2010年01月10日

根津神社から寛永寺の石仏

根津神社から寛永寺の石仏を幾つか見ました。

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根津神社境内から乙女稲荷と駒込稲荷へと登る間の踊り場のような所に
六体のものが、一所に固められた庚申塔群があります。
六角石幢を模したつもりなのかもしれませんが、あまりにも無惨な形に思えます。

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中でも古い寛永九(一六三二)年銘の板碑型庚申塔。
足立区の正覚院境内にある元和九(一六二三)年銘の板碑型庚申塔が二十三区内では一番古いとされていますから、寛永九年のこの庚申塔は庚申塔の中では相当に古いものだと思われます。
写真では判りにくいですが、左に古い表記で「都嶋郡凍馬米村」と刻まれています。
上部の笠部分が削られていますが、板碑型で笠付のものは元々はないでしょうから、板碑の上部山部分を削り後に笠を付けたのでしょう。
この時期の庚申塔は、まだ「猿」と結びついているものは少ないようです。

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はっきりと銘が読み取れたものでは、次に古い寛文八(一六六八)年銘のもの。
笠付青面金剛 一猿、ニ鶏。
興味深いのはこのお猿さん、何やら旗さしものを持っていて珍しい。
しかしこの笠も下の石と色合いが違い、後に付けられたものか。

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この庚申塔の下部には、別の三猿が付け足されている。
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宝永六(一七〇九)年銘の日月を持つ光背型?青面金剛 一鬼、三猿

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銘不明 青面金剛 三猿

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笠付角柱? 日月 青面金剛 ニ鶏 一猿
日月が明確に描かれて、邪鬼ではなく猿を踏んづけています。

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銘不明 舟形光背を持つ観音菩薩像の庚申塔。
美しいラインを持っていますが、残念ながらお顔がやや潰れています。

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駒込稲荷の祠前には富士塚の岩を使ったような中におきつねさんがいました。

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寛永寺境内の本堂に向かって右側には様々な宝塔石仏が寄せ集められています。

端正なお顔の観音像 元禄六(一六九三)年銘。

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寛文九(一六六九)年銘、地蔵。寛文の石仏は地蔵でさえ、とても端正に彫られていますね。
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同じく寛文年間銘の板碑型供養塔。

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寛延年間(1750年頃)の銘のある仏、無惨にも頭部が欠落。

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ここに集められている石仏の破損は、明治期の文化破壊運動、廃仏毀釈のためかもしれません。


寛永寺から鶯谷駅に向かう途中の寛永寺橋のたもとに三体の仏さまが祀られていました。

延享年間(1740年代)銘の観音。

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宝暦年間(1750年代)銘の地蔵。

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銘不明の地蔵。

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posted by 星跡堂主人 at 21:53| 東京 ☀| Comment(0) | 石仏 Statue de pierre de Bouddha | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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