2014年04月19日

新国立バレエ 『カルミナ・ブラーナ』プレヴュー  Ballet ”Carmina Burana” Ballet of New National Theatre Tokyo


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2014年4月19日〜4月27日まで
新国立バレエ団で上演されるバレエ『カルミナ・ブラーナ』は、
カール・オルフの世俗カンタータ『カルミナ・ブラーナ』に
デビッド・ビントレーが振り付けた作品。
初演は、1995年9月27日、バーミンガム・ピポドローム、
ビントレーがバーミンガム・ロイヤルバレエの芸術監督になった歳である。

新国立バレエ団では、
2005年10月29日〜11月6日
2010年5月1日〜5日
に続いて、三度目の上演。
抜粋映像→ https://www.youtube.com/watch?v=9ePu2GEqXlc#t=49
ビントレー作品は、オルフの音楽を冒頭からカットすることなく全曲使用している。
但し、通常使われる児童合唱は、バーミンガムでは聖歌隊が唱ったらしいが、
新国立劇場の上演では入っていない。

因に、オルフの『カルミナ・ブラーナ』日本初演は
1955年5月14日 日比谷公会堂でのNHK交響楽団演奏会
→ http://ml.naxos.jp/work/2476208


作曲者のカール・オルフは、この作品を、
1847年に活字出版された以下の本に基づいて作曲したとされている。
Johann Andreas Schneller
 ”Carmina Burana : lateinische und deutsche Lieder und Gedichte einer Handschrift des 13. Jahrhunderts aus Benedictbeuern ”
→ http://ow.ly/vWRZ2
P.264以降がインデクスになっている。

”Carmina Burana” とは、
「 Beuern(ボイヤ(レ)ンの)歌」( ”Beuern”は古くは”Bura”と呼ばれたらしい)という謂いのラテン語に当たる。
この標題は、
1803年にミュンヘン郊外の Beuern にあるベネディクト派の教会 Kloster Benediktbeuern で
中世の詩歌320編(数え方に依っては250くらい)が Johann Christoph von Aretin によって発見されたことに基づいている。
この教会は、ドイツバロック様式の真珠ともよぶべき美しい佇まいである。
Kloster Benediktbeuern→ http://www.kloster-benediktbeuern.de


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発見された原典にある森を描いた美しい挿絵、紙ではなく羊のなめし皮に書かれている。


所が、その後、発見者が秘蔵していた為に世に出るのは遅れる。
1844年などに Jacob Grimm により一部が出版されたが、
大部の出版は、1847年の先に示した本まで待たねばならなかった。

原典の詩は、
主にラテン語で書かれ、他に
古い、フランス語、プロヴァンス語、イタリア語、中高ドイツ語、
さらにはそれらがミックスされたマカロニック・スタイルで書かれている。

時代は、1230年頃の写本と推測されるので、
11世紀〜13世紀前半のものとされているが、
これらは纏まった本ではなく断片集であり
元来は、”Codex Buranaus” (Beuern 写本)と呼ばれていた。
現在この原資料は、
Bayerische Staats Bibliothek(バイエルン州立図書館)に保存されているらしいが、
残念ながら、ネットでは公開されていない。

Deutsche national Bibliothek (ドイツ国立図書館)のサイトで一部、楽譜の部分がネットで見られる。
→ http://www.dnb.de/EN/DBSM/Ausstellungen/Rueckschau/handschrNotation.html?cms_notFirst=true&cms_docId=49508



作者は、ゴリアルドゥス(goliardus)、ゴリアール(goliard)と称される
(一説には「大食漢」とか「言動の放縦なもの」を意味する"gula" が語源とも、
12世紀フランスのピエール・アラベールへの批判語としての”golias” が広まったとも)
「放浪僧」(clerici vagabundi)の人々とされている。
「放浪」と呼ばれているが決して卑賤な者ではなく、
ラテン語を操っているのだから知識人階層であり、
そのカトリック知識人達が、
世俗的な一般庶民(異民族、異文化、異言語)に接触するところで
美食、好色、風刺などの詩が生まれたのだろう。
ちょうど、
日本の中世に雅俗混淆、和漢混交の文化や文体が形成された事と似ているのかもしれないし、
今風に云えば、「クレオール」文化とも言えるか。


原典、”Codex Buranaus” については、このサイト(英語)に詳しい
→ http://www.athenapub.com/14carmina.htm

このサイトの解説に依れば、大まかに4つの類型に整理されている。
”Carmina moralia” satirical or moralizing lyrics (風刺的で道徳的な詩)
”Carmina veris et amoris” songs celebrating springtime and love (春や愛を言祝ぐ歌)
”Carmina lusorum et potato rum” gambling and drinking songs , including goliardic verse 
(賭博や酒の歌、”Goliard”( 放浪学僧)の詩も含む)
”Carmina divine”  poems with religious content (神を言祝ぐ詩、復活祭の受難劇詩など)

個々の「詩」には、”CB”(Codex Buranaus)何番という、整理番号が付されている。

カール・オルフが自作『カルミナ・ブラーナ』に選んだ歌詞の詩のCB番号
(英訳歌詞)
→ http://www.poetryintranslation.com/PITBR/Latin/CarminaBurana.htm#_Toc195085570

オルフ『カルミナ・ブラーナ』の全曲構成
→ http://www.classical.net/music/comp.lst/works/orff-cb/carmlyr.php
オルフは、
冒頭の2曲を ”Fortuna Imperatrix Mundi” 「フォルトゥナ 世界の皇后」としてまとめているが、
”Imperatrix Mundi”(世界の皇后)とは、どこから出てきた言葉なのだろうか?
原典には確認出来ない。
2曲目”Fortune plango vulnera” (CB16)の最後の詩句”Hecubam reginam”「女王へクバ」は、トロイアの女王「ヘカベ」のことと思われる。
ヘカペは災いを齎すと予言された我が子パリスを、
殺す事が出来ずにトロイアの滅亡という運命の流転に晒される。

オルフの『カルミナ・ブラーナ』全曲のラテン語歌詞と日本語訳
→ http://carminaburana.web.fc2.com/index.html



オルフの『カルミナ・ブラーナ』の構成は以下のようだから、
上記の原典の分類にある程度沿っていると言える。

序   フォルトゥナ、世界の皇后(「支配者」の謂いか)
第1部 浅き春に 野の上で
第2部 酒場にて
第3部 愛の誘惑 白き花とヘレナ
終曲  フォルトゥナ、世界の皇后



1930年になって Alfons Hilka と Otto Schumannが、
言語学者の Wilhelm Mayers の研究に基づいて
”Carmina Burana; mit Benutzung der Vorarbeiten Wilhelm Meyers” を執筆して研究がより深まる。
→ http://ow.ly/vWV5Z

オルフも、この研究成果も取り入れて作曲したのではないかとも推測される。
この出版の6年後の1935〜6年にかけてオルフは、『カルミナ・ブラーナ』を作曲、翌1937年7月にフランクフルト・オペラで初演しているからだ。

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この画像は1900年当時のフランクフルト・オペラ劇場
(戦災で被災しましたが、現在は再建され、その美しい姿を取り戻しています)
現在のHP→ http://www.alteoper.de





さて、言うまでもなく、1930年代のドイツを語る時に、
ヒトラーのナチスを避ける事は出来ない。
1936年と言えば、あのベルリン五輪の歳であり、
レニ・リーフェンシュタールによる映画『民族の祭典』が
肉体美の極地を、当時の最新技術であるスローモーションなどを駆使し表現した。
この映画では出てこないが、オルフはベルリン五輪の開会式のために
「ベルリン・オリンピック輪舞」を作曲し、
あのマリー・ヴィグマンが振付し踊った。
(開会式の総合振付はルドルフ・フォン・ラバンがしている)


私は、オルフの「O Fortuna」に始まるこの曲が以前から好きになれなかった。
余りにも時代がかっていて、大げさな音楽、リズムの繰り返しによる感情の煽動、
この曲がナチ時代に作られた事を知らずとも、そこにある怪しい影を感じた。

オルフ自身はナチとは距離を置いていたらしいが、
当時の時代の雰囲気からこの曲が逃れているとは思えない。
「原始的」と称されていることもあるようだが、
それこそ、ナチが大衆煽動に用いた神話的なイメージ。
20世紀前半の音楽は、ストラヴィンスキーでもそうだが、
古代や中世に回帰する。それがトレンドだったとも言えるが、
この曲は、ストラヴィンスキーのモダニズムとは明らかに異なるだろう。


たとえば、第10曲目にこういう歌詞を使うことは、どうだったのか?
→ http://carminaburana.web.fc2.com/yu-text-10.html
この詩が載っている1847年活字本のページ
→ http://reader.digitale-sammlungen.de/de/fs1/object/display/bsb10737557_00202.html

これは勿論、単純ではなく両義的でもあり、複雑だが、
この部分は歌詞がラテン語ではなく古いドイツ語であり、
ベルサイユ体制を打破しようとしていたナチ支配下のドイツの聴衆はどう聴いたのだろうか?

丸焼けの白鳥(「ローストスワン」とカタカナ表記されると、
私にはどうしても「失われた白鳥」だと思えてしまうが、、)、
ここで使われるテナーの裏声は中世的なカウンターテナーというよりも
1920年代のキャバレーのイメージを彷彿とさせる。

酒場にての歌詞も、どれも単純ではない暗喩が含まれるだろうが、
それに付けられた音楽はどう評価されるべきか。。。


時代背景に詳しく言及しているサイト、
とても参考になるので、一部を引用しあげておく。
「カルミナ・ブラーナ が語りかけること  野口幹夫」
→ http://kozu5.my.coocan.jp/KozuHomePage1/public_html/hiroba-05/04.12.13nogu1.html
「まさにオルフのカルミナ・ブラーナはこの時代に生まれた。
だからそのキーワードの第一は『解放』なのである。この曲の全体
に流れる生命力、強烈なリズムのかもし出す原始的なエネルギーは、
すべての束縛からの解放を求めるその時代のドイツ社会から溢れ出
るものだった。もちろん社会の状況だけで音楽を説明できるもので
はないが、音楽家は社会とは無縁ではいられない。」

「カルミナ・ブラーナが語りかけること その2」ではさらに追求がされている。
→ http://kozu5.my.coocan.jp/KozuHomePage1/public_html/hiroba-05/04.12.17nogu2.html




ただ、一方で、
『カルミナ・ブラーナ』という曲が、
その基層にある中世と繋がっていることも確かだろう。

フォルトゥナは、
元々は、ギリシャ神話のテュケー ( Tyche ) を起源に持つ一方で
ギリシア神話における「運命の三女神」モイライ( Moirai )で、
クロートー、ラケシス、アトロポスの三神、
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さらには、
北欧神話の三女神ノルン ( norn )
長女ウルズ、次女ヴェルザンディ、三女スクルド、
運命を編むものとしての「ウルズ」にもその起源を持つなど、多様性がある。

建前はキリスト教一神教でありながら
欧州の図像イメージは、
しばしば土着とグレコ・ローマンとの錯綜としてイメージされ、
この女神もそうなのだろう。
具体的には、糸で運命の車輪を回すイメージ
それが少し下ると、運命は盲目であると目隠しをする。

Rueda de la Fortuna-Royal 20 C IV.jpg


フォルトゥナ、運命の女神が
西洋でどのように形象化されたのかの変遷がよく分かるサイト
→ http://tantoshombrestantassentencias.blogspot.jp

中世の音楽として再現された『カルミナ・ブラーナ』
”O fortuna velut luna” の部分
→ https://www.youtube.com/watch?v=1WIxUoIIlB8&list=HL1397493027

”O varium fortune lubricum”部分の別の演奏
→ https://www.youtube.com/watch?v=tJ1Y9jKJNmc

どちらも、近代のカール・オルフの音楽のイメージとは全く異なる。





時代が下り19世紀の世紀末になれば、
フォルトゥナは、ラファエロ前派の
ロセッティやバーンジョーンズなどの「運命の女」へと変貌する。
かつては畏怖された運命の女神が、ここでは神から女へと重心を移し、
その女に翻弄されることを怖れつつも喜びとするような男たちが出現する。
「恋愛」や「性」が社会文化的に全面に出てきたからでもあるが、
この倒錯が世紀末近代の特徴となる。


バーンジョーンズ.jpg


「運命の輪」や目隠しされた「運命の女神」のイメージは、
ビントレーの振り付けた『カルミナ・ブラーナ』にも活かされるが、、
そこで出てくるフォルトゥナは、
酒場やローストスワンなどが描かれて、さらに神学生が恋に落ちるという物語を経ているからか、
「女神」というよりも、「恋愛」で男を擒にする世紀末的な「運命の女」により近いかもしれない。


しかし、世紀末近代と中世、どちらかだけではない多様性がそこにはあり、
または、近代を通しての中世というべき二重絵があり、
破戒僧の恍惚、逃れようのない運命付けられた地獄への堕落、
中世と近代とを併せ持つ多様性や両義性が、
”Codex Buranaus” からオルフが音楽化し、
ビントレーがダンスとして振り付けた
『カルミナ・ブラーナ』という作品には内包されてあり、
その交錯を、踊る者も見る者も味わうことになるだろう。

bur_cpo1.jpg



オルフの『カルミナ・ブラーナ』は、
こうした変遷の先に生まれた。
ナチズムの大衆煽動と世紀末のイメージ、
ある種のどうしようもなさからの解放、
だが、そこに解放があるのかしらん?

そこにある種の「解放」を感じてはいけないのではないか。
そうではない、いつまでもの両義性の宙づりのまま、
そこに立ち止まれるか、あの強烈なトゥッティの終幕に
挑まねばなるまい。

それとも、ある種のパロディーとして笑い飛ばす、
そうした余裕があっても、いいのかもしない。

アプローチは、きっとダンサーそれぞれであり、
見る人、それぞれであろう。



音楽は最初に回帰して、輪廻というフォルトナの前に
命を生きざるを得ないボンプたる人間は小さく弱い、、、





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振付家デビット・ビントレーのインタヴュー
『カルミナ・ブラーナ』初演時について語るデビット・ビントレー
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/carmina_faster/introduction/index.html
『カルミナ・ブラーナ』についてデビット・ビントレーが語っているページ
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/10000025.html

2013年4月のアトランタバレエ公演のプレヴュー記事
「“Carmina Burana” takes a walk on the wild side to temptation」
“He thinks he’s found the Virgin Mary only to find out that she’s the Whore of Babylon,” Bintley says.”
などと語っていて興味深い。
http://www.artsatl.com/2013/04/preview-atlanta-ballet-takes-walk-wild-side-lush-lavish-carmina-burana/#sthash.M1E0IG55.dpuf



本文中表示以外の参考文献

1979年に刊行された校訂テキスト
”Carmina Burana ca. 1230”  G. Bernt A. Hilka O. Schumann München 1979
http://www.hs-augsburg.de/~harsch/Chronologia/Lspost13/CarminaBurana/bur_car0.html

Carmina Burana : die Lieder der Benediktbeurer Handschrift Zweisprachige Ausgabe
(dtv, 2063) Deutscher Taschenbuch Verlag, 1979, c1974
所蔵大学図書館→ http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA11702400#ref

上記テキストに基づいた和訳本と思われるが未見
『全訳カルミナ・ブラーナ−ベネディクトボイエルン歌集−』 永野藤夫訳 -- 筑摩書房 -- 1990


「ヨーロッパ中世詩歌『カルミナ・ブラーナ』をめぐる人 文地理学的考察 : 現代合唱曲としての復活」
川西孝男  人文地理学会 2012年大会発表論題・配布資料 
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/161907/1/jinbunchiri_2012.pdf

「ヴィグマンとクルト・ヨース」 及川廣信
http://scorpio-oik.blogspot.jp/2007/10/blog-post.html

「放浪学僧の歌―中世ラテン俗謡集 」 瀬谷幸男
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4888964130/silva-22

「『ゴリアス司教』もの」 ブログ「思索の森ーヨーロッパ中世史・中世思想史」
http://www.medieviste.org/?p=6726





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Titre : ”Recueil de dessins ou cartons, avec devises, destinés à servir de modèles pour tapisseries ou pour peintures sur verre”
Date d'édition : 1501-1600
Bibliothèque nationale de France
→ http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b8426260f/f1.image







posted by 星跡堂主人 at 23:31| 東京 ☁| Comment(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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