2014年11月15日

第8回ぞうさんぽ「『心』から百年目の雑司ヶ谷霊園散策」 開催のお知らせ


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毎回雑司が谷周辺をめぐりそこに秘められた歴史や逸話を辿る
「ぞうさんぽ」
今回は夏目漱石の『心』執筆からちょうど100年目に当たる秋に
雑司ヶ谷霊園で、「先生」と「私」が歩いた道を『心』本文と照合しながら
歩いてみたいと思います。
他に漱石の旧友中村是公や大塚楠緒子の墓所なども辿ります。

◎日時   11月16日(日曜日) 12時集合〜15時頃まで
◎集合場所 副都心線「雑司が谷駅」1番出口前(池袋方面、都電駅方面)
      
◎参加費  500円(資料代込み)
◎募集人数 10人前後
◎申し込み 「ぞうさんぽの会」メールアドレス michikusa.walk@gmail.com 宛に
 必要事項(氏名/参加人数/連絡先電話番号)を記入してお申し込みください。

詳しくは、
「雑司が谷 ぞうさんぽ」のブログを御覧下さい
→ http://michikusa-walk.seesaa.net























posted by 星跡堂主人 at 11:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑司ヶ谷霊園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

『眠れる森の美女』ー第二幕オーロラのヴァリアシオンの違いから見える「バレエ」の奥深さ

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明日から新国立バレエ団新シーズンの開幕を飾る
『眠れる森の美女』のニュープロダクションが始まる。

新国立劇場は1997年10月の開場記念公演として
『眠れる森の美女』を上演しているが、
この時はロシア・サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場の全面的な支援を受け、
同劇場が1952年以来上演しているセルゲイエフ版がかかった。

今回は、ロンドン・ロイヤルバレエで踊っていたウエイン・イーグリングの改訂振付ということで、
ロシア系ではなく、英国系の演出振付になるだろう。


『眠れる森の美女』に関しては、ロシア系の演出と英国系とではどころどころで違いがある。
ロンドンに伝わった『眠れる森の美女』は、ディアギレフのバレエリュス経由のものであり、
ロンドン・ロイヤルバレエの創始者であるニネット・ド・ヴァロワ自身、
バレエリュスで踊っていたということもある。
1939年に”Sleeping Princess” というタイトルで初演されている。
バレエリュスに振付譜を提供していたニコライ・セルゲイエフ(マリインスキー劇場の舞台監督でもあった)の舞踊譜と記憶に基づいて
バレエリュスが1921年にロンドンのアルハンブラ劇場で上演した『眠れる森の美女』を再現した。

第二次大戦後のコヴェントガーデンの再開記念公演でも
『眠れる森の美女』がかかり、
この時はニネット・ド・ヴァロワとフレデリック・アシュトンが共同で振付を担当した。
この版は最近2006年に舞台美術と共、コヴェントガーデンで復刻上演されている。
その版の第二幕の映像
https://www.youtube.com/watch?v=b2U27TdrBbw&list=PLobg54P1YodwN8bGHPMxYAdbt0Yb83heX&index=2

これが興味深いのは、1955年にフォンテーンが踊っている映像とほぼ同じ
(復刻版だから当然だが)
https://www.youtube.com/watch?v=T43yIY78fMg&list=PLobg54P1YodwN8bGHPMxYAdbt0Yb83heX&index=11

しかし、同じ踊りに見えない。当時とは踊り方もテンポも違う。
この二つの映像から、バレエの50年の変遷を感じる事もできる。


さて、
勿論、『眠れる森の美女』は、1890年にマリインスキー劇場で初演されたものだが、
1999年に初演時の演出振付を舞台美術などと共に復刻したセルゲイ・ヴィハレフによる版を見ると、
現在同劇場で上演されているセルゲイエフ版は初演時のものと比べて様子が大分異なる点もある。
なので、
1890年にマリウス・プティパなどによって振付られた原典『眠れる森の美女』と比べ、
現時点でのマリインスキーとロンドン・ロイヤルバレエのどちらが正しいとか、
間違っているとかは容易には決められない。

バレエ・ダンスは常にその時代とともに生きているので、
その時々のダンサーや振付家、また観衆の好み、上演される地域の文化などによって
様々に変化を遂げて行く。
そこがまた、バレエ・ダンスの興味深く面白い所でもあると思う。

現在上演されている、
ロシア系と英国系との違いは、ローズアダージョや第三幕のグラン・パ・ド・ドゥなどにも
微妙な違いはあるが、もっとも大きな差異は、
第二幕のオーロラのヴァリアシオンではないかと思われる。

英国系の踊り、新国立開場記念公演時の吉田都のオーロラ
(このプロダクションは先にも書いたようにマリインスキー・セルゲイエフ版であったが、ゲストの吉田都はロンドン・ロイヤルの振りでまた初日を飾った森下洋子はヌレエフ版で踊っていた。)
http://youtu.be/okiF6hFayfc?list=PLobg54P1YodwN8bGHPMxYAdbt0Yb83heX

一方、マリインスキー版では
http://youtu.be/e-a4HjwuuEs?list=PLobg54P1YodwN8bGHPMxYAdbt0Yb83heX
1989年のラリッサ・レジュニナ(彼女は2001年4月に新国立バレエにゲストとしてオーロラを踊る予定だったが怪我で実現しなかった)

吉田都の方は、冒頭で脚を交互に高く上げているが、レジュニナは片側しか上げないし、
音楽の再現部で吉田は再び脚を上げる振りを繰り返す。

実は、この吉田の振付は、現マリインスキー版によく似たものがある。
しかし曲は全く違い、しかもオーロラではなく、リラの精の第三幕冒頭のヴァリアシオンとして。
http://youtu.be/T_ijVNIPmgo?list=PLobg54P1YodwN8bGHPMxYAdbt0Yb83heX
ちょっと映像が悪いが、吉田が踊った同じ新国立開場記念公演での
菊地美樹によるリラの精のヴァリアシオン。


所が、このマリインスキーのリラの精のヴァリアシオンが
1999年にヴィハレフによって復刻された原典版では、
第二幕のオーロラのヴァリアシオンとして踊られていた。
以下の映像の冒頭から5分くらいの所から始まる。
http://youtu.be/TTRnMCS7Hec?list=PLobg54P1YodwN8bGHPMxYAdbt0Yb83heX
これはマリインスキー復刻版をアリーナ・コジョカルが客演して踊っている映像。
音楽も振付も、リラの精のヴァリアシオンそのまま。


なぜ、このようなことになっているのか、
バレエの世界ではよくある事でもあることだが、、、

一つの仮説として、
1890年にオーロラを初演したカルロッタ・ブリアンツァは、イタリアのダンサーだった。

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当時、イタリアのダンサーは技術にすぐれ、ロシアやフランスに進出。
『白鳥の湖』が1895年にマリインスキー劇場で再演された際、
オデット・オディール(一人で白鳥、黒鳥の二役を踊ったのも彼女が初めてとされている)を踊った
ピエリーナ・レニャーニは、今では定番となっている黒鳥のグランフェッテを初めて回ったとされている。
ペテルブルクの宮廷バレエは伝統的にフランスバレエのエレガンスを基本としており
プティパもその伝統の中でバレエ監督をしていた。

ブリアンツァは、そのフランスバレエのエレガンスも身につけるよう努力したが、
原典版に採用されている二幕のオーロラのヴァリアシオン、
脚を高く上げる、あの振付は彼女の為にされたものかもしれない。

この変更に関して、
Roland. j.Wiley(ワイリー)はその主著 ”Tchaikovsky's Ballet” (1985)で以下のように述べている。

In the pas d'action (Act U),Aurora's variation(No.15b) was cut,and the Variation of the Gold Fairy from (No.23,Var.T )substituted for it.This change seems to have been made early, and for the ballerina, either as a result of her preference or because Petipa considered the interpolated music better suited to her gifts. The substitution required Drigo to refashion the end of the preceding number.


また、当時マリインスキーには、
イタリア人の男性名手エンリコ・チェケッティ(Enrico Cecchetti)も在籍し、
フランス派のプティパと振付や音楽の扱いで争いもあった。
「青い鳥」が彼に振付を委ねられたのも、そんな争いを緩和するためだったとも。

『眠れる森の美女』は、ペロー原作のフランスの話であり、
その根底にはフランスからロシアに伝わったエレガンスが流れているわけだが、
一方で、ヴィルティオーゾを誇るイタリア派のダンサーたちが
主役級に採用され、より高度な現代的テクニックを取り入れる事で
当時の最高水準のバレエとなったと言えるのかもしれない。

プティパとチェケッティの緊張関係が、
良い意味で、作品の質を押し上げたのだと思う。



オーロラは、その後1893年1月にはマリインスキー劇場のダンサー、
マチルダ・クシェシンスカヤが踊るようになり、
チャイコフスキーの原曲に戻され、
新たに振付がされたのではないかと、推測される。

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興味深い点は、英国に伝わった振付が
原典版と現マリインスキー版との両方の要素が合わさったような、振付になっていること。

マチルダ・クシェシンスカヤは、「皇帝の愛人」と云われ、
革命後のソ連ではその痕跡が悉く消された。
例えば、
『ドン・キホーテ』の第三幕キトリのヴァリアシオンで扇子を持って踊る版は、
彼女の為に新たに振り付けられたとされ、ロシアではあの版は今は踊られないが、
英国ではそれが伝わっている。

この例からすると、
今現在、英国系で踊られているオーロラのヴァリアシオンこそ、
クシェシンスカヤの為のものであって、
現マリインスキーで踊られている版は、その型をやや残しつつ
新たにロシアで振付られたものかもしれない。

整理すると、第二幕のオーロラのヴァリアシオンは、
原典版(ブリアンツァ)→ 英国版(クシェシンスカヤ)→ マリインスキー版
という系統順で作られたとも推測される。

どちらにしても、今、上演されている
『眠れる森の美女』、
また明日から上演されようとしている新たな新国立バレエ版も、
こうした、先人たちの踊りを常にその古層にもっている伝統があり、
今ここで、私たちが見る、今のダンサーたちの踊りの先に
数々の踊り手と振付家の幻が浮かんでいるようにも思える。
今のダンサーたちは、音楽と振付の先に
先人たちを感じ、自らの身体と感覚との間に、緊張を作り出す。
きっと、そこに素晴らしいバレエが現れてくるに違いない。







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posted by 星跡堂主人 at 00:44| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする