2013年11月15日

日本で「火の鳥」を初めて踊ったダンサー ノラ・ケイ(Nora KAYE)

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1954年の小牧バレエ団公演のパンフレットに掲載されていた
「ライラック・ガーデン」の写真


ノラ・ケイの若い頃のこんなプラーヴェート映像がある。
ニューヨークで1948年に撮られたもの。
http://www.youtube.com/watch?v=sU_1LsIPFXs&list=FLA4xnoi-izE7Fii4iIT18QQ&index=1

3分くらい経過した所で、
ショートカットの女性が街角を歩いてくる、これがノラ・ケイだ。
その後、眼鏡をかけてやってくるのは
当時既に「欲望という名の電車」で評価されトニー賞を得ていた女優ジェシカ・タンディ、
ジェシカをエスコートしているのが夫ヒューム・クローニン。
ノラとジェシカ、二人がたわむれに踏むステップが愛らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=sU_1LsIPFXs&list=FLA4xnoi-izE7Fii4iIT18QQ&index=1


小牧正英も述懐しているが、
ノラ・ケイは、とてもさばけた現代的な女性だった。
その印象がこの映像からも伝わってくる。
この年、彼女はアグネス・デ・ミルの「フォールリバー伝説」を踊り
ドラマチックダンサーとしての名声を更に高めていた。


ノラ・ケイの経歴
1920年にニューヨークで生まれだが、両親はロシア人。
本名は Nora Koreff 。
父はあのスタニスラフスキー・システムのモスクワ芸術座の俳優で、
ノラ・ケイの「ノラ」は、イプセンの『人形の家』のヒロインに因むらしい。
彼女も最初は女優を目指したが、
スクール・オブ・アメリカンバレエで、ミハエル・フォーキンの薫陶も受けた。


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ノラ・ケイの踊る「ペトルウシュカ」の踊り子


1935年15歳でバランシンのアメリカンバレエにコール・ド・バレエとして入団。
1937〜39年にはブロードウェイのミュージカルにも参加。
1939年19歳の時、バレエシアター(後のABT)の創立とともに参加。
1942年チューダーの『火の柱』のヘイーガー(Hagar) 役をクリエーション(初演キャスト)して注目される。

kayepillaroffire.jpg

ポール・シラードと共演した「火の柱」(1942年)


1948年アグネス・デ・ミルの『フォールリヴァー伝説』の被告人をクリエーション。
1949年「ジゼル」、バランシンの「テーマとヴァシエーション」を踊る。
1951年 NYCBに参加、ロビンスの「檻」をクリエーション。

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ロビンスの「檻」(1951年)


1954年頃、バレエ団活動を一時休止しその時期に来日している。
1955年からはまた復帰し、
Valerie Bettisが振り付けた「欲望と名の電車」のブランチを踊っている。

こうした経歴から
彼女の評価は、まさに現代的なドラマチックダンサーとされている。
革新的なダヌンチオ女優だったエレオノーラ・ドゥーゼに準えられ
”Duse Of The Dance”とも称された。

1987年2月に亡くなったときの追悼記事
→ http://articles.philly.com/1987-03-02/news/26220611_1_mille-s-fall-river-legend-lilac-garden-abt


小牧正英の回想によれば(『バレエと私の戦後史』1977年)、
昭和29年の公演の成功のより、
翌年にはバレエシアターとともにの来日公演が計画されたが、
ノラ・ケイとのスケジュールが合わず計画は挫折したとあるが、
ノラ・ケイ自身がアメリカでのバレエ活動に本格的に復帰した事が、その理由だったと推測される。



ノラ・ケイが主演したバレエ作品の映像

「檻」Cage (音楽はストラヴィンスキー「弦楽のための協奏曲」)
オスの虫がメスの虫に滅ぼされるものだがノラ・ケイのエロチックな表現が評価された。
昨年2012年にNYCBで再演された時の、Wendy Whelan による紹介映像
http://www.youtube.com/watch?v=JqLmH-f9VOw


「火の柱」 Pillar of Fire (音楽はシェーンベルク「浄められた夜」)
デーメルの詩に依る、若い女性の心理と人間関係を描いた心理バレエとして評価されている、
1973年のABTでの全幕映像
http://www.youtube.com/watch?v=Iqgrad-SM6Y


ダンサー引退後は3度目の夫(2度目はアイザック・スターンだった)
映画監督ハーバード・ロスの作品のプロデューサーなどを勤めている。
バリシニコフが出演した有名な映画
「愛と喝采の日々」”The Turning Point” (1977)も、そのひとつだった。



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posted by 星跡堂主人 at 00:01| 東京 ☁| Comment(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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