2010年05月25日

山の手空襲 ハチ公像の作者 安藤照(あんどうてる)、士(たけし)親子

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初代ハチ公像


渋谷駅前に佇むハチ公は、実は二代目であることは余り知られていない。
初代の作者は、鹿児島の西郷隆盛像などを造った安藤照。
1934(昭和9)年に完成し、1944(昭和19)年に戦争のための金属供出で
「名誉の出征」と遂げている。
現在の二代目は、戦後の1948(昭和23)年に完成し、
作者は、安藤士(あんどうたけし)で、初代の作者照のご子息である。


二代目を造るにあたっての士の談話が、『東京新聞』に連載された。
(5月23、24日 朝刊)
それによれば、終戦直後の物資不足の中、像を鋳造するための銅がなく、
途方にくれていたところ、空襲で焼け落ちた自宅の庭に
父が戦前に手がけた大作「大空に」が無惨な姿でころがっていた。
士は、これを溶かして銅を得て、今のハチ公を鋳造したという。

興味深いことに、
この時のハチ公像の石膏原型が、鹿児島と秋田県鶴岡に遺っているという。→
http://www.edita.jp/kagoshima-food/one/kagoshima-food824394.html

http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2006:9:24

鹿児島のが「石膏原型」、鶴岡のものが「試作品」とされているが、
ハチ公が如何に人に愛され、この作品が人々に伝えられてきたかを、
よく示すエピソードだ。
鹿児島は初代の作者安藤照の故郷、秋田県はハチの故郷である。

所で、この安藤照は、雑司が谷とも縁がある。
雑司が谷に現存する旧宣教師館に住み、キリスト教の布教活動をしつつ、
青年教育や幼児教育に携わっていた
ジョン・ムーディー・マッケーレブ(John Moody McCaleb)の設立した全寮制の雑司ヶ谷学院で
安藤照も学んでいたのだ。→
http://www.city.toshima.lg.jp/129/bunka/bunka/shiryokan/kyusenkyoshikan/documents/senkyoshi39-40_1.pdf

旧宣教師館は現在、豊島区郷土資料館の分館で、東京都の有形文化財に指定されている。

実は、マッケーレブ邸では、
鹿児島出身の東郷青児の父が料理人として雇われており、
東郷青児も若い頃は熱心なキリスト教信者で、教会で絵画を描いていた。
徳富蘆花なども関わっていた今の旧宣教師館、マッケーレブ邸には、
熊本、鹿児島人脈があったと推測される。



今日、5月25日は、
東京の山の手が灰燼に帰した山の手大空襲から六十五年目に当たる。
渋谷区初台に住んでいた安藤照が、自宅防空壕の中で亡くなった、
その空襲の日でもある。
(安藤照は「東京大空襲」で亡くなったと書かれているものもあるが、
『東京新聞』の記事でご子息の士は、5月25日の空襲で亡くなったと述べている。)




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安藤照「お下げ髪の少女」











































posted by 星跡堂主人 at 21:35| 東京 ☀| Comment(0) | 戦災 Cicatrices de la guerre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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