osakarchit.exblog.jp/6603723/

また、現在建て替え計画が進行中の松坂屋横浜店の改築設計も担当している。→
http://maskweb.jp/b_y-matsu_1_1.html

名古屋に現存するものでは鶴舞公園の奏楽堂、噴水塔が有名。
他には次のような作品がある→
http://inaxreport.info/no180/feature1.html


確かに漱石の墓も、墓石だけを間近に見ると大変厳めしい。
だが、門や柵も含めた全体像を少し離れて見ると、
それなりに伽藍のようなデザインが生きているようにも思われる。
門柱と周囲の柵の四隅に付けられた擬宝珠を四角にしたようなデザインは、
後の、帝国ホテルや明日館のフランク・ロイド・ライトのデザインをも髣髴とさせる。

当時は、墓所前により広いスペースが今よりもあったのかもしれない。
少し離れて見てみると、意外と良いデザインではないか。
しかし、現在は前の通路の巾もなく、離れて全体像を正面から見ることは難しい。

私はよく、漱石の墓石を道路を隔てた背後から眺める。

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大きな木に抱かれた孤高の背中を、そこに感じる。

背面の墓碑も良い。

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「夏目キヨ」とは、鏡子夫人の戸籍名。
漱石の読者なら、誰しも
「清(子)」という、あのひと(たち)との一致を思い出さずにはいられない。



















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posted by 星跡堂主人 at 20:48| 東京 ☀| Comment(0) | 雑司ヶ谷霊園 Cimetière de Zoushigaya | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

雑司が谷 梅だよりと乙字忌

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雑司が谷1丁目あたりで真っ先に咲く梅の木が今年もほころび始めました。

霊園では、日本女子大創設者成瀬仁蔵墓所の梅が見事なのですが、
そこの梅もこの通り。
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さて、今日、1月20日は俳人大須賀乙字の忌日です。
乙字は、雑司ヶ谷にあった東洋音楽学校(現東京音楽大学)の教師で
雑司ヶ谷本納寺の句会にも参加しており、本納寺には句碑があります。

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「木揺れなき夜の一時や霜の声」


大正9(1920)年、同じく雑司ヶ谷霊園に墓所のある島村抱月などと同じように
スパニッシュ・インフルエンザで亡くなりました。
スパニッシュ・インフルエンザの猛威は相当なもので、
夏目漱石の墓石を建てる時のことを、漱石の娘婿松岡譲が述懐している。

「丁度三回忌の時墓を建てようといつてる時、取り払いになつて墓地拡張になつたので、旧墓地のじめじめしたところから、ここへ改葬する事にした。かなり広い地面の一角で、一体こんな広い空き地が、いつになつたら墓で埋まるのかと思つて居たら、あの大正八九年の猛烈な流行感冒で、見るゝゝふさがつてしまつたには、人もよく死ぬものだと驚かされてしまつた。」と、

乙字の句、梅ではなく「余花(初夏の桜)」で季節はずれですが、
好きな句なので、、、

「仔馬には里初めてや余花白き」


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今日の、乙字の墓所 (雑司ヶ谷霊園 1-16-9)


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乙字の墓の近くで、日なたボコしていたねこちゃん




ラベル:寺社 俳句
posted by 星跡堂主人 at 18:34| 東京 ☀| Comment(0) | 雑司ヶ谷霊園 Cimetière de Zoushigaya | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月05日

紅に黄に染まる雑司ヶ谷霊園

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雑司ヶ谷霊園の黄葉も終わりに近づき、
銀杏を初めとした木の葉が小道を覆っています。

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まっ紅に染まったもみじ

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銀杏の黄が、弱い冬の日の光に照り映えて綺麗な季節です。

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霊園中央付近にあるキリスト教墓地の近く、
大きな銀杏の木の下は、まるでお伽噺の世界のよう
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木々の葉が落ちると、
これからは冬の夕景に裸の樹々の梢が
影絵のように映える季節へと移っていきます。
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posted by 星跡堂主人 at 22:42| 東京 ☁| Comment(0) | 雑司ヶ谷霊園 Cimetière de Zoushigaya | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雑司ヶ谷霊園 撤去告知墓所リストPDFファイル

先にもお伝えしましたが、
現在、雑司ヶ谷霊園内で「無縁仏」化して、
撤去告知がされている墓所が104箇所あります。
その撤去告知がされている墓所の、
墓石に刻まれた銘の年代順のリスト、PDFファイル版です。→

霊園撤去告示墓所リスト #B67A65.pdf

このうち、明治の画家、尾形月耕墓所と、
リストで4番目に古い服部家墓所1785(天明5)年からは、
告知板が無くなっており、現状保存になったもようです。


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撤去告知のされている墓所にひとつ
アリス・ミラーの墓所。
彼女は、明治期に来日して、四谷鮫が谷や千駄ヶ谷の貧しい子どもたちのために
尽力した宣教師でした。
そういう方の墓所が、撤去されるというのは、何とも忍びなく思います。



posted by 星跡堂主人 at 01:08| 東京 ☁| Comment(0) | 雑司ヶ谷霊園 Cimetière de Zoushigaya | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

黄葉の雑司ヶ谷霊園

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抜けるような蒼天に黄金色の銀杏の木々がとても映えた午後でした。

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日本最初の女医、『花埋み』の荻野吟子嬢も、黄葉に埋まっています。

園内には、くれない色のもみじもあります。
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雑司が谷には路地がたくさんありますが、
霊園の通路も、まさに路地のやさしさをたたえています。
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こうした路地のなかで、上ばかりでなくふと目をしたにやると、
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苔の上に本当に小さな米粒くらいの木の実が落ちていました。


もう少しすると、方々に椿が咲き始めますが、
今は山茶花が咲いています。
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posted by 星跡堂主人 at 20:50| 東京 ☀| Comment(0) | 雑司ヶ谷霊園 Cimetière de Zoushigaya | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする