2011年03月08日

「古地図を片手に、雑司が谷の坂道を歩こう」




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安政四(1857)年 金鱗堂尾張屋清七版 「雑司ヶ谷音羽繪圖」



3月20日(日)に開催される吉例、雑司が谷「鬼子母神通りみちくさ市」に合わせて
「雑司が谷みちくさあるき」
第1回「古地図を片手に、雑司が谷の坂道を歩こう」をいたします。

雑司が谷の街は、高低の差が10mくらいはあり
低いところをかつては弦巻川という小川がながれていました。
そのため、弦巻川の谷筋を挟んで両側が丘になっている起伏に富んだ土地です。

たぶん、「雑司が谷」と地名に「谷」が付くのも
こうした自然の地形から来ていると思われます。

とすれば、雑司が谷を知るとは、
この「谷」がどのように「谷」なのか、
かつて流れていた弦巻川とはどのような川筋だったのか、
丘の上には何があったのか、などなどを、
身をもって体験してもらうことが一番ではないかと、思い
雑司が谷の坂を、谷へ下り、丘へ上るというまちあるきをしてみることにしました。

道が迷路のようになって、一度入ると方角も分かりにくいのは、
この街が、今も、谷と丘の筋をそのまま残して道が連なっているからなのです。



こちらの絵図は、雑司が谷の旧家柳下家が明和九年に代官所に提出もので、
当時の、弦巻川の川筋や雑司が谷の道がよく描かれています。


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明和九(1772)年 「武州豊島郡雑司谷村絵図」 名主 勘右衛門(柳下氏)




こちらは、雑司ヶ谷御嶽坂の絵 
御嶽坂は、江戸時代の雑司ヶ谷村の中心で、野辺送りなどもされたと云われています。

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天保五(1834)年〜天保七(1836)年刊 須原屋伊八蔵版 『江戸名所図会』 長谷川雪旦画



「古地図を片手に、雑司が谷の坂道を歩こう」
参加お申し込みなど、詳しくは、こちらを御覧下さいませ。
http://kmstreet.exblog.jp/15621212/







posted by 星跡堂主人 at 16:17| 東京 ☁| Comment(0) | 雑司が谷 みちくさ市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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