2019年04月15日

「ぞうさんぽ」の記録


「ぞうさんぽ」はこれまで8回開催しております。
「坂道」、「雑司ヶ谷霊園」、「ディープな雑司が谷」、「高田の坂と寺」、
「護国寺 雑司が谷 寺まちあるき」などをテーマにお散歩してきました。
その様子は以下で、どうぞ。
(記事にまとめてあるのは第7回まで)

第1回「坂道篇」
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/200354663.html


第2回「雑司ヶ谷霊園の江戸期石仏めぐり」
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/236529245.html


第3回「ディープな雑司が谷」
その1「やおやのおじいちゃんー弦巻川の流れ」篇
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/272447207.html
その2「謎の稲荷と雑司が谷の旧家を訪ねる」篇
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/273298406.html
その3「王子電車幻の鬼子母神前車庫」篇
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/276220818.html
その4「法明寺と威光稲荷」篇
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/276230423.html


第4回「雑司が谷 高田 上ル下ル」
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/299219215.html


第5回「護国寺、雑司が谷 寺まちあるき」
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/366129125.html


第6回ぞうさんぽ 「雑司ヶ谷霊園石仏めぐり 2」
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/382130798.html

第7回ぞうさんぽ 「鎌倉街道から高田富士へ」
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/400702874.html

第8回ぞうさんぽ  「『心』から百年目の雑司ヶ谷霊園散策」
http://michikusa-walk.seesaa.net/article/408934451.html

以上です。









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2019年03月28日

「雑司が谷」の地名表記に関しての歴史

「雑司が谷」の表記に関して、
一番、古い資料と云われている「小田原衆所領役帳」(「北條分限帳」)永禄2(1559)年の
現存最古の写本は、内閣文庫にある元禄5(1692)年ものですが、
これを写した僧侶の居た王子の金輪寺のHP
→ http://www.tesshow.jp/kita/temple_kishimachi_kinrin.html"

内閣文庫の本は未だデジタル化されていませんが、
早大図書館のアーカイブで天保9(1838)年の写本が見られます。
何と、滝沢馬琴手沢本のようです〜!
→ http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i04/i04_00600_0132/index.html

その中の「雑司谷 中村二郎右衛門」記載部分
→ http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i04/i04_00600/i04_00600_0132/i04_00600_0132_p0035.jpg
「雑」の字が「雅」になっているのを朱入れされています。
posted by 星跡堂主人 at 21:27| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 le Journal | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月15日

藤田燿憶(ようおく) 木彫展 

日本橋島屋6階美術サロンで開催されている
「藤田燿憶(ようおく) 木彫展」を拝見した。
藤田仏師は、雑司が谷にお住まいで雑司が谷のお寺にも仏像を奉納なさっている。


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展示正面にある、ひのきの一木から浮き出ていらした観音様は圧巻だ。
まさに虚空の蓮華に浮かんでいらっしゃるようだ。


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下から見上げると、またそのお顔立ちもより慈愛に満ちていらっしゃる。

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裏側に廻ると、檜の美しい木肌が見える。



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向こうで椅子に腰掛け熱心にお話をされているのが、藤田仏師だ。




大観音の周りには、また一回り小さな観音様が配されている。

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こちらは、仏像にしては珍しく、ややお顔を上げられている夢違い観音。

反対側から見上げると、微かに笑っていらっしゃる。
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これは檜ではなく、松を彫ったとのこと。松の木目が強く出ている。

同じく松の樹からお地蔵さんを彫り出したしたのが、こちら。
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松の樹の精を感じる。


藤田師が二十歳の頃に彫ったというのが、この制吒迦童子。
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高野山に伝わる運慶作のものがモデルだろうが、それとはまた違う
若かりし頃の師のやんちゃな感じが出ている。
聞けばこの頃は、「彫るのが楽しくて仕方がなかった」と仰っていた。
そういう勢い、楽観的な明るさを感じる。

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今回の展示作品では一番古いので、木肌により味わいも出ている。
木彫は、年代と共により深みを増していくところがいい。

この制吒迦童子は楠ということだが、同じく楠で彫られたのが、この日蓮像。
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師は、日蓮宗に関連する寺院の仕事をたくさん手がけたので、日蓮像は数え切れないくらい彫ったという。
日蓮宗寺院には必ず祖師堂があり、そこに日蓮の像を祀る。左手に経巻を握り、右手には笏か数珠を持つ。
その表情は厳しく、目をかっと見開いたものが多いが、
藤田師の作品は、体全体から厳格な力強さが漲って立ち現れているように感じられる。
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日蓮宗寺院に多く祀られる鬼子母神、雑司が谷にも鬼子母神堂がある。
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こちらはお不動さん。
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どちらも大変厳しい表情をなさっている。
しかし、藤田師の作品は、厳しさの中にどこかちょっと軽さというか柔らかさというか、もっと云えばユーモアなニュアンスさえ感じる。これが師の作品の魅力なのだと思う。

それは先程の、松の樹に埋まるお地蔵さんもそうだが、
もっと優しげなこんな作品もある。
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お地蔵さんが懐に子どもを宿していらっしゃる。
こうしたモティーフが、どこから出てきたのか、うっかりお伺いするのを忘れた。
もちろん、地蔵さんは子どもを守る存在で、子どもを抱えた地蔵像はよくあるが、
(慈母観音のモティーフを地蔵に現したのかもしれぬが)
まるで女性が体に子を宿す様に、地蔵さんが子どもを抱くこの像はユニークで美しい。

女性像は、他にもある。
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これは「春」と「秋」として、女性が成長していく姿を現した連作の
「秋」(成熟した女性)の方。
これを見て、私は思わずグスターフ・クリムトの「接吻」の女性を思い出してしまった。
身を微妙に反った体のラインに樹の地肌の文様、さらには濃厚な唇の艶が、それを感じさせたのかもしれない。

こうした作品の幅が、藤田師のユニークさでもある。

一方で、
古典的な端正さを感じさせる作品もある。

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私はこうした作品にも、とても惹かれる。
気持ちが落ち着き、心が鎮まる。



他にも観音像がある。
一つは今回の展覧の告知はがきに紹介されている
「気付き観音」
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藤田師は、蓮の花の僅かな変化に、仏性を悟った菩薩の姿を現したとおっしゃっていた。
蓮が僅かに開こうとしている。


一方、こちらは、その直後のお姿のようにも思える。
僅かに開いた蓮は翳され、ふくよかなお顔立ちは悟りをはっきりと実感なさっていらっしゃる。

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左手に悟りの象徴である蓮を持ち、右手は衆生を受け入れる与願印を示している。
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会場を横から見渡すとこんな感じ。
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さすがに島屋美術サロンというだけあって、
ふかふかの椅子でゆっくりとお話しできる雰囲気があり、
藤田仏師さんと創作の経緯等のお話しできるのも、とても有難い。
会期は5月17日(火)まで、17日は午後4時に終了。



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大黒様、もちろんこれも藤田師の作品。

おわり。

























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2015年12月31日

バレエ『ドン・キホーテ』(主にレオン・ミンクス作曲)

バレエ『ドン・キホーテ』(ミンクス作曲を主とする)の主要な上演記録

A 1869年12月 モスクワ・ボリショイ劇場 
  マリウス・プティパ版(全4幕8場)
スペインの民俗舞踊色の濃いコメディーバレエ。

B 1871年11月 ペテルブルク・マリインスキー劇場 
  マリウス・プティパ改訂版(全5幕11場)
夢のシーン、公爵邸シーン(グラン・パ・ド・ドゥ)など挿入されバレエクラッシックの要素が増す。
初演時は別のダンサーが演じていたキトリとドゥルシネアを同じダンサーが演じるようになった。原作にあるドン・キホーテと銀の月の騎士との決闘はカットされ、終幕場は公爵邸になった。
またその後、ゴルスキーのよる改訂前に、プティパによって「グラン・パ・トレアドール」が『ゾレイヤ』(ミンクス作曲、1881年)から挿入された。

C 1900年12月 モスクワ・ボリショイ劇場 
  アレクサンドル・ゴルスキーによる改訂版(3幕5場)
1幕の群衆の処理などに、それまでの古典的でシンメトリックなコール・ド・バレエの動きとは違うスタニスラフスキー・システムが採用された。

D 1902年 ペテルブルク・マリインスキー劇場(クシェシンスカヤによれば、この公演はバレエマスターKristian Johannsonに捧げられたお別れ公演だったようだ。)
1900年のゴルスキー版の再演が基本だが、クシェシンスカヤが自ら振り付けて3幕のキトリのヴァリアシオンをミンクスの「ロクサーヌ」(1877年)からの曲か又はドリゴによる作曲かで挿入。
また、夢のシーンにドゥルシネアのヴァリアシオンも入る(『Les Millions d'Arlequinade』リッカルド・ドリゴ作曲,1900年)。
しかしクシェシンスカヤ自身は自伝でどちらについても述べず、第1幕のヴァリアシオンでのカスタネットが難しかったとか、ピルエットに続くピルエットを高速で廻り観客が喜んだということしか述べていない。
ダニロワは自伝で、「トウで立ってあんなに速く踊る人を、私はほかにみたことがない。『ドン・キホーテ』のパ・ド・ドゥ、いつも扇子を持って踊るヴァリアシオンでは、大抵のバレリーナは音楽のスピードに合わせるのが難儀だった。なのにクシェシンスカヤは、指揮者にテンポを2倍に上げるように要求した。」と述べている。
この同じ、ペテルブルクでの上演では、「Amour」をカルサーヴィナが踊っている。この時から『パキータ』(ミンクス作曲)のヴァリアシオンをここに入れたのかもしれない。

E 1906年 モスクワ・ボリショイ劇場 
  アレクサンドル・ゴルスキーの再改訂版(3幕5場)
・「町の踊り子」の曲(ミンクス作曲バレエ『ゾライヤ』1881年初演から転用)
・エカテリーナ・ゲルツァ−(モスクワボリショイ舞台監督で『白鳥の湖』初演時の台本にも関わったワシリーの娘)のための「メルセデスの踊り」(アントワーヌ・シモーヌ作曲)
・終幕冒頭の「登場のマーチ」(ユーリ・ゲルバー作曲)
・同「ボレロ」(チェザーレ・プーニ作曲バレエ『大理石の美人』からの転用)
・「キトリの友人の第2ヴァリアシオン」(リカルド・ドリゴ作曲『フローラの目覚め』からの転用)され、現行の終幕の骨格が出来る。
以上の幾つかは、1902年のペテルブルク公演から入った可能性もある。

F 1923年 レニングラードバレエ 
  フョードル・ロプコフ演出1906年版に基づく改訂。
「ファンダンゴ」(エドアルド・ナプラヴニク作曲)がロプホフによって振付られ挿入。 

G 1940年 モスクワ・ボリショイ劇場 
  カジャン・ゴレイゾフスキー、ロスティスラフ・ザハロフによる改訂版。音楽処理にはユーリ・ファイエルが協力。
・ソロヴィヨフ-セドイ作曲の「カルメンシータ」、「水兵ジーグ」
・レインホリド・グリエール作曲「エスパーダの踊り」
・ジェロビンスキー「ジプシー娘の踊り」が挿入され、現行の「居酒屋シーン」の骨格が出来る。

H 1962年 ロンドン・バレエ・ランバート
  ポーランドの振付家ベルコフスキーによるゴルスキー1906年版に基づく全幕上演。
西欧での最初の全幕上演と思われるが、当時バレエ・ランバートは規模が小さくなっており、小編成のものだったようだ。

I 1966年 ウィーン・国立歌劇場
    ルドルフ・ヌレエフによるプティパ1871年版に基づく上演。

J 1970年 オーストラリア・バレエ
    ルドルフ・ヌレエフによる再振付・演出 ヴィデオで見ることができる。

K 1978年 アメリカン・バレエ・シアター
    ミハイル・バリシニコフによる振付・演出 これもヴィデオで見ることができる。

L 1981年 パリ・オペラ座
    ルドルフ・ヌレエフによる再々振付・演出
パリ・オペラ座に『ドン・キホーテ』が全幕でレパートリーになったのは、この時が初めて。1972年のボリショイバレエ公演(マクシーモワ・ワシーリエフ)までこの作品はパリではほとんど知られていなかったようだ。ロンドンのロイヤル・バレエがバリシニコフ版をレパートリーにするのは、さらにこの後で、この時までミンクスの音楽に基づく『ドン・キホーテ』の全幕上演はされていない。

(1950年2月にニネット・デ・ヴァロワが、ロベルト・ゲールハルドの音楽に振付た全く別の作品『ドン・キホーテ』が、サドラーズ・ウェルズ・バレエで上演されている。この作品はマイムや演劇的要素が排除された純ダンス的な作品で、スペインの女を踊ったフォンテーンのダンスがとても評価されたようだ。)

M 1994年 モスクワ・ボリショイバレエ
    ユーリ・グリゴローヴィッチによる振付演出
この版の音楽は、ユーリ・トカチェンコ指揮ロシアフィルハーモニー管弦楽団のCDで聴くことができる。やや遅めのテンポのゆったりした演奏。


・東京のバレエ団の主な公演記録

1965年 7月24〜25日 谷桃子バレエ団  スラミフ・メッセレル版
1982年11月 5日    松山バレエ団  清水哲太郎版
1985年10月 4日    松山バレエ団  ルドルフ・ヌレエフ版
1989年 3月4〜5日   牧阿佐美バレヱ団  アザーリ・プリセツキー、ワレンティーナ・サーヴィナ版
1999年3月18〜22日  新国立劇場バレエ団 アレクセイ・ファジェーチェフ版

スラミフ・メッセレルを招いて上演された谷桃子バレエ団による『ドン・キホーテ』全幕公演は、ロシア以外の国ではイングランドのバレエ・ランバートでのポーランド人振付家ベルコフスキーによる版(1962年)についで、早い時期の上演だと思われる。しかし、このベルコフスキー版はたいへん小規模な編成の上演だったようで、完全版としては、谷桃子バレエ団が「西側」最初の『ドン・キホーテ』と言ってもよく、世界のバレエ史の上でも画期的な上演であったといえる。


1965年5月にジョージ・バランシンがNicolas Nabokovによる音楽で『ドンキホーテ』を振付、自らタイトルロールを踊っている。初演時の映像の一部 → https://bit.ly/2QaxBH2
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・『ドン・キホーテ』の二つのプロット

現行の『ドン・キホーテ』は、プロットが主に二つの系統に分けられる。
一つは、1906年のボリショイでのアレクサンドル・ゴルスキー改訂決定版を基調として、それに1940年のカジャン・ゴレイゾフスキーとロスティスラフ・ザハロフによる居酒屋シーンの大幅な再改訂を経たボリショイ系のヴァージョン(1994年のグレゴローヴィッチによる改訂版以前のもの)。

この系統のプロットは、
プロローグ→1幕「バルセロナの町の広場」→2幕1場「町の居酒屋」→同2場「ジプシ
ーの野営」(「風車」の場)→同3場「森の中の夢」→3幕「公爵館の広場」

谷桃子バレエ団が1965年に日本初演したメッセレルによる版(日本バレエ協会での公演版でもある。)
牧阿佐美バレヱ団のプリセツキー版もこの系統に入るが、通常の1幕と2幕1場とを1幕として、1幕を2場構成にしている。1幕の場面間の間奏曲として「カルメンシータ」が使用されている。
もう一つは、1940年のボリショイでの改訂版に基づきながらも、キトリとバジルの恋愛譚をより中心化した、西欧で上演されるバリシニコフ版(ロイヤル、ABT)、ヌレエフ版(パリオペラ座)がある。
現行のキーロフやマールイの演出、1994年のグレゴローヴィッチ版もこちら系統に入る。
この系統のプロットは、
プロローグ→1幕「バルセロナの町の広場」→2幕1場「ジプシーの野営地」
→同2場「森の中の夢」→同3場「町の居酒屋」→3幕「バルセロナの町の広場」

おおざっぱに言えば、前者の系統は、プティパ版を源流にしているので、タイトルロールのドン・キホーテをめぐる喜劇の比重が残っているのに対して、後者は、明確にキトリとバジルの恋愛物語の様相を呈している。物語の一貫性を求めるという意味からも、最近では、後者の系統の版が一般化していた。

その意味では、前者の系統を現時点で採用した新国立バレエのアレクセイ・ファジェーチェフ改訂版は、ややアナクロニスムかもしれない。また、3幕でドン・キホーテとバジルの決闘シーンが省かれてしまているので、公爵邸にドン・キホーテが存在する意味も余り感じられない。決闘で負かされる方がドン・キホーテの滑稽な悲哀がより出るのではないか?
しかし、『ドン・キホーテ』の作品としての面白さは、決して筋の一貫性ではない。
それはちょうど琵琶語りが集積して成立した古典の『平家物語』のように、様々な時代に堆積したダンスの多様さ、一つの作品でダンスの変遷を通時的に見ることが出来るところにこそあるはずだ。
その意味で、多様なダンスを出来る限り残した新国立版は、それなりに意味がある。また、ドンキホーテという存在のユニークさは、キトリとバジル以上に現代的であり、その役の比重が大きいこの版は、演じ方によっては単なる恋愛ドラマよりも、そのヴァーチャルな世界を夢想する現代人を相対化しうる可能性を持っているかもしれない。
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本文中に使用されている「ジプシー」という言葉は、その歴史的な使用法から現在は「差別語」として認知されており、かつて「ジプシー」と呼ばれていた人々は、「ロマ人」と呼称されていますが、作品中の言葉としてそのまま使用しました。ご理解ください。


参考文献、他

・福田一雄『バレエの情景』(1984年12月)
・Mathilde Kschessinska "Dancing in Petersburug" (1960)
・アレクサンドラ・ダニロワ(木村英二訳)『ダニロワの回想』(1986年)
・”THE KIROV BALLET DON QUIXOTE ” KURTUR BALLETSERIES 1217 (1988)
・「『ドン・キホーテ』第三幕パ・ド・ドゥ マクシーモワ/ワシーリエフ 1973年録画 
  (『栄光のロシア・バレエ˘』 1993年)
・『バレリーナへの道』vol。6(1994年5月)
・『ダンスマガジン』(1994年5月)
・『ダンスマガジン』(1996年7月)
・赤尾雄人「ボリショイバレエ版(グレゴローヴィッチ版)『ドン・キホーテ』CD解説」 (1997年)
・小倉重夫編『バレエ音楽百科』(1997年9月)
・ニコライ・ボヤルチコフ「『ドン・キホーテ』解説」
 (『レニングラード国立バレエ ムソルグスキー記念 1997〜1998年日本公演』パンフレット)
・Jacques Moatti, Rene Sirvin ”LES GRANDS BALLET du repertoire”  Aug-1998
・新国立劇場バレエ公演『ドン・キホーテ』パンフレット(1999年3月)
posted by 星跡堂主人 at 20:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 le Journal | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月24日

上野〜谷中〜雑司が谷 さんぽ


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芸大美術館へ行く途中、
いつも前を通るだけで中に入っていなかった
国際こども図書館へ。
http://www.kodomo.go.jp
ここはかつての帝国図書館、明治39年(1906)に建てられ、
その後、昭和初期に左のファサード部が増築されている。



3階まで吹き抜けになっている内部の階段も美しい
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展示室(本のミュージアム)の壁と天井

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そこへの入り口が興味深い

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かつての外壁部分の外側を覆い廊下を付け、
窓の一部を入り口に改造しているのだ。
こういうリノヴェーションは珍しいのではないだろうか。



その後、
芸大美術館で山田寺仏頭を拝見。
仏頭の位置がかつて全身があったであろうその位置にあったので、
こんなお姿だったのかと、想像出来て良かった。

十二神将もそれぞれ個性があって、
特に口を開け遠方を眺めている毘羯羅大将が剽軽で愛らしかった。
摩虎羅大将の斧にはハートマークが空いていた、(^o^)

深大寺の釈迦如来倚像もいらしゃり、
これが如何にも端正な白鳳仏そのもののお姿で美しい。
かつては、まさに十二神将で有名な奈良の新薬師寺にあったとも。
→ http://jindaiji.sakura.ne.jp/home/jindaiji/jindaiji202.html


芸大の美術館を出ると
お庭には、巨大な樹がそびえ立っている。

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よ〜く見ると、巨大な幹はほとんどうろになっており
周囲を根のような枝のようなものがぐるぐると絡み付いている。

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まさに、ご神木の風格で、
ここに来るたびに、思わず手を合わしたくなる。
槻には見えないが、椎だろうか?


ここに来ると、その後は、
桃林堂で季節のお菓子を戴き、
http://www.tourindou100.jp/tenpo/toukyou_tenpo/ueno_shop.html
カバヤ珈琲さんでルシアンカフェとサンドイッチを食べる。
http://taireki.com/kayaba/

その後、谷中霊園へ
途中で豆大福の岡埜栄泉にも立ち寄り、、、(^o^)
http://www.wagashi.or.jp/tokyo_link/shop/1219.htm



で、漸く谷中霊園へ
ここは、雑司ヶ谷霊園に比べると、
石仏は少ない。
下町から移された江戸期の墓所が少ないのかもしれない。

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しかし、丸彫りの立派な仏様もいらっしゃる。
お顔立ちから江戸初期のような雰囲気もあるが、
銘が無いので分からない。



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こちらは、明和、安永の年号が刻まれている。
この時代にしては、やや現代風なシャープなお顔立ち。
家紋が光背のように入っているのも、珍しい。




歩いていると、こんな立て板も、、、

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雑司ヶ谷も猫が多いが、そのうちこんな嫌な立て板が立つのだろうか、、、
管理事務所はきっと猫が多くなって困っているのかもしれないが、
何とも残念、、、もう少し何か知恵を出し合えないものだろうか。


谷中霊園の端、幸田露伴旧宅跡辺を曲がると、
最後のスイーツ、ショコラのお店に出るが、
http://www.inamura.jp
その近くに

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美しい窓のファサード、良い建物だなあ。
こういう建物が今はどんどん無くなり、
詰まらないビルばかりになっている。



日暮里から大塚、都電で雑司ヶ谷へ

都電の電停から雑司ヶ谷霊園に入る入り口の横に
石仏が出迎えてくれる。
よ〜く見てないと気づかないが、フェンスの向こうに二体、いらっしゃる。

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元禄十三年(1700)銘の観音菩薩像






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黄葉が美しい頃になってきた。

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この時期から初冬にかけては
山茶花もよく咲いている。

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最近、案内板が出来た
聖心学院の墓所

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霊園を出て、南へ
宣教師館のある辺へ通じる路地も秋色だ。


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来週の土曜日
11月30日に雑司ヶ谷霊園を歩く「ぞうさんぽ」を開催します。
詳しくはこちらの「ぞうさんぽ」ブログをご覧下さいませ。
→ http://michikusa-walk.seesaa.net/article/379025803.html










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posted by 星跡堂主人 at 23:49| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 le Journal | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月22日

ロシアの映画『瀕死の白鳥』(Умирающий лебедь / Dying Swan)



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12月の本郷中央教会でのサイレント映画上映会で
ロシアの映画
『瀕死の白鳥』(Умирающий лебедь / Dying Swan) が上映されます。
柳下美恵(サイレント映画ピアニスト)
新井幸子(チェリスト)の演奏による上演です。


この映画は、全編が1時間弱の物語で、
ヒロインの名は、ジゼル(何と言う名前!)で、
話の内容も面白そうなんですが、
それよりも、

この映画、驚いた事に!
作中
ミハエル・フォーキンが、
1907年に慈善演奏会(日露戦争傷痍軍人とその家族のための)で
アンナ・パブロワに振り付けた「瀕死の白鳥」が、
そのままフルスケールで踊られているのです。



踊り手は、モスクワボリショイ劇場のソリスト
ヴェーラ・カラーリ(Vera Karalli)

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彼女は、
当時ボリショイの芸術監督だった
アレキサンドル・ゴルスキーのお気に入りダンサーで、
彼が振り付けた『サランボー』や改訂した『白鳥の湖』、
『ファラオの娘』『皇帝に捧げた命』(グリンカのオペラ)などを踊っています。

このページの写真は、
1910年に上演された『サランボー』のものと思われます。
→ http://ow.ly/oRD2K

こっちはロシア語版
→ http://ow.ly/oRDCi
この写真には『サランボー』とキャプションに書いてありますね。
英語版と記述も微妙に違います。

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カラーリは、ダンサーとしてボリショイやバレエリュスで踊りつつ、
(バレエリュスの公演中駆け落ちして彼女の代役をカルサーヴィナが踊ったとも)
ロシア最初の映画スターと云われていたようで、
東洋的な美しさと見事に構成された表現力が評価されていたようです。
→ http://ow.ly/oRD
→ http://ow.ly/oRDRD


この映画の監督エヴゲニー・バウエル (Yevgeni Bauer)にも気に入られ
何度も起用されています。


また、ドミトリー・パブロヴィッチ大公
(皇帝アレクサンドル二世の孫でニコライ二世の従兄弟)の愛人でした。
(当時のロシアの主要女性ダンサーの多くは貴族の愛人です)
ドミトリー大公が企てたとされるラスプーチン暗殺事件に、
加担したらしいという点も、興味深いです。




「瀕死の白鳥」の古いフィルムと云えば、
アンナ・パブロワ自身が踊った映像が残っていますが、
これは晩年の1924年にハリウッドで撮影されたもので、
今一つ映像の状態がよくありません。この時、パブロワは43歳です。

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アンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」



一方、12月に上映される映画『瀕死の白鳥』、
カラーリは当時27歳で踊っている映像もずっと鮮明のようです。

そして、何と言ってもこの映像こそ、
「瀕死の白鳥」を踊った、
現存する最古の映像ということになるわけです。
初演から約10年、ペテルブルクとモスクワとの違いはありますが、
カラーリは、1910年代の初めにバレエリュスに参加しているので、
その時に、パブロワから教えてもらった可能性が高いでしょう。



12月、本郷中央教会での映画上映界の詳細
→ http://mie7thheaven.tumblr.com/post/60449484613





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posted by 星跡堂主人 at 23:25| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 le Journal | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする