2017年05月07日

新国立バレエ『眠れる森の美女』(イーグリング版)再演、レヴュー 

2014年の10月の初演された新国立バレエ
ウエイン・イーグリング(Wayne Eagling)版『眠れる森の美女』が再演され、
その初日(5月5日)と2日目(5月6日)を見た。
初日は、初演時のギャヴィン・サザーランドとは違う指揮者の
アレクセイ・バクラン(東京フィル)の音づくりが
主役、特に米沢唯の踊りに今ひとつフィットしていなかったように思えたが、
二日目は見事に調和していた。
それ故に、二日目の印象を主に書く。


「プロローグ」
序曲最後の部分で幕が開き、
リラの精(木村優里)がシャンデリアのゴンドラで天井から降りてくる。
下には黒の美しい衣装のカラボス(本島美和)が待ち構えていて、対峙して、
上手下手へとそれぞれ消える。

王宮に人々が現れるが、今ひとつノーブルさに欠け、王宮の雰囲気がない。
歩き方や上体、腕の動きの徹底がもっと必要。

リラの精のお付きが6人しか居ないし、
衣装の色合いがリラの精ではなく他の妖精と同じというのも変な感じだ。

妖精のヴァリアシオンは、英国系とほぼ同じだが、
第1ヴァリアシオン(「誠実の精」)などは、ポーズのキープを幾らか入れているか。
寺田亜沙子の第1ヴァリアシオンは、優雅で柔らかく素晴らしかった。
第6ヴァリアシオン「気品の精」は、元々ない設定なので、
音楽が第2幕の狩り場での「男爵夫人の踊り」が使われ、民族舞踊的な仕草も入る。
それが何故に「Grace」なのかは不明だが、
寺井七海は音を体に引き込み優雅に踊っている。
リラの精のヴァリアシオン、後半はアラベスクと回転の合わせ技のようで、
イタリアンフェッテの変形か。
だからか、全体のコーダでは、リラの精がイタリアンフェッテをせず、華やかさに欠ける。

1978年とクレジットの入っているロンドン・ロイヤルバレエの
『眠れる森の美女』プロローグ妖精達のヴァリアシオンの映像
https://www.youtube.com/watch?v=S8kj260hvCk
78年はマクミラン版『眠れる森の美女』初演の年。

一方、60年代のキーロフバレエの妖精のヴァリアシオンの映像
https://www.youtube.com/watch?v=RrimGxFq_V0



第1幕
王宮前のお針子たちを許す国王のシーンが、初演時にはなかった記憶だが、入っていた。
しかしそれでもロシア系よりは短い。ここは王妃の見せ場なのだが、入れるなら入れるでもっと取るべきで、中途半端。
王宮、背景画が噴水のあるヴェルサイユ(17世紀後半のバロック様式)になっている。
プロローグにはなかった。

「ローズアダージョ」
米沢唯のオーロラは、世に「ローズアダージョ」と称されるこの場面が、「パ・ダクション」の極地であることをしっかりと思い出させてくれる。
タマラ・カルサーヴィナが云った如く、プティパの偉大さは物語を舞踊で表現したことであり、しかもそこにチャイコフスキーの音楽がぴたりと嵌っている。

踊りの中で、父母や王子達とのやり取りによって徐々に華が開いていく過程を見事に表現する。
初演時もそうだったが、ローズアダージョが単なるテクニックの極みではなく、
踊りによる、如何に完成された「パ・ダクション」であることを、明らかに示してくれる。

「ヴァリアシオン」
初日は音と微妙にずれていたが、
二日目はぴたっと決まり、完璧。
中間部ディアゴナルの動きで、米沢が、ロンドジャンブをするとその脚からオケのピチカートが響いてくるようだった。
このヴァリアシオンが、脚の動きが弦のピチカート(リズム)を、
上体が、ヴァイオリンソロ(旋律)を表す踊りである事を、米沢の身体は見事に表現していた。こんなに音楽と調和的な端正なオーロラはそんなにはない。
こうした端正な美しさこそ、米沢唯というダンサー、そのもののように感じられる。

古典が何故に古典なのか、この作品が何故に古典バレエの極みと云われてきたのか。
この答えが、今この目の前で展開される。
私は、『眠れる森の美女』という作品を米沢唯というダンサーの踊りを見る事で、初めて分かった気がする。
こういうことを、私達はもっと明らかにしなければ、
ダンサーが何をここに表現しているかを、
もっと的確な言葉で表現しなければということに、改めて思いを致す。



第2幕
プロローグに比べるとソリストが並んでいるからか、貴族が貴族に見える。
またここでは農民と貴族が一緒に踊る。
初演時には特に気に留めなかったが、これは意図的だろうか?
(英国では「ガーランドワルツ」と称される第1幕の花輪を持った踊りは、ロシアでは「農民の踊り」と称されている。王宮に庶民が訪れ踊るということか。)

伯爵夫人(堀口純)は当然王子の愛人なのだが、
ワディム・ムンタギロフのデジレ王子(Prince Désiré)は、出て来たときから憂愁をたたえている。
(そのように演じる王子は意外と少ない。憂愁よりも王子としての威厳を求めるからか)
しばしば、王子のソロに使われる曲(「伯爵夫人の踊り」)で、二人でフォークダンスを踊るも、
そのまま、憂いを帯びたまま王子のソロへといく流れを、ワディムがよく作っていた。

「王子のソロダンス」
王子のソロには、この版では第3幕の「サラバンド」が使われる。
初演時よりも遅く重く響いているように感じたが、
それが憂愁をさらに深め効果的だった。
惟うに、17世紀のバロック舞曲である「サラバンド」という古曲に、
王子の心性は親和的なのだろう。(王子の「現在」はその100年後だから18世紀後半か?)
しかし、
そこで踊られる踊りは、回転なども入り、古風では決してない。
この音楽と振付けとのずれが初演時には気になったが、
現代(100年後)の者である彼が、100年前の古曲に引かれる。
そこに100年のずれが表現されているかもしれなぬ。
しかし、
このずれが、王子の愛にどう影響するのか?


「オーロラの登場」
上手脇で一度アラベスクでポーズをした後に、ジュテで入ってくる。
ジュテの部分は他の版と同じ。

「パ・ダクション」
初日よりも、音がしっとりとたっぷりと響く。ややテンポが遅くなっているか?と思われるほど。
東フィルのチェロのソロが美しい。
だから、王子のオーロラへの心情があふれてくる。

オーロラを追う、王子は、同じ様にアラベスクをして追う。
このオーロラの身体への同調は、この幕の掉尾を飾るパ・ド・ドゥでも現れる。

オーロラが、リラの精と森の精たちの狭い合間に分け入り、
王子もそこを抜けて来て、舞台中央で初めてオーロラに追いつく。
森の狭い通路の先に、その場はある。そういうように思えた。
(イーグリング版は、ここでのコール・ド・バレエを「森の精」と明確に位置づけ、
衣装も森の木々の緑になっている。これは他の版にはない工夫なのだと思う。)

王子がオーロラに触れる事で、幻から血の通った者に見えてくる。
弦がトレモロとなりアラベスク、大きくそる。
ぐっとくる。まさに見事な愛の「パ・ダクション」なのだ。


この愛は、基本的には憂愁をたたえた王子の幻想である。
しかし、リラの精に導かれて(運命)、王子はそれを受け入れ、
森の中をさまよい、その狭隘な道行きの先でオーロラに触れる。
幻想であり、かつては生身の女であったのに、今はカラボスの魔法によって
死んでいるかのように眠り続けているオーロラ、オーロラ自身にとっても
自身は幻と化しているこの女の身体に、そうして再び命が吹き込まれる。

王子の愛は、そのようなものだと、このパダクションは示している。
100年も前の遠い過去の森の中に、彼の求めていたものはあった。
しかし、彼は今現在の生きている身体だ。

王子はリラ(運命)と共に、森の奥の城へと行き、
覆われた魔法を取り去り、オーロラにベーゼする。
これはお伽話に違いない。

「目覚めのパ・ド・ドゥ」
お伽話に現代的なリアリティを与える。それが振付家の意図であり、
それがこの「目覚めのパ・ド・ドゥ」になったのかもしれぬ。
オーロラはもう幻ではない。生身の身体を生きている。
だから、オーロラが幻のオーロラがしたように、王子を導くかの様に踊り、
幻影シーンと同じ様に、王子はオーロラの振りを真似、共振していく。
オーロラが踊るのをサポートして、彼女の踊り(精神)を実現する。
しかし、この二人、米沢唯とワディム・ムンタギロフが踊ると、それはとても静かな炎なのだ。
夜の静寂(しじま)の中で、音もたてずに踊っているかのようだ。

ヴァイオリンのソロが一段と激しくなる所で、それまでゆったりとしたテンポだった
オケは加速し、王子のマネージュ回転のソロになる。
王子の気持ちが音楽と共に迸るかのようなダンス。命の通う今の王子の身体の躍動。
しかし、それは決して古雅を離れない。

『眠れる森の美女』という作品を今、踊る事の意味。
今の身体が踊る事の意味への問いが、このパ・ド・ドゥには込められていたのかもしれぬ。
初演時にあった違和感を、今回のこの二人のダンスが溶解させていくように思えた。

そして、音楽が今一度静寂に向かうと、二人は寄り添い、離れ
静かにしかし深いベーゼをして闇へと消えていく。

この振付け自体がとくに優れているとは思わない。
初演時は古典作品の中にやや現代的なこのパ・ド・ドゥがぽっかりと浮かんでいるようで、
違和感さえ感じたのだが、
この二人が、このパ・ド・ドゥを『眠れる森の美女』という作品の中に位置づけ、
見事なものへと昇華した。
この静かでしかし熱い愛の思いを、客席も確かに感じていた。
幻がいまこの場の生身の人としてダンスに依って昇華した。
作品は、ダンサーが幾度か踊りこんでいくことで息ずく。
そして、見る者は、その踊りによって導かれる。
まさに、100年以上も前の作品『眠れる森の美女』に
ダンサーが今のなまみの身体で命を吹き込み、それを見るという体験。
古典バレエを踊る、見るという、今ここでの体験、そのもののような舞台なのだ。


付記
パノラマの後半が森の精のコールの踊りになる。
ここのフォーメーションが微妙にずらした形でなかなか美しい。
舞台が暗い中、踊るのは難しいのではないか。

残念ながら、この版で最も魅力的な衣装のカラボスは、この幕では脇役でしかない。
初演時よりもリラの精に支援された王子とカラボスの闘いの場面は
長くなった様に思ったが、闘いよりも王子の愛の方がこの版では優先されるのだろう。
元々、英国系の演出はそうであり、それはマリインスキー初演時を受け継いでいる。
善と悪との「闘い」という考え方は、ソ連時代の遺物だろうか。

「目覚めのパ・ド・ドゥ」は、牧
阿佐美バレヱ団のテリー・ウエストモーランド版(1982年初演)にもあるが、
その版ではオーロラはチュチュで踊るので古典的な振付になっている。
また、「間奏曲」を用いた踊りとしては、パリ・オペラ座ヌレエフ版(1989年初演)の第2幕の
技術的に大変難しくしかも長い、王子のソロがある。



第3幕
プロローグと同様に、どうも王宮の感がしないのが、残念。
初演時に感じたように、この幕の王宮は衣装も含めてナポレオンの帝政様式に見えてしまう。

キャラクテール・ダンスはみないい出来。
特に宝石がいい。
渡邊峻郁の金の精、寺田亜沙子(サファイア)、細田千晶(エメラルド)、広瀬碧(アメジスト)、
衣装のセンスが何とも安っぽいのが残念。
パリオペラ座の衣装ほど豪華にとは云わないが、もっとマシなデザインと色使いにできないか。

小野絢子と福岡雄大の「青い鳥」は、ひとつの掌編のような愛らしいダンスだった。


「グラン・パ・ド・ドゥ」
清楚で端正の極み。これがこのパ・ド・ドゥに求められているものだと思う。

ただし、2幕の最後に入れたパ・ド・ドゥが何とも邪魔になる。
あの深いベーゼを思い出してしまうからだ。
これは振付家の意図だから致し方がないが、単なる古典の極みではなく、
(パ・ド・ドゥの直前は、キャラクテールダンスをより現代的にした小人の踊りなのだから)
現代的なリアリティの残像がちらいてしまう。私の問題か?
しかし、踊っている二人はそんなことはなく、美しい。
白を基調とした衣装もこの二人の清楚感によくマッチする。
初日ちょっともたついた半ばののフィッシュもいいし、
すべてのパが音に嵌る。

初日よりも、アダージョ後半部がやや遅めのテンポでゆったりと踊られる。
アダージョの終わりにあるアテールから立ち上がる所も、米沢は何の滞りもなくするので、
もの凄く楽々に見える、(この振りはロシアにはなく英国系)、
自然に手をさしだし、勢いづけてさっと立ち上がるのでも、
おづおづと立ち上がるのでもなく(もっと深く膝を曲げるとどうしてもそうなるが)、
ただ優雅に立ち上がる。
そのまま、正面でこれもワディムがゆっくりを米沢を宙へとさしあげ、優雅にフィッシュ。
大技なんかじゃないよ、これは、という、二人のセンスがいい。
何という事かしらと、思わずに居られない。
これが現代の古典の極地だと思う。


その後の王子のヴァリアシオンも凄かった。
初日以上に美しい。このヴァリアシオンは、あまり美しいと思う事が少ない。
回転が大変で体のラインが微妙に崩れるダンサーが多いからか。
しかし、ワディムは最初から最後まで端正。
マネージュでさえ、最初は欲張らない、
途中で加速して大きく体を反らして跳ぶが、それもあくまで優雅に跳ぶ。
そして、まるで観音のようにちょと体をくねらせた最後の決めのポーズまでが、
ああ、このヴァリアシオンって、こういう優雅な踊りで、
だから王子のヴァリアシオンなのだという、極めつけの踊りだった。


続く、オーロラのヴァリアシオン。
これは初日も素晴らしかったが、
二日目は反復部の徐々に体を開いて腕を上げていく部分がさらに出色。
この踊りはここがもっとも難しい。
しかもは初日以上にたっぷりとしている。
この踊りの動きの一つ一つを、この踊りの今このときを、愛おしむかの様に。
だからか、オケの伴奏がぎりぎりに感じるくらいにテンポが落ちる。
米沢の動きがオケをリードしている。オケがそれに必死で付いていく感さえあった。
米沢はこれを意識してしたようには思えない。
彼女の体からにじみ出た喜びが、こういう動きを彼女に自然にさせたように見えた。
たぶん、米沢唯というダンサーが自身に求めている踊りとはこういうものだと思う。
それが、ここでは出ていた。この日の踊りには本人も少しは満足したのではないだろうか。

コーダ
初日もそうだったが、初演時ほどの速さを感じない。
これは意図的だったのかどうか分からないが、
ここまでの作品全体の流れ、パ・ド・ドゥの流れからすると、
ここで特別盛り上げなくても良かったのかもしれない。
それでも十分に高速ではあった。


「ラストのマズルカ」
登場したダンサー一人一人が舞台を愛おしむかのように
もう一度踊る。ダンサーたちも二日目で余裕が出たのだろう。
音楽もそれにぴたりと合う。
イーグリング版は、青い鳥だけワルツとなる。
ここはロシア系では、その後のオーロラと王子もワルツなのだが、
(ヴィハレフによる初演の蘇演版はそうではなく、イーグリング版と同じ)
オーロラと王子はマズルカで踊る。
そして総踊り、ここのマズルカステップも、とても良かった。
そんなことはどうでもいいかもしれぬと思っては、舞台は良くならない。
皆ソリスト級だから、当たり前だが、体を微妙に反らせた美しいステップ。
そして、アンリ四世讃歌でリラの精が出て、オーロラと王子とが、背後へ
天から美しい黄金が舞い降り、深いパンシェにアラベスクへと直り、
幕。

完成された、美しい舞台だった。
衣装と美術とを変えて、このままパリやペテルグルクで上演したって
間違いなく評価されうると思う。
たぶん、現在の『眠れる森の美女』の踊りとしては、最高峰に近いのではないか。
(残念ながら断言できる程に最近は他国のバレエを見ておらぬが)
マニュエル・ルグリのガラが夏に東京他であるが、
このムンタギロフと踊る米沢唯の踊りをぜひ一度見てほしい。
もっと多くの欧州のバレエ関係者に米沢唯を知ってほしい。
東京に、こんな素晴らしいオーロラを踊るダンサーが居るのだと。


















posted by 星跡堂主人 at 22:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台 Theatre | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月03日

新国立バレエ イーグリング版『眠れる森の美女』の特徴


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今週末(2017年5月5日〜13日)から再演されるイーグリング版『眠れる森の美女』の版としての特徴を、初演時のレヴューをもと他の版と比較しながら、まとめてみました。

「プロローグ」
「冒頭のカラボス」
カラボスが冒頭で登場するのがイーグリング版では印象に残る。
さらに王宮への登場では大きなタランチュラに乗って現れ、ポアントで女性ダンサーが踊る。
このカラボスの設定はこの版の特徴であるが、初演時には今ひとつその効力を発揮していなかった。その理由は「第2幕」の終わりの所で述べる。

「妖精の数が1つ多い」
  妖精がリラの精も含めて7(通常は6)リラの精、誠実、優美、寛容、歓び、勇敢、気品。
  妖精の曲が足らないので「気品の精」には原曲第2幕の「男爵夫人の踊り」が使用される。

「リラの精のヴァリアシオン」 
振り付けは、ロシア系とは大きく異なり、ピーターライト版とほぼ同じ。


「第1幕」
・ほぼ、英国ロイヤルバレエ系の振付を踏襲(ロシア系とは異なる)。
・コーダ(オーロラの仮死)は、通常の演出よりもドラマッチックに演じられる。


「第2幕」
「プロローグ」も幾らか特徴があったが、イーグリング版はこの第2幕が最もユニーク。

・王子のソロに使用される事が多い「伯爵夫人の踊り」で王子と伯爵夫人とが踊る。

「王子のソロ」
原曲第3幕の「サラバンド」が使われる。
1946年初演のド・ヴァロワ/アシュトン版を踏襲したと思われるが、振付けは異なる。
マクミラン版もこの曲を使うが、イーグリング版の振付けは回転技が多く、アシュトン版よりもマクミラン版に似た感があった。

「パ・ダクション」
幻のオーロラは、通常版のようにジュテで飛び出さず、パ・ド・ブレで静々と現れると、
思っていたが、実際は、アラベスクで一度ポーズをして、ジュテで飛び出す型でした。
(私の記憶違いです)

「オーロラのヴァリアシオン」
どの版とも異なる独自の振付で、初見だと大いに戸惑う。
舞台奥の遠景のオーロラが徐々に前景へと現れてくる。
通常この踊りで強調されるアラベスクだけではなく、回転技も多い。
その点では、「王子のソロ」と呼応しているのかもしれぬ。
第2幕「オーロラのヴァリアシオン」に関しての振付の歴史に関しては、以下のページを参照されたし。
→ http://zoushigaya.seesaa.net/article/408519801.html?seesaa_related=category

「パノラマ」
通常は、リラの精に伴われて王子が森のお城へと向かう間奏的な場面だが、イーグリング版では、森の精のコール・ド・バレエが奇麗に踊る。
このシーンは新国立バレエ団特徴を活かして見応えがある。

「カラボスとの闘い」
プロローグでの印象的なカラボスのあり方からすれば、
もっと活躍しそうなものだったが、このシーンではあっけなく退散してしまう。
プロローグとこの幕との整合性に欠けるのだが、第2幕でのオーロラと王子とのラムールを重視したということか。
それはこの幕の掉尾を飾るパ・ド・ドゥを強調し、王子とカラボスとの闘いよりもオーロラと王子のうっとりするような踊りで幕を下ろしたかったからだろう。

「パ・ド・ドゥ」
通常はない、目覚めたオーロラと王子とのダンス。
曲はチャイコフスキーが美しいヴァイオリン独奏を入れ仕立てた「間奏曲」。
ピーター・ライト版や牧阿佐美バレヱ団が上演するウエストモーランド版には、この場面で間奏曲を使用したパ・ド・ドゥがあるが、それらの版ではオーロラは豪華なチュチュで踊るのだが、イーグリング版ではネグリジェで踊る。(ヌレエフ版では、この幕の王子の長く技巧的なソロの曲として使われる)
振付け全体としては、イーグリング自身がアレクサンドラ・フェリと踊ったマクミラン版の『ロメオとジュリエット』のバルコニーを思い起こさせるニュアンスがある。最後も深いベーゼでライトが落ちる。


第3幕
・美術(川口直次)や衣装(Toer van Schayk)が帝政様式に見える。
衣装に関して、再演(2017年5月)で王妃役を演じた仙頭由貴が自身のブログで
第三幕の王妃の衣装は、ナポレオン一世の皇妃ジョセフィーヌの肖像画がモデルとなっていると述べている。
→ https://ameblo.jp/sentoballet613/entry-12272924173.html
初演版は、ユグノー戦争を治めたブルボン家の初代アンリ4世から100年後の17世紀のヴェルサイユ宮殿がイメージされていたはずだが、やや違和感を持つ。

第3幕「踊り」順番
序「ポロネーズ」
1「宝石」(エメラルド、アメジスト、サファイア、金)
通常踊られている「サファイアの精」の5拍子のソロ(22-d)はカットされ、踊られる事の少ない「金の精」(22-b)のソロが入る
2「白い猫と長靴を履いた猫」
3「フロリナ姫と青い鳥」
4「赤ずきんと狼」
5「親指トム」(パ・ペリシオン)
6「グラン・パ・ド・ドゥ」
終「マズルカ」
「アポテオーズ」

「祝宴の踊り」
「宝石」
女性3人(エメラルド、サファイア、アメジスト)と男性1人(ゴールド)で踊られる。
通常演奏される五拍子の「銀の精」は(原典では「サファイア」)はカットされ、カットされることの多い「金の精」が、初演時の音楽とともにその振りを幾らか残しながら、男性らしい大きな踊りに変えられて踊られた。
(初演時は、福岡雄大、池田武志、小野寺雄の日替わり)
初演時にはこの曲が第2幕のオーロラのヴァリアシオンとして振付られた。現行のセルゲイエフ版では第3幕のリラの精のヴァリアシオンとなっている。

「赤ずきん」
振付を現代風に工夫した振付けで、「赤ずきん」を踊った五月女遥が出色。
ダブルキャストの広瀬碧も良かった。

「親指トム」(初演時は、八幡顕光、小野寺雄の日替わり)
最後に踊るのが庶民たる「小人」の乱入で、
これが異彩を放って良い出来だった。

そしてその直後に
オーロラと王子のグラン・パ・ド・ドゥが始まる。

「グラン・パ・ド・ドゥ」
「親指トム」からすぐにグラン・パ・ド・ドゥに繋がるので、
以前の新国立バレエ・セルゲイエフ版にはアントレで宝石たちが踊り祝福をしたが、その部分は今回の版ではカットされている。
この曲の流れの意図が何かはよく分からないが、後で少し触れる。

パ・ド・ドゥ及びヴァリアシオンは、基本的に英国系の振付で踊られ、特異な点は見られない。
だが、コーダのテンポが通常よりもずっと高速で踊られた。
ここには、振付家の何らかの意図を感じざるを得ない。
まさに「古典」とされるこのパ・ド・ドゥの振付けを基本的には変えることはなく、
しかし、一方で現在のダンサーによる現代的な表現として、このテンポはあったのではないか。
「祝宴の踊り」の最後に「親指トム」を入れそこに現代的な振付けを施し、それとこの高速コーダて古典的なパ・ド・ドゥをサンドウィッチした。
それが、このイーグリング版の第3幕の特徴といえる。

「アポテオーズ」
しかし、全編の最後は、ヌレエフ版のようにマズルカを踊り続けながら終わるという演出は採らず、あくまで古典の「アンリ四世讃歌」を謳い上げる「アポテオーズ」に戻って、幕となる。

以上です。

日本で『眠れる森の美女』を踊る事の意義も含めた、初演時の詳細なレヴューは、こちらにあります。
→ http://zoushigaya.seesaa.net/article/410430193.html?seesaa_related=category





La_Belle_au_Bois_Dormant_-_third_of_six_engravings_by_Gustave_Doré.jpg


挿絵は、Paul Gustave Doré による Charles Perrault "La Belle au bois dormant" (1867)









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2017年04月10日

新国立バレエ『ベートーヴェン・ソナタ』           使用曲順とその作曲年代 

新国立バレエ『ベートーヴェン・ソナタ』
2017年3月17〜18日 於新国立劇場中劇場
演出・振付 中村恩恵   音楽監修・編曲 野澤美香

第1幕
「プロローグ」

モーツァルト『レクイエム』Introitus「Requiem aeternam(永遠の安息を)」Adagio ニ短調 4/4拍子 (ピアノ版) 1791年

「T」
ヴァイオリンソナタ第5番「春」作品24 第一楽章Allegro ヘ長調 4/4拍子 1801年
https://youtu.be/SkyA09JitSg?t=30s

「U」
ピアノソナタ14番『幻想曲風ソナタ』("Sonata quasi una Fantasia")作品27−2(「月光」)第一楽章Adagio sostenuto 嬰ハ短調 2/2拍子 1801年
https://www.youtube.com/watch?v=0siIoIWd62c&list=RD0siIoIWd62c#t=64


「V」
エグモント序曲作品84 ヘ短調〜ヘ長調 Sostenuto ma non troppo3/2拍子〜Allegro3/4拍子  1810年
https://www.youtube.com/watch?v=GaeB6Sn_rYM

「W」
弦楽四重奏第9番ハ長調作品59−3 第2楽章Andante con moto quasi Allegro イ短調 6/8拍子 1806年
https://www.youtube.com/watch?v=MCW15IvuwvM

「X」
弦楽四重奏第7番作品59-1 第3楽章Adagio molto e mesto〜attacca ヘ短調 1806年
https://www.youtube.com/watch?v=csk9OX4hDV0


「Y」
ピアノソナタ第25番作品79 第2楽章Andante ト短調 9/8拍子 1809年
https://www.youtube.com/watch?v=Wen7pREYFgw


第2幕
「T」

交響曲第7番作品92 第二楽章Allegretto イ短調 2/4拍子 1812年
https://youtu.be/9HcRwYjiXl4?t=11m48s

「U」
弦楽四重奏曲第15番作品132 第五楽章Allegro appassionato イ短調 1825年
https://youtu.be/tASP0Vgln-g?t=37m19s

「V」
ピアノソナタ第31番作品110 第三楽章変イ長調 序奏4/4拍子〜フーガ6/8拍子 1821年
https://youtu.be/Ez0oP9PHjCc?t=8m18s

「W」
交響曲第9番ニ短調第四楽章作品125 Prestoニ短調 3/4拍子〜Allegro assai ニ長調 4/4拍子 1824年
https://www.youtube.com/watch?v=S69IwyJZjZw

「X」
弦楽四重奏曲第15番イ短調 作品132  第三楽章 "Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, in der lydischen Tonart"  Molto Adagio 〜Andante 1825年
https://www.youtube.com/watch?v=l8Mij38ciyw











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