2010年03月10日

東京大空襲 65年目の3月10日

65年の歳月は、それを体験してこなかった者には遠く、
体験した者には、昨日のことのように生々しく肉体をえぐる精神の疼きだろう。

私は、それを知らない。
昭和20年3月9日深夜に、
麻布で被災し日本橋まで逃げまどったという父の話から、
僅かにそれを知る程度だ。

自分の経験しないものをイメージするには、それなりに努力が必要だし、
怠惰で忘れっぽい人というものは、それが苦手だ。
どう、3月10日の東京の記憶を繋ぎ止めるかは、
その人それぞれの思いの強さによるしかない。

しかし、一方で、
その体験は余りにも惨いので、多くの体験者も
それを語ることが大変困難でもある。
思い出したくない、忘れたいのが人情だろうし、
また、体験してない者も、そんな悲惨なことを目の当たりにイメージしたくもない。
ごろごろと転がっているトーストされた死体の山、
今も戦災者に遺るケロイドの傷。
そんなものは見たくないのが、人情だろう。
(体験者の方は視覚よりも強烈な人の焦げる匂いという臭覚をよく語る)
それを、
敢えて見ろとは、何人も強制はできない。

にもかかわらず、
これを記憶することが、
私の住む東京という街とその人たちにとって大切だとしたら、
どうしていけばよいのだろうかと、戸惑う。

記憶こそが、ひとという生命体にとって、
単なるDNAの運び手でしかないという存在を超えうるものだとしたら、
自らのDNAにその記憶をどう刻むかは、結局、
その個体と環境との葛藤からしか生じないだろう。

だとしたら、個体としての私が、戦災という状況にどう関わり、
どうその体験者の肉体に刻まれた精神の疼きを、自らの身体で感じるか、
そういうことになる。
それはそれぞれの私の身体が、どう感じるかでしかない。

ただしかし、身体が感じるというのは、単なる感性だけの分野ではない。
感じるには、思考も知識もなければ、感じることはできない。
思考も歴史認識も全てを総動員して感じることがなければ、
所詮、身体に記憶を刻むことはできないだろう。

これらの樹々が、今もその身体に記憶を刻むでいるように、
私も、感じたい。



浅草寺本堂脇の戦災銀杏

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雑司が谷法明寺の戦災銀杏

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米軍が空撮した昭和20年3月10日朝の下町
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東京大空襲関連の記録の載るサイト→
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tokyoudaikuusyuu.htm

東京大空襲の国家賠償を求める訴訟→
http://www.geocities.jp/jisedainitakusu/sub-sosyo.html

3月14日まで横網町公園復興記念館で開催されている
東京大空襲を記録した石川光陽の写真展の記事→
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20100220/CK2010022002000049.html






posted by 星跡堂主人 at 21:07| 東京 ☁| Comment(0) | 戦災 Cicatrices de la guerre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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