2010年02月02日

漱石の墓所

雑司ヶ谷霊園で最も有名な墓所は、夏目漱石の墓所だろう。

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しかし、この墓所が元々は別の場所にあったことはあまり知られていない。
漱石は実家の菩提寺(小石川小日向の本法寺)との関係が芳しくなく、
明治四十四(一九一一)年に五女雛子が亡くなった時、
新たに雑司ヶ谷霊園に墓所を買った。
その位置は現在の位置1−14−1ではなく、1−5−25辺りだとされている。
大正五年十二月二十八日の納骨時に撮られたと思われる旧墓所の写真。
(松岡譲『漱石先生』1934 より)

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現在の1−5−25辺り
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今在る位置に移ったのは、
一周忌にあたる大正六(一九一七)年の十二月であるが、
当時の写真をよく見ると、
入り口に扉があり、周囲の柵には扉と同様の黒い枠が嵌められている。

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扉が取り付けられていた跡
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漱石の墓石は甚だ評判が悪いが、この評価からは、
墓石設計者が弟子達から「悪妻」と云われ続けた鏡子夫人の
妹婿(鈴木禎次)だったということを、差し引いておくべきだろう。

この妹婿、鈴木禎次は、辰野金吾の弟子で
名古屋高等工業(現名古屋工業大学)教授となり、名古屋近代建築の祖と云われている。
特に松坂屋デパートメント建築で多くの作品を遺している。
その中でも、昭和9(1934)年竣工の旧松坂屋大阪店(現在高島屋東別館)は傑作。→
http://osakarchit.exblog.jp/6603723/

また、現在建て替え計画が進行中の松坂屋横浜店の改築設計も担当している。→
http://maskweb.jp/b_y-matsu_1_1.html

名古屋に現存するものでは鶴舞公園の奏楽堂、噴水塔が有名。
他には次のような作品がある→
http://inaxreport.info/no180/feature1.html


確かに漱石の墓も、墓石だけを間近に見ると大変厳めしい。
だが、門や柵も含めた全体像を少し離れて見ると、
それなりに伽藍のようなデザインが生きているようにも思われる。
門柱と周囲の柵の四隅に付けられた擬宝珠を四角にしたようなデザインは、
後の、帝国ホテルや明日館のフランク・ロイド・ライトのデザインをも髣髴とさせる。

当時は、墓所前により広いスペースが今よりもあったのかもしれない。
少し離れて見てみると、意外と良いデザインではないか。
しかし、現在は前の通路の巾もなく、離れて全体像を正面から見ることは難しい。

私はよく、漱石の墓石を道路を隔てた背後から眺める。

IMGP8976.JPG


大きな木に抱かれた孤高の背中を、そこに感じる。

背面の墓碑も良い。

IMGP8973.JPG


「夏目キヨ」とは、鏡子夫人の戸籍名。
漱石の読者なら、誰しも
「清(子)」という、あのひと(たち)との一致を思い出さずにはいられない。



















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posted by 星跡堂主人 at 20:48| 東京 ☀| Comment(0) | 雑司ヶ谷霊園 Cimetière de Zoushigaya | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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